アイデアを出す前に大切なこと
これまでは動画制作を行なっていた関係もあり、クリエイティブなことを仕事にしている人たちに囲まれていました。
何かを作るときに誰もが絶対に行うことに「アイデア出し」があります。
このアイデア出しに関して、クリエティブな職業の人とそうでない人たちの間にある差を実感することが多くなりました。
と言うのは、私がただ単純にいわゆるクリエイティブ職から離れたからです。
そこにある差の要因は、自分が作った作品に対して第三者から様々な評価を得たことがあるかどうかではないかと。
つまりは、自分の作ったもの、アイデアを出したものが他者に影響を与えたという自覚があるかないかです。
もう少し詳しく説明すると、自分が作ったものを褒めてくれる方もいれば、酷評する方もいるわけです。特に同業者からは辛辣な評価を与えられることもよくあります。
クリエイティブな作業は一旦走り始めてしまうと、ほとんど後戻りが出来ません。撮影を一度してしまったら、もう一度撮りにいくとできませんし、編集でなんとかすることはただの誤魔化しになってしまうため、撮影前の段階で完成形をどれだけ見据えられるかが重要になり、そのためにはアイデアの段階でゴールが見えるようなものを絞り出さなければいけません。
企画を考えるときに、アイデアベースで話をしたり、議題に対してアイデアから考える方たちはおそらくクリエイティブな経験が少ない人たちなのだろうなと。
これはある意味で仕方なく、私も経験がないときはアイデアから考え始めていました。
誰かに刺さる企画は、広く考えられたものかというよりも、どれだけ深く掘り進められたかの方が重要だったりします。
ある企画に対して、企画そのものをどれだけ深く考えて、アイデアを出すための核のようなものを掘り出せるか。
それはもしかしたら議題を考えた人たちでも到達できないところだったりします。
あっ!これだ!!みたいなアイデアは、深く掘り続けた企画そのものの核を掘り出せば自然と出てきます。
忘れられた記憶が蘇ったようなそんな感覚になります。
そのために色々な角度から掘り進めて、企画を穴だらけにするくらいに掘り進めて、それでも核らしきものが実感できなくて、うーんうーん考えて、それをふっと忘れた瞬間に「あっ」って降ってきたりします。
それが考えられるとゴールまでの大まかな地図を手に入れたわけなので、そこからは方向を間違えずに進むことができるようになります。
そうなればアイデアなんていくらでも出てきますし、その中で最も良いと思えるものを選んで形にすればいいわけです。
それはもちろん良いものを作りたいという気持ちからですが、そこまで考えたものならどんな評価をされようが自分で納得できるわけです。
酷評されても力が足りなかったと素直に思えるわけです。
これが中途半端に妥協したものだと、自分でもどうしたらいいかわからない焦りが出てきて、自己嫌悪に陥ります。
クリエイターは何度も逃げ出したくなるくらいに恥ずかしい自己嫌悪を繰り返して、次こそは納得できるものにしたいと泥沼にハマった状態でもがいているのです。
深いアイデアは人の感情を動かすだけでなく、世界を広げられるような感動をもらえます。
そう言うものを作れる人間に私はなりたい。