愛されるより愛したいは最強のマインドだと気づきました
愛されるよりも愛したい。
KinKi Kidsの曲です。
この曲が発売されたのが1997年なので、今から27年前ですね。
高2だった自分は27年前なんだなと。
思えば遠くへ来たもんだ。
こちらは武田鉄矢さん出演のドラマですね、1980年。
このドラマに関しては、生後半年なので覚えていませんが、海援隊のこの曲は名曲だと思います。
今回は海援隊の曲ではなく、KinKi Kidsの「愛されるよりも愛したい」というマインドは最強ではないかと。
高2の私には、この曲のタイトルの感覚は全く分かりませんでした。
というよりも、つい30後半まで分かっていませんでした。
愛されるより愛したい。よりも愛するよりも愛されたい。とずっと思っていました。
愛を試すような人生。
なかなかタチが悪いですね。
大前提に自分は愛されないという感覚がとても強くあったように思います。
多分、そのまま歳をとって人生を終える方もいらっしゃることを考えれば、40代で気づけたことは良かったなと。
愛されるよりも愛したいというマインドになれたのは、間違いなく子供の存在が大きいです。しかも、大きな存在が5人も!
4人目の子供までは、愛するよりも愛されたいという感覚の方が大きかったと思います。
4人目がというよりも、4人目までの蓄積で変わったんだろうなと。
愛されるというのは、相手の感情を自分に向けさせなければ成立しません。
愛するというのは、自分が愛しさえば成立するわけです。
どんな相手でも、どんな関係性であっても、愛するのは自分であり、自分だけで完結するわけです。
それで満足できるなら、それ以上に最強な状態はありません。
自分がコントロールできないものを求めるから苦しくなるわけです。
自分自身ではどうにもならないものを、どうにかしようとするから苦しくなるわけです。
生と死も同じですね。自分ではコントロールできないものなので、死に対して不安を抱いたり、生に対して執着する必要はありません。
だって、どうしようもないものなんですから。
ただ、今をどうするかは自分で選択できます。
愛されることは他者の協力が必要ですし、生と死に関しても神様がいるのなら神様の協力が必要です。
太陽を西から昇らせることもできないですし、朝を迎える時間を遅くすることもできません。
そして、人は案外どうにもできないことに執着したりします。
他者への批判なんかも、どうすることもできないことになぜ意見を言おうとするのか私にはよく分かりません。
炎上なんかも、炎上する人よりも炎上させる人たちの気持ちが分からなかったりもします。
そんなことより、身近にいる人たちを愛したらいいのになと。
そんな気持ちで日々を過ごしている私です。