noteを毎日のように書いて、反応のいい記事の特徴が分かったけれど、けれどなんだよなぁ
noteを毎日書こうと決めて23日間書き続け、家族の元に帰っている間は書かずにいて、また3日前から毎日書こうと決めて、現在に至っています。
このところ自分なりのハイペースでnoteを書き続けてきて、反応のいい記事の特徴が見つかったので書いていこうと思います。
最後まで読んで頂けると分かるのですが、この記事は非常に矛盾した内容となっています。
反応のいい内容は掴んでいるのに、そのことを伝えようとするこの記事は反応のいい内容になっていないんですよね。
どういうことかと言いますと、反応のいい記事の特徴が実体験をもとに書かれた参考資料というよりもエッセイに近い内容なんですね。
ということはつまり、この記事は実体験を分析して皆さんの参考になればと思って書いているので、反応のいい内容のようでそうでもないものになってしまっています。
この身になるような雰囲気のものよりも、追体験するような内容の方が反応がいいというのは、読むという行為が一周したような感じがします。
もしかしたら世間的には全くそうではないけれど、自分自身が見になるものよりも追体験を求めているからかもしれませんし、世間では相変わらず身になる内容(ビジネス本や自己啓発系)が流行っているのかもしれません。
エンターテイメント性を求めるなら、間違いなく見になるものよりも追体験できるものがマッチしていますし、時間潰しの読み物も追体験の方がマッチしています。
追体験なら身構えなくてもいいですし、思考を働かせなくてもいいわけです。
ストーリーに身を委ねればいいわけです。
SNSなどの発展で、誰もが自己表現をする時代になり、他人のストーリーよりも自分のストーリー、体験に価値が見出されていた時から、再び他人のストーリーに身を委ねる時代になりつつあるのかもしれないなと。
自分を中心に身になるような内容や自己表現のための発信側にいるのに、慣れたのか疲れたのかは分かりませんが、だいぶ前から一息ついた状態なのかもしれません。
旧Twitterを見ていてもなかなか酷い内容が多くなってきましたし、動画配信系も個性を出すことを求めているものよりも、みんながしているものを投稿している内容が増えているように思います。
映画を倍速で見ないと耐えられない時代から、再度映画や小説が世間的なブームを作る時代になっているのかもしれません。
まわるまわるよ時代はまわる
と中島みゆきさんも歌っていますが、時代がまわっても全く同じところには帰ってきません。螺旋階段のように近いところを通るけれど交わることはありません。
何もかもが早くなった時代で、どのような他人の物語が刺さるのか
なんて書きながら、そういう人たちがインフルエンサーやカリスマなんて呼ばれているのかもしれないなと、ふと思いました。
というわけで、なんやかんやで他人の人生ほど面白いエンターテイメントはないわけですし、どれだけ自分自身を晒すことができるのかが相変わらず重要なわけで、結果的に何かが変わったようでいて、時代は総自己表現時代が土台となって進んでいるんだなと、この記事を書きながら思わぬところに着地しました。
この記事は、果たして参考資料なのか追体験のストーリーなのか
どっちなんだい!!