異国の地・カナダへ
小学5年生の頃、父の仕事の関係で海外移住することが決まった。
父の仕事は公務員である。主に国税にかかわる業務に携わってきた。国際税務に関連する重要な仕事を任されたため、2年間の海外出張を命じられたからだ。
父は普段温和な人柄で、豪放磊落な性格の持ち主である。しかし、怒ると目を光らせるほどの表情に変わり、怖くなることもある。だから機嫌を損ねぬよう細心の注意を払わなくてはならない。それでも真面目でしっかり者である父は国税にかかわる仕事に誇りをもっていた。父の姿を見ると、映画『男はつらいよ』に登場する前田吟氏が演じる諏訪博に似ているなと思った。
父は三兄弟の次男として生まれ、祖父母のもとで愛情深く育てられた。
長男が父の兄であり、私の叔父にあたるが、彼は楽天家で細かいことを気にしない性格である。そんな叔父が一番尊敬の念を持っている人物が渥美清氏演じる車寅次郎だ。情にもろく、世話焼きで、どこか憎めない人柄で、世間に流されない変わり者の寅さんに人間的魅力を感じていた。
叔父と父の関係をみると、どうも車寅次郎と諏訪博の関係と瓜二つのような気がする。父が当時交際中だった母を紹介した時、叔父はきっと父に対し、「愛しているんだったら、態度で示せよ。」と言ったのではあろう。父は「そんなことを簡単に言えるわけがないじゃないですか!」と真顔で答えていたに違いない。そんな気がしていたのだ。
きっと母も端正なマスクと温厚な人柄に魅せられ、生涯のパートナーとして選んだかもしれない。そんな両親と家族を前にして、少々ユニークなところがあるなとつくづく思っていたのである。
話を戻そう。父は海外勤務先として駐在する場所がカナダに決定した。
首都オタワから少し離れたトロントという街に引っ越すことになった。
父の転勤が決まった時、私は慣れない土地でこれから出会う人々と仲睦まじくやっていけるのか。英語でのコミュニケーションについていけるのか。心底悩んでいた。異国の地での生活の楽しみがある一方、不安という名の重い石を背負っていくような気分に浸っていたのだ。
それでも、父は先にカナダへ旅立つ前にこう告げた。
私たち家族も後を追うように向かった。
トロントに到着し、私は現地校に入学する前に近くの英会話教室に通い、マンツーマンの指導で勉強に励んでいた。もちろん日本語を忘れないようにするため、隔週の土曜日に日本の授業が受けられる学校に通っていた。いわゆる補習授業といったところだ。勉強で追いつかないところを日本語での授業を受けて学習の理解を深めるためだ。
外国人との英語のやり取りは困り果てることが多くある。特に聞き取りのスピードに慣れるまで苦心していた。
私が通った現地校では幾人かの日本人が在学していた。気の合う仲間ができ、心強かったことを覚えている。
それでも、学校での勉強がはかどったかといえば、そうではない。相変わらず人との会話をなるだけ避けようとする傾向が強く出ていた。
トロントに位置するマッキースクールという学校は世界中から集まって学ぶ多国籍の生徒が大勢いる。現地のカナディアンだけでなく、台湾や香港などのアジア系も多く在籍していた。ある意味で「ダイバーシティ」のある環境だった。
あるカナダ人が近寄ってきて、鼻クソをほじっていた私に「ハナクソホジルナ。」と言われた。日本語の発音がうまいなと思いつつ、誰から聞いたのかと思ったら、知り合いになった現地校の同級生の日本人がカナダ人に教え込んだそうだ。
ちょっとした笑い話が場をはずみ、次第に学校生活に溶け込んできた。
そんなある日、ある事件を起こしてしまった。
私は遊んでいる途中で、どうやら香港人のクラスメートの眼鏡を壊してしまったのだ。
無邪気な振る舞いをしていたことを悪いと思っていない。悲しんだ姿を見ても気にせぬ顔で接していた。
後に校長室に呼び出され、校長は私を激怒した。震えが止まらない。嗚咽しながら泣き崩れてしまう。
もう退学処分を受けるのではないか。そんな生徒がいても迷惑者でしかない。そんな思いに囚われていた。
最後には和解したが、相手の心を傷つけたことは反省の念を込めなければならないと脳裏に焼き付けたのである。