無念
2011年3月11日、マグニチュード8の巨大地震が襲い掛かってきた。私たちにとって、想定外の出来事だったことに違いない。
当時、私は家にいた。家族と一緒にスーツに着替えて、東京の赤坂にあるホテル・ニューオオタニで行われる卒業記念パーティーに出席する予定だった。
しかし、午後14時46分、突然の大揺れを感じた。皆、机の下に隠れて身を屈めていた。
テレビでニュースを確認したところ、津波が東北地方を覆いつくした。街が浸水してしまい、建物や道路が泥にまみれた映像を目の当たりにした。
茫然自失だ。巨大な津波が街を覆い尽くし、多量の泥水と数多の瓦礫で埋め尽くされた東北地方の惨劇を見て、この世の終焉を肌で感じるような、衝撃的な出来事だった。
同時に福島県での原発事故が発生しました。放射能汚染が拡大し、住民は他県への避難を余儀なくされた。「もうあの土地には住めない。」と諭し、諦念と落胆を繰り返すばかりだ。福島県民の方々は、悲痛な気持ちでしかなかったのか。日々の暮らしが一度の大地震、頻発する余震によって一瞬にして消え去り、人々は底知れぬ不安と憤懣を抱えていた。
一方で、私の通った大学の卒業記念パーティーは中止となった。卒業式も取り止めになった。無念な大学生活の終わり方である。
その後、同学年の友人から「せめて皆で集まって卒業を祝おうぜ。」と誘いのメールを貰い、学園のキャンパスに足を運んだ。
出会った友達は皆、進路を決めることができたそうだ。故郷で英語教師になる人、会社に内定を貰った人、ミュージシャンになった人など、それぞれの進む道へ歩んでいった。
私は、大学院に残って研究をやってみたいと伝えてきた。決して後ろ向きなことは言わず、自分にしかない道があるんだと言い聞かせて、奮起を促したのだ。
最後に、皆で記念写真を撮り、大学での思い出として残して後にした。
帰宅後、パソコンでメールを開いたところ、恩師の先生から卒業生ないし所属ゼミの学生に向けてお祝いのメッセージを頂戴した。
『東日本大震災で被災された方々におかれましては、心からお見舞い申し上げます。長年の教員生活の中で、これほどの悲痛な気持ちを持ったことは初めてです。言葉に表せないほどの塗炭の苦しみを覚えた方々も大勢いらっしゃると思います。
悲惨な状況にも関わらず、こうして皆様のご卒業を迎えられたことを大変嬉しく思います。復興に至るまでは長期戦になると思いますが、社会へ巣立つ皆様には身の安全の確保を第一に考え、無事に生きていて欲しいです。
どうぞ皆様のお体をご自愛ください。
皆様の今後のますますのご活躍を心より祈念しております。』
細かい内容は覚えていない。だが、大方の内容はこのような温かいメッセージを受け取ったと確信した。
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