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芸能界を変える ー森崎めぐみが挑む働き方改革への情念ー



橋本環奈のパワハラ疑惑報道


 女優の橋本環奈氏が所属する芸能事務所のパワハラ疑惑が浮上しているとして、話題が上った。2024年11月6日付のAERA.dotによると、所属事務所の「ディスカバリー・ネクスト」は公式ホームページで「事実無根」と釈明した。その一方で、パワハラ疑惑を巡って、ある芸能事務所マネージャーはこのような証言を口にした。

< 所属事務所は疑惑を否定しており、どこまでがパワハラ発言になるのかは微妙なところですが、橋本さんといえども疲れていたり、機嫌が悪い時だってあるでしょう。『日傘を差すタイミングが悪いというだけで怒った』という話ですが、撮影の時は皆、それなりにピリピリしていますし、そんな女優ならたくさんいますよ。マネジャーの件に関しても、そもそもが肉体的にも精神的にもハードな仕事ですし、売れっ子の橋本さんの担当マネジャーとなればなおさらのこと。中には長続きしない人もいるでしょう。>

※太字は筆者強調

AERA.dot『橋本環奈、若槻千夏、田中みな実…「マネジャーが次々とやめる」タレントたちの“意外な共通点”』2024年11月6日

 橋本氏は不機嫌になることがままあり、マネージャーの応対に激怒することがある。担当マネージャーも”売れっ子女優”の仕事が舞い込んでくるため、常々激務にさらされていることから、精神的な鬱屈を隠し切れない。どちらも疲弊しているようだった。

 橋本氏が所属する事務所はマネージャーが次々と辞めていく実態を浮き彫りにした。代表取締役社長の伊藤功氏は『週刊文春』の取材に対し、10人も退職していたことを告白した。
 一例を挙げよう。2024年11月7日付の『FRIDAY DIGITAL』の記事によると、”ドリンク”に関する対応が酷だったと報じていることに驚いた。

< “たかがドリンクで?”と思う人が多いだろうが、芸能界では“ドリンク”にまつわる話は結構あるのだ。
 「今は50代になった元男性アイドルはマネージャーにジュースを買いに行かせ、自分の分も買ってきたマネージャーがアイドルより先に飲んだら、“タレントより先に飲むのは許せない”と自分のジュースを投げつけたのは有名な話です。またコーヒーが熱くて“火傷して歌えなくなったらどうするんだ”と怒鳴っていた歌手もいましたし、控室に指定した銘柄のミネラルウォーターが置いてないからと激怒した俳優もいました。」(テレビ局関係者)
 ドリンクだけではない。控室に加湿器が1台じゃだめだと、局内の加湿器をかき集めて10台用意させた美人女優や、控室のエアコンを修理していた業者の人に“いつまでやってるの! 暑くて我慢できない”と言ってスリッパを投げた美人女優も業界では有名な話だ。 だが、これらの話が週刊誌等で報じられたことはなかった。しかし最近では女子アナ出身の女優や朝ドラヒロイン経験がある女優も何人かパワハラ疑惑を報じられたことがある。 そもそも芸能界では珍しい話ではない。だからなのか、業界関係者はこんなパワハラ話を聞いても特に驚きはしない。>

※太字は筆者強調

FRIDAY DIGITAL『「使えねえ…」橋本環奈の報道で注目された、芸能界でありがちな“パワハラ”タレントの「共通点」』2024年11月7日

 この記事を読む限り、憤りを感じざるを得ない。破竹の勢いで売れ続け、富と名声を得た芸能人が内的不満をマネージャーにぶつけることはあってはならない。この記事では芸能従事者が単にわがままな態度を取っているに過ぎないと見て取れる。
 別の大手芸能プロの幹部は”パワハラ”タレントの共通点を見出したと語る。

< 「大手の事務所に所属しているタレントでも時々いますので、必ずしもそうとは言い切れませんが、“パワハラ疑惑”が飛び出すタレントに共通して言えるのは、所属事務所の“稼ぎ頭”であったり、所属が“そのタレントだけ”という事務所のタレントですね。タレントの機嫌を損ねて、辞められたら困りますから、お姫様か女王様、王子様のように扱ってしまう傾向があります。大手や老舗の事務所は新人のうちにタレントと事務所、マネージャーは二人三脚だということをベテランの社員がシッカリ叩き込みますから」(大手芸能プロ幹部)>

※太字は筆者強調

前記事 より

 要は事務所にとってタレントが稼ぎ手になるわけだから、存分に仕事をしてもらわなくては生きていけない。ライオンのように次々と獲物を狩りに行くのと同じように、無理を押してでもどんどん仕事をとっていくようにさせている。「完璧主義」を演出するために過剰なサービス精神も強要させる。これでは、担当していた新米の芸能マネージャーが辞めていくことは致し方ない。

 「マネージャーが次々と交代する」という実態は今に始まった話ではない。前出のAERA.dotによれば、過去にも同じ出来事があった。タレントの若槻千夏氏が23年間務めた所属事務所の『プラチナムプロダクション』を退所した時の話だ。事務所のパワハラ問題もざらにあるそうだ。

< 9月1日配信の「WEB女性自身」の記事には生々しい言葉が記されていた。テレビ局の情報番組スタッフはこう振り返る。
 「記事によると、若槻さんがマネジャーに『バカだなお前、本当に使えない』『辞めたほうがいい』などといったパワハラまがいの言動をしていたことで、事務所内からは『辞めてくれてよかった』という声もあがっていたとのこと。加えて、過去に若槻さん本人が“30人以上マネジャーが変わっている”といった趣旨の発言をバラエティー番組でしていたことにも言及。多少のリップサービスを含んでいる可能性はあるものの、実際に担当マネジャーが次々と代わることは有名だったというスポーツ紙デスクの証言も紹介しています」>

※太字は筆者強調

AERA.dot『橋本環奈、若槻千夏、田中みな実…「マネジャーが次々とやめる」タレントたちの“意外な共通点”』2024年11月6日

 ”おバカタレント”の異名を持ちながら、マネージャーへの暴言を繰り出すこと自体、滑稽なことだと思うのは私だけだろうか。
 さらに、芸能事務所の組織体質にも問題があると指摘する元社員たちがいる。あるコンサルタントは職場の教育体制があまりにも酷かったことを物語っている。

< 「書き込みの中で気になったのは、《入社しても教育やフォローは特になく放っておく割に向こうの常識は当たり前かのように注意されます》
《会社内の年齢層が離れており新人層と役員層で構成されています。中間層がおらず特に新人研修や新人教育の期間や講座は全く用意されていない》
 など、人に教える環境が整っていないように見えることです。
 新人層と役員層の間がいないということは、社員の勤続年数が短い、あるいは有能なミドルマネジメント層を獲得できていない・獲得する気がないという表われです。つまりはトップダウンの指示系統で、“兵隊”がたくさん欲しいように見える。
 芸能関係は人間関係も重要ですし、細かい業務が多数発生しますが、それらを有機的に束ねる組織になっていないのではないでしょうか。
 加えて、《基本的に業務は雑用》という書き込みもありました。この“本音”からも見て取れますが、ただただ現場が疲弊して辞めていくという繰り返しになっているのではないかと……」

 ある転職サイトに掲載されている同社の募集ページには、こんなアピールポイントも書かれている。
《当社は少数精鋭の組織ですが、チャレンジングな風土がある会社です。だからこそ、自ら積極的に行動する気持ちを持っていれば仕事の幅をどんどん広げていける環境なのも魅力であり特長です!》
 とアピールされているが、大手芸能プロダクション社員は「少数精鋭、チャレンジングというワードは人を選ぶ」と話す。
「少人数でイケイケの会社は大体“少数精鋭”と言いますが、フタを開けたら社長だけがすごいということがよくあります。
 あと、もちろん会社によりますが、チャレンジングと謳って何も教えずに自発的な行動を要求するのもよくある話。ちなみに私は前職で社員10人以下の芸能プロダクションにいて、求められていた自発的な行動の一環で自分で新人を育てようとしたら、なぜかあっという間にリストラされましたよ(笑)。
 やれと言うだけ言って、いざやったら潰すなんて理不尽ですよね。今から考えれば、私が勝手なことをやっているように見えて、それが気に食わなかったのでしょう。ワンマンな会社にありがちな話かもしれません」>

ピンズバ『「意味不明に怒鳴り散らす」元社員が転職サイトで告発…橋本環奈事務所社長“パワハラ告白”の闇と"現場の疲弊"』2024年11月5日

 タレントのプロ意識が高いことは立派なことだが、担当マネージャーへの度重なる暴言は人権意識の低さを表しているのではないか。転職サイトの求人内容ではいくら美辞麗句の言葉で並べられていても、現場の実態はタレントがマネージャーを罵る言動を行っていることがざらにある。枚挙に暇がないケースがあるなら、たとえ夢を持って芸能事務所のマネージャー職を就いても、すぐに辞めていくのは自明の理だ。



俳優・森崎めぐみの挑戦



 我々が視聴するテレビに映る芸能界は一見華やかな世界に見える。だが、それは表向きの顔に過ぎない。煌びやかで楽しそうな業界に対する想像はふたを開けてみれば、根底から覆ることになるほど荒廃する職場だった。この状態が続けば、芸能当事者も関係者も疲弊していくばかりだ。エンタメの世界を志そうとする次世代の若者たちは変わらぬ業界の組織的構造に見切りをつけ、海外のエンタメ界に流出してしまう。才能も海外で花を咲かせることになる。そんな危機的状況を黙って見過ごせなかった一人の女性芸能人が立ち上がった。

 俳優で日本芸能従事者協会の代表理事を務める森崎めぐみ氏が『芸能界を変える』(岩波新書)を上梓し、芸能業界が”無法地帯”と呼ばれるほどの惨状を克明に綴っている。フリーランスとして活動しながら、法整備の最前線に立つ。芸能従事者たちの人権を守るべく労働環境の改善に取り組んでいる。岐路に立つ芸能界の労働環境を変えるための”闘いの記録”であり、日本社会に対する問題提起の書でもある。
 本書から着目すべきポイントを抜粋し、どのような実状なのかについて詳述することにする。



トイレがない



 タレントにとって、安心安全に芸能活動を行う上で欠かせないことはトイレの存在だ。森崎氏はアンケート調査と現場の声を聞き取った結果、トイレのない場所が多いというのは問題だと指摘する。「トイレがないときはどうしているか」について、こう述べる。

< アンケートでは、トイレがないときにどうしているかを質問しました。(複数回答)。想像すらしたくない実態ですが、一番多いのは「公共のトイレに行った」九二・九%、次に多いのは「我慢した」二六・六%、「屋外でした」一七・五%、「近隣の民家で借りた」七・一%と続きます。
 男性ばかりだった芸能業界ですが、スタッフの男女比率に変化が起きています。特に近年は照明、録音、大道具などの重労働をする女性が非常に増えています。
 アンケートでも、回答者の性別は①女性 四九・○%、②男性 四六・五%、③その他・答えたくないが四・五%となっています。膀胱炎は発症率が二一・三%と蔓延しており、さらに症状が重い腎盂炎の発症も毎年報告されています。>

森崎めぐみ『芸能界を変える』岩波新書 p.21-22

 衝撃の内容だ。トイレが無いことで様々な弊害を生んでいることは想像に難くない。芸能従事者のアンケート調査から「我慢した」「屋外でした」「近隣の民家で借りた」と答えた人の統計を合わせれば51.2%もいることが判明している。もしトイレを我慢し続けていれば、膀胱炎を頻回することになる。ひいては腎盂炎という重い病気にかかるリスクが高くなる。さらに、現場にいた経験のある芸能従事者から、トイレがないことの具体的な弊害について、次のような解答を述べる。

・「スタジオでの収録で二時間たっても休憩が入らず、生理が重い日だったので洋服を汚すくらいの経血漏れを起こしてしまった。」
・「生理中の辛さをひとりでどうにかしなければならない」
・「山の中の撮影は特に大変で、その結果、急性腎盂腎炎になって入院経験がある」

前掲書 p.22

 芸能人は映画やドラマなどの撮影でロケ地に行くことが多い。ただ、現地に行ってもトイレなどの衛生環境が乏しく、尿意を感じても恥たる想いをするや現場関係者から「我慢しろ!!」との恫喝がくるや、撮影途中で現場から逃避することが不可能ということだ。これでは安心して撮影現場に臨めるはずがないだろう。特に冬場は心身ともに凍てつく寒さを感じるため、体力的にも精神的にも辛い。トイレにも行けないとなると、なおさら病気にかかる危険性を孕んでいるのだ。タレントと芸能従事者はこの現実を真摯に受け止めるべきだ。



テレビが伝えない労働環境の劣悪さ



 森崎氏は現場の声や労働に関する調査データから、テレビなどのメディアが絶対に伝えない労働環境の劣悪ぶりを明るみに出している。「トイレがない」という声の他にも、次のような問題が浮上している。

・更衣室が足りない
・食事がない。あったとしても質が悪く、栄養面が偏っている
・長時間労働が多い(特に芸能マネージャーなどの職)

 こうした声が上がっていた。では、対策は行われているのか。答えはNOだ。森崎氏は「安全衛生の取り組み」についてアンケートをとったところ、次のような答えが返ってきた。

・仕事先で就業時間を把握されていない 六五・九%
・長時間就業にならないルールがない 七九・六%
・ストレスチェックを受けていない 九三・〇%

< 改善のための意見として、「芸術を創る時間を労働として考えてほしい」「労働時間を決めて、守り、契約書にしてほしい」「全員下請けではなく、雇用して時間管理をするべき」などがありました。>

前掲書 p.35-36

 どうも日本社会は芸能の世界に属する人々を「労働者」と見なされていないようだ。このような事実に目を背けてはいけない。
 因みに、森崎氏はテレビ局や撮影所に食堂がなくお弁当になる場合、偏食にならないよう、お弁当を遠慮してリンゴを一つ持参して済ますようにしていた。体型維持のために高カロリーの食べ物をできるだけ摂取しないようにしていたと言う。



横行するハラスメント



 煌びやかに見える芸能界だが、実は日本の芸能人のハラスメントが諸外国と比べて横行しているという事実がある。先述の橋本環奈氏のパワハラ疑惑報道においても、コミュニケーションのトラブルが相次いでいる。それにもかかわらず、日本ではハラスメントへの対策を講じてこなかった。
 諸外国では芸能人のハラスメントに関する実態調査を行っていた。その内容は次のように挙げている。

・二〇〇七年と一二年に、カナダ俳優協会(CAEA)は「安全で敬意のある職場」をテーマにアンケート調査を実施。
・二〇一四年には、イギリスの俳優組合がいじめとハラスメントの調査を実施。
・二〇一六年には、アイルランドの俳優組合はセクシュアル・ハラスメント調査を実施。
・二〇一七年には、オーストラリアのメディア・芸能・芸術団体(MEAA)は舞台芸術におけるセクシュアル・ハラスメントの調査を実施。
・南アフリカの女性団体(SWIFT)は、映画とテレビ産業におけるジェンダー格差の調査を実施。

前掲書  p.40

 これらの調査から、世界中の芸能界でハラスメントが起こっていることは一目瞭然だ。被害後のダメージが深刻であり、精神疾患を患って芸能界を辞める人も多い。このような事態を撲滅するため、世界各国は早速対策に乗り出したのだ。森崎氏は世界各国で行われたハラスメント対策について次のように述べる。

< 二〇一八年にまずカナダの俳優組合(ACTRA)が「ハラスメントといじめと差別と暴力を防止するための行動規約」を策定しました。ハラスメント行為者の数が多かったプロデューサーや監督に行動規約を守ると誓う署名を求め、数百にのぼる同意を得ました。
 フランス語が公用語であるカナダのケベック州の俳優連合(UDA)では、互助団体L'APARTEと合同でフランス語による行動規約を策定しました。
 アイルランドでは、劇場で使用するための行動規約を、南アフリカの俳優組合は利害関係者との行動規約を策定しました。
 アメリカの映画俳優の組合は、セクシュアル・ハラスメントを定義して、敵対的な職場環境やハラスメントを告発した者への報復などを禁止する行動規約を策定しました。ブロードウェイの舞台俳優の協会は、「リスペクトに満ちた職場に向けた規約」を策定しました。
 イギリスの俳優連合は、テレビ業界におけるいじめや嫌がらせの撲滅のための規約を策定しました。
 次々とこのような動きが連鎖していきました。これらの動きは各国政府のハラスメント防止の法整備の後押しになったに違いありません。
 ILOは「仕事の世界における暴力とハラスメントの根絶に関する条約」の採択に向けて着々と進み、世界中から加盟国の代表が集まりました。日本でも厚生労働省が男女雇用機会均等法を改正してセクハラ防止対策の強化に向けて動き出しました。
 しかし、私にとって想像し得ないことが起こりました。男女雇用機会均等法は雇用された労働者を対象とするため、フリーランスである芸能人は除外される方向で審議が始まったのです。法律の立て付けの理由で仕方のないことではありますが、納得がいきません。>

前掲書 p.41-42

 世界各国で早急にハラスメント防止対策を実行したのに対し、日本は遅々として進まない。これは「芸能人は好きでやっている人たち」と見なされ、雇用された労働者の対象とならず、放置されたままになっている。特段、芸能人はフリーランスで活動しているため、ハラスメント対策から除外されている。これでは、芸能人はいつまで経っても泣き寝入りしたままでいると断定できないだろうか。ハラスメントや労働環境の悪化が目に見えているにも関わらず、「自己管理は当人の責任」として見なされ、おざなりにされている。森崎氏が不平不満を持つのは当然だといえよう。



日本の芸能におけるハラスメントの類型



 日本の芸能界にはアンケート調査についてほとんど実施することがなかった。仕事上の守秘義務とされることが多く、アンケートがあっても回答を差し控えるような空気が蔓延していた。しかし、状況は一変した。インターネットの普及により、アンケート調査のやり方が格段に取りやすくなったからだ。個人情報を追跡できない設定のオンラインであれば、容易にアンケートに関するデータを収集することができた。したがって、現場で働く芸能人が他人に言えない悩みや困りごとの声を拾い上げ、データ分析で可視化することに成功したのだ。

 日本の芸能界におけるハラスメントは大きく6つの類型に分かれていると森崎氏は詳述する。

< 芸能分野にはパワハラは色濃く残っています。独特な徒弟制度が残っているため、技術を継承する場合などに優越的な関係が生まれやすく、指導中に勢い余って手が出たり暴力が発生してしまうこともあるでしょう。長時間労働をさせられて疲れていたら、イライラして怒鳴ってしまうこともあるでしょう。パワハラの類型は六つあります。

・第一類型 身体的な攻撃 [暴行・傷害等]
・第二類型 精神的な攻撃 [脅迫・名誉毀損・侮辱・酷い暴言][性的なうわさを流された]
・第三類型 過大な要求 [不要・遂行不可能なことの強制][身体的な危険を伴うことをさせられた][脱いだら仕事が増えると言われた][同意なくヌードを撮られた]
・第四類型 人間関係からの切り崩し [無視]
・第五類型 過小な要求 [「男のくせに」「女には仕事を任せられない」などと言われた]
・第六類型 個の侵害 [酒席でお酒・デュエットなどの強要][仕切りがないところで着替えをさせられた][性的指向や性自認を話題にされた・からかわれた][トイレがなく野外での排泄を余儀なくされた]

 これらの言葉を自分で書くとなると躊躇しそうな内容ですが、〇か✕かチェックするだけで答えられる形式にしたところ、四一八人のうち最大八三・〇%の方からイエスの回答が得られました。>

前掲書 p.46-47

 一般の社会でもブラック企業で働く人の心理や職場は凄惨なものが多々ある。芸能界でも6つのタイプに分類されているハラスメントが横行している実情を考えてみると、同様に落胆するだろう。芸能の場に身を置く人々の救いを求めようとする声は貴重な証言になりうる。メディアの表向きでは明かされない燦燦さんさんたる現実を目にしても、関心を示さないのはなぜだろうかと思いたくなる。

 森崎氏はハラスメントが一向に減少しない理由についてこう指摘する。

< ハラスメントが減らないことの大きな要因として、相談先がないことが非常に大きいと考えられます。ハラスメントを受けたとき誰に相談したかを質問すると(複数回答、二五一名)、ほとんどが家族・友人・知人(六五・七%)、所属先・現場の関係者(五〇・二%)でした。専門家(医師カウンセラーなど二三・一%、弁護士・社会保険労務士八・〇%)、第三者機関である自治体などの相談機関(六・四%)や、労働組合や所属する団体(六・四%)、警察(四・四%)に相談した人は限られています。解決につながりやすい、加害者が所属する会社などの相談窓口に行った人も五・六%と非常に少ないです。相談しなかった理由は(複数回答、二五五名)、相談することで人間関係や仕事に支障が出ることを恐れていたり(六三・五%)、不利益をこうむる恐れをもつ人が約半数(四七・八%)いました。そもそも相談先がわからなかったり(三八・五%)、被害による精神的ショックから話せる状態になかった人(二五・九%)や、証拠がないから諦めた(二一・六%)といった人も多いです。>

前掲書 p.58-59

 統計データからわかるように、相談先が限られていることにある。悩み事のほとんどを家族や友人に話す機会をつくった人は半分いるものの、人間関係や仕事に支障をきたすことを理由に相談をためらう人も半数以上いる。
 私も抑うつ状態を経験したことがある。精神状態が不安定であり、日常生活を普段なく送れないのであれば、親身になって相談できる場所やコミュニティを活用したほうが身のためだ。



芸能人の苦悩



 芸能人の中には仕事や人間関係の希薄、将来への不安を抱え込み、誰にも心の本音を開くことが出来ずに自ら”死”を選択する人がいる。森崎氏はこの問題についても深く言及している。

< 非常に残念なことですが、芸能人の自死は少なくありません。二〇二一年から二三年の芸能業界の調査で自死願望がある人の割合を調査すると、なんと三二・五~五三・三%もの多くの人たちが「仕事が原因で死にたいと思ったことがある」と答えています。著名な方の自死は話題を呼びがちなので、読者も報道を見聞きしたことがあると思います。著名人の自死は社会的影響が大きく、自死報道の後に全体の自死者数が三〇%も増えてしまうことも明らかになっています。
 これまで述べた就業環境からストレスが起きる要素はあるだろうと想像できますが、予防策が講じられたことはなかったようです。>

前掲書 p.62-63

 ここでは著名人の名前を挙げることはないが、芸能人の中には就業環境で慢性的なストレスを抱え込みながら、どこかに悩みを打ち明ける場所を求めていた。長時間労働や性的パワハラなどの原因で自ら命を絶つことを願望する人がいることを突き付けられた話だ。これに対し、芸能業界はタレントたちの声を聞かず、ひたすら成果を求め続けたのではないか。”過酷な環境や理不尽な想いに耐えることこそ一流になれる”という訳の分からない理屈がまかり通っていたのではないか。そんな気がしてならない。



4度のうつを経験した水道橋博士




 貴重な一人の体験談を挙げよう。お笑い芸人の水道橋博士氏は過去に4度のうつを経験した。彼が精神的不調に悩まされるようになった原因は次の4つの通りだ。

① 原発問題の発言で批判を受け、沈黙を余儀なくされる
② 働きすぎ
③ 箕輪厚介氏との格闘技で前歯を3本折られる
④ 政治家としてのプレッシャー

 直近で、博士氏が参議院議員時代に官僚から精神的負荷のかかる仕事を何とかこなしつつ、映画『福田村事件』の撮影で日本人同士の子どもを殺す役を演じることから脳のキャパシティーが限界を迎え、4度目の鬱病を発症した。政治家になる前はテレビやラジオの仕事で生計を立てていた。それがなくなり、無収入の状態で政治活動に臨んでいたそうだ。3人の子どもの父親であり、彼らの教育費を賄わなくてはならないという焦りとプレッシャーに耐え切れず、精神的な不安が付きまとうようになってしまった。
 博士氏は幸いにも所属事務所があるため、主張する権利を持っている。だが、彼が属する芸能プロダクションもおそらく雇用関係になく、労災を申請することができないと思う。基本的に自身で仕事をとりにいくため、事務所が身の安全を保障するわけではない。
 議員辞職後、鬱の影響で活動ができず、収入もない状態だった。希死念慮の一歩手前にまで追い詰められていた。しかし、書評や論考を書くなどして文筆業で糊口をしのいできた。また家族の献身的なケアと本業の応援に支えられ、命を繋いだ。現在は芸能稼業に復帰し、トークイベントを中心に活動している。不死鳥のごとく蘇ったのだ。



事故で大けがをした恩田恵美子



 森崎氏は元俳優の恩田恵美子氏の話を取り上げて、芸能人たちの健康が蔑ろにされていることに落胆したと言う。

< 二〇歳のときから六〇年間も俳優をしていた恩田恵美子さんは、体が丈夫で、病気で仕事を休んだことは一度もなかったそうです。ドラマなどテレビ番組に毎月のように出演していましたが、二〇一七年、ドラマの撮影中の事故で右脚の根元にある転子部を骨折し、大手術と数カ月にも及ぶリハビリ入院で回復に努めましたが、俳優業を引退せざるを得なくなりました。
「俳優は労働者ではない」との理由で労基署に申請した労災保険が退けられ、「え?こんなに働いてるのに労働者ではないの?」と納得のいかない思いをされた恩田さんは樹木希林さんがインタビューで語った「自分たち役者は肉体労働者だ」というタイトルの新聞の切り抜きをいつも持ち歩いていました。
 時間も場所も指定されずに働いていると判断されたことを否定するために、撮影時に制作者から配布された詳細なタイムスケジュールが書かれた「香盤長」と呼ばれる予定表を提出しましたが、俳優の働き方はなかなか理解されませんでした。>

前掲書 p.85-87

 恩田さんの大けがの件でさえ労災認定されないのは遺憾だ。「俳優は労働者ではない」とみなされ、労災申請書を却下された形で泣き寝入りすることになった。
 「芸能人は労働者ではない」は本当のことなのか。
 弁護士法人浅野総合法律事務所の芸能従事者に関する記事によると、芸能人(タレント、俳優など)が「労働者」に該当するものとして4つの項目が挙げられるという。

 ・指揮監督下にあるか
 ・専属性があるか
 ・代替性があるか
 ・事業者性があるか

 これらのうち、いずれかに該当しなければ「労働者」として認定されることは困難だ。タレントを扱う会社も業界内のルールや慣習を過信していると、労働法に基づく請求を受ける恐れがある。この法律の内容を理解しなくてはならない。4つの条件についての要点を順番に説明すると次の通りだ。

指揮監督下にあるか

 芸能活動の内容について事務所から具体的な指揮命令がなされ、これに従わなければならない場合、その芸能人(タレント)は「労働者」と評価される可能性が高いです。「労働者」だからこそ、労働契約を結んだ使用者の指揮監督下に置かれ、具体的な業務命令に従う義務が生じるからです。

専属性があるか

 労働契約でも副業は許されますが、本来、「労働者」とは雇用される一社に従うのが基本でした。これに対し、業務委託で働く個人事業主なら、様々な会社からの発注を受けることができます。芸能人(タレント)も同様で、1つの事務所と専属契約を結び、他社からの仕事を受けられない場合、「労働者」と評価される可能性が高まります。

代替性があるか

 代替性とは、仕事の依頼を受けたときに、その依頼を他人に代わりにやってもらうことが可能か、という点です。「労働者」ではなく個人事業主なら、自分の雇用する社員に遂行させることも可能です。これに対し、自分で全て対応する必要があり、代替性がないなら「労働者」である可能性が高まります。ただし、芸能人(タレント)の場合、その人の個性の重要性が高いケースが多く、代替性がないからといって直ちに「労働者」と言い切れるかは難しいところです。

事業者性があるか

 事業者性がある場合には、芸能人(タレント)は、個人事業主と評価されます。
 例えば、衣装や小物、小道具など、芸能活動に必要な物品について「芸能人(タレント)が自分で用意する」という場合、事業者性があると評価されやすく、「会社の費用負担で貸し与えている」場合は事業者性が低いと考えられます。

弁護士法人浅野総合法律事務所公式サイト『芸能人(タレント)は労働基準法で保護される「労働者」?』より

 恩田恵美子さんはかつてエム・スリー(現・有限会社グルー)に所属していたことから、雇用された「労働者」として「専属性がある」と考えられる。しかし、2020年9月26日付の産経新聞によると、芸能プロダクションの労働契約の関係性について次のように詳述する。

< 俳優などの芸能関係者はプロダクション会社などと雇用関係になく労災保険の対象外になるケースが大半だが、対象に含めてほしいとの要望が強く厚生労働省は拡充を検討している。恩田さんが労災認定されれば俳優らの働く環境の改善につながりそうだ。>

産経新聞『ドラマ撮影時に脚骨折…ベテラン俳優が労災申請「労働者と同じ」』2020年9月26日

 「俳優などの芸能関係者はプロダクション会社などと雇用関係になく労災保険の対象外になるケースが大半」という事実はシンプルなものであろう。おそらく恩田さんの所属先の芸能事務所も労災保険の対象外となり、香盤長を示して申請しても「確固たる証拠ではない。」と断られたことになる。
 労働基準監督署は「芸能人は労働者」の判別が難しいため、「芸能人は好きにやっている人たち」と一括りにして申請を退けているのではないか。特にフリーランスで活動する芸能人の場合は立場が弱く、労働環境に疲弊しながらどこにも相談できずに路頭に迷うことになる。
 だが、芸能人はボランティア活動ではない。一般人と同じように給与を貰う「労働者」として事務所に所属しながら活動している。もちろん、各々のタレントと芸能マネージャーが仕事を取って稼いでいることは事実だ。ただ、芸能事務所の中には専属契約を結んでおり、給与制を採用する事務所もある。後者の場合は「労働者」として認定されても何ら問題がないはずである。万が一芸能人が事故によって怪我や病気を患うことになった場合、休業補償を貰うのは当然の権利といえよう。それを「芸能人は好きでやっている」とみなすのは「面倒だから」の一言で済まそうとしているのではないか。そうなれば、労働基準監督署側が現場の実態を知らないことに原因があるとの意味づけがなされることになる。

 森崎氏は数々の芸能人たちが現場で「モノ扱い」され、疲弊していく様に直面してきた経験から労働法の整備を拡充するための活動を始めた。いわば、”働き方改革”の闘いはここから始まったのである。



これからの芸能界に望むこと



 森崎氏は今後の芸能界をより働きやすい環境に整えるための提言をまとめている。まず、過労死を防止するために厚生労働省に働きかけて芸術・芸能分野の白書を作成することを求めたと詳述する。

< 芸能従事者が労災保険を得た二〇二一年の「過労死防止大綱」で、この白書を作るための調査対象として、長時間労働の実態がある業種に芸術・芸能業界が追加されました。数ある白書のなかでもまさに芸能分野の課題にあったテーマです。このフリーランスである音楽家や俳優などは立場が非常に弱いことや、事務所等との契約内容が不利なことから調査するのと同時に対策を講じてほしい、フリーランスのデザイナー、俳優、ダンサー、振付師、劇作家や研究者、伝統芸能の継承者なども対象とするべき等の声が寄せられました。>

森崎めぐみ『芸能界を変える』岩波新書 p.195

 2023年には過労死についての調査報告書がまとまった。報告書の中には「自由に働いているとは言えない」との声明文が記載されていたのだ。

< 芸術・芸能実演家が日常的に関わる内容に沿った質問で、仕事を受ける時に断れるかどうか、誰かと代わることができるかどうか、仕事の交渉力があるかどうかの質問がありました。
 その結果、裁量性が五〇・〇%である人が一番多い結果(三五・九%)が出ました。つまり芸術家・芸能実演家の場合は労働者性はゼロではなく、少なくともグレーゾーンであるといえます。>

前掲書 p.197

 「グレーゾーンに位置する」という点が重要な指標となる。曖昧な基準をどう判別するかにかかってくる。他にも、過度なうつ状態や過剰な心理的負荷などの項目が挙げられた。この白書に芸術・芸能分野の項目が含まれたことでより一層の改善が見込まれることを願うばかりだ。

 そして、何よりも大切なことはフリーランスの人たちと芸能従事者たちが安心して働けるようにすることだと森崎氏は再三にわたって強調する。次の3つに分類される。

1. 正しい価値づけ
2. 徒弟関係の合理化
3. マネージメントのDX化

 これらの働き方を重視していく必要がある。



”そんなら悩まずに前を向いていらっしゃい”



姜尚中『漱石のことば』集英社新書 の帯文

 本稿を締めくくるにあたり、日々奮闘する芸能人たちに紹介したい言葉がある。文豪の夏目漱石の名言だ。
 私が最も尊敬する政治学者の姜尚中氏は『漱石のことば』(集英社新書)を書いている。半世紀以上に渡って漱石文学を読み続けてきた姜氏は作中の登場人物の言葉から、現代に生きる我々に「生きる勇気」を与えてくれる名言を一つ一つ紹介している。最後の148番目の名言「そんなら死なずに生きて居らっしゃい」は示唆に富むものだと思う。

< つぎまがかどへ来たとき女は「先生に送つていただくのは光栄で御座います」と又云つた。私は「本当に光栄と思ひますか」と真面目まじめに尋ねた。女は簡単に「思ひます」とはつきり答へた。私は「そんならなずにきてらつしやい」と云つた。
                      (『硝子戸の中』より)

 すっかり夜も更け、帰路を送っていった漱石は、彼女に向かって「きてらつしやい」と言いました。この言葉を、私は漱石のすべての人に対するメッセージとして受け取りたいと思います。私もみずからにそう言いきかせているのです。>

姜尚中『漱石のことば』集英社新書 p.239

 一見素っ気なさそう返し方に思えるが、夏目漱石が自身の小説で遺したこの言葉は鬱屈と不安が渦巻き、ますます先の見通せない時代を生きる我々に身にしみるような肯定的な意味を込めていると思う。
 この言葉を言い換えて、すべての芸能人に言いたい。

「あなたは芸能界に入って、本当に幸せですか?」

 もし「私は幸せです。」と応えたら、このように答える。

そんなら悩まずに前を向いていらっしゃい



<参考文献>

森崎めぐみ『芸能界を変える ーたった一人から始まった働き方改革』岩波新書 2024
姜尚中『漱石のことば』集英社新書 2016


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ハリス・ポーター
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