育て上げネットが人生をやり直せる場所となる
ある男性の悲劇
東洋経済新報社が取材する上述のレポートを読んで、衝撃を受けました。思わず、言葉を失いました。「どうしてこんな決断をせざるを得ないのか…」と。
ジャーナリストの鈴木貫太郎氏は自死を選択した岩井さんの人物像について、次のように語ります。
名門大学を出たにも関わらず、36歳で世を去った岩井さんは社会に相談できる居場所がなく、孤独感に苛まれていたのです。いったい何に悩んでいたのでしょうか。転機となったのは学生時代の就職活動だったと鈴木氏は言います。
やはり、就職活動で壁に当たってしまったのでしょう。鈴木氏は続けます。
岩井さんは心の病に闘ってきました。けれども、次第に「もう誰にも助けてもらえない..」と思い、追い詰められたのです。孤独感が増幅し、社会に嫌気を差して自裁に至った。悲惨な結末を迎えたという記事を読んで、私は言い尽くせない思いでいました。
新卒一括採用から零れると…
岩井さんが亡くなったのは2019年ですから、生きていれば41歳になります。社会人経験を経て大学に入り、卒業する頃には29歳。2017年卒となります。確かに就職氷河期世代の中心層から離れた時期でした。しかし、29歳という年齢で採用を断る企業が多かったようです。岩井さんの経験から考えられることはやはり「新卒一括採用」制度が弊害を生んだのでしょう。
ほとんどの企業は高校生や大学生などの18歳~22歳の若者たちを青田買いにします。彼らにとっては人材獲得を合理的に行える制度だからです。しかし、新卒一括採用制度の下で不況期に就活を始めた時、プレッシャーを感じやすくなります。「一度失敗するとなかなか正規職に就けない」という問題があります。また、病気やケガなどの原因で一度離職してしまうと、再び労働市場に参入することが難しくなります。なぜなら、企業側が人材教育のコストを無駄にかけたくないからです。
要するに、就職戦線で波に乗れずに無職になる人たちを見るにつけ、企業側は「努力不足」「怠け者」と捉えてしまうというわけです。(詳細は近藤絢子『就職氷河期世代』中公新書をご参照ください。日経新聞にも取り上げられました。)
育て上げネットが人生をやり直す場所となる
就活で難なく退散した人々は行き場を失い、孤独感と闘うことになります。そんな時に社会の中のコミュニティに居場所を求めても良かったのではないでしょうか。何度も取り上げますが、NPO法人『育て上げネット』は社会投資事業の一環として、若者たちの「働く」「生きる」を応援する場として日本社会に根付いています。近年は10代・20代だけでなく、30代後半から40代まで年齢層を広げています。人々の悩みを聞き入れています。
上記の記事も社会福祉士のサイボウズ@もっちー氏が大阪市のコーヒー店を運営する宮内氏への取材を通じて、コーヒーをつくる楽しさを語っています。宮内氏は「コーヒーに自由を感じた。」と言います。
若者たちの中には日本社会のルールに馴染むことができる”適応力”を持っていますが、そのような規範に縛られる社会で「生きづらい」と感じているのも事実です。宮内氏はコーヒー店の店主から「やりたいようにやったらいい」という助言のおかげで気持ちが楽になったのでしょう。型通りにコーヒーを入れても、来客にとっては味に深みがなかったり、コーヒー豆ならではの渋みの良さが理解できないのです。だからこそ、好きなように入れてみる。宮内氏はコーヒーから「自由」を学んだのです。
『育て上げネット』の理事長を務める工藤啓氏も公式noteでユニークな活動を企画・紹介し、若者たちとの距離を縮めていこうと精力的に取り組んでいます。その一例として、「肉でつながるBBQ」の企画がありました。
岩井さんは大学で政治思想を学んでいました。日本の政治や社会について思うところがあったのでしょう。それならば、カフェのような場所でドリップコーヒーを飲みながら、対話を通じて政治や社会について語り合うような「市民向けの政治哲学カフェ」の場をつくっても良かったのではないかと思います。
高学歴というプライドが足かせとなり、「人や社会に頼ることは弱い自分を見せてしまう」という心情があったかもしれません。それでも「育て上げネット」は肩書やバックグラウンドを気にしていません。立場を超えて、少しでも生きやすくなるために存在するコミュニティなのです。
もし存命であり、工藤啓氏の本や活動を知っていれば、岩井さんの人生は変わったかもしれません。あるいは、岩井さんの悩みや葛藤を真摯に受け止めてくれる良き理解者がいたかもしれません。
「育て上げネット」は人生をやり直すための場所となる。彼らの活動に協力する企業や役所が増えてきた時、日本社会は再び希望の光を照らす。弛まぬ努力を重ね続けるNPOの活動を世の中に浸透していく必要があるでしょう。