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育て上げネットが人生をやり直せる場所となる



ある男性の悲劇


 東洋経済新報社が取材する上述のレポートを読んで、衝撃を受けました。思わず、言葉を失いました。「どうしてこんな決断をせざるを得ないのか…」と。

 ジャーナリストの鈴木貫太郎氏は自死を選択した岩井さんの人物像について、次のように語ります。

< 岩井は政治思想に詳しく、多様な人間たちがつくり上げる共同体の可能性を信じていた。後輩からも慕われる優秀な岩井を「大成する」と固く信じていたのは筆者だけではない。しかし、彼は2019年の1月、自死の道を選んだ。

この秋、民家に囲まれた墓地の一角にある岩井の墓を訪れた。墓前には缶ビールが3本置かれていた。私も、ヱビスの缶ビールと仏花を供え、手を合わせた。自分用に持参したノンアルコールビールを口にしたら、こんな思いが湧いてきた。「なぜ日本社会は岩井の才能を生かしきれなかったのか」。>

※ 太字は筆者による強調

東洋経済ONLINE『自死の道を選んだ「就職氷河期世代」の夢と現実』2024年11月13日

 名門大学を出たにも関わらず、36歳で世を去った岩井さんは社会に相談できる居場所がなく、孤独感に苛まれていたのです。いったい何に悩んでいたのでしょうか。転機となったのは学生時代の就職活動だったと鈴木氏は言います。

< 就職氷河期世代とは、バブル経済が崩壊し新卒採用枠が激減した時期に就活を経験した世代を指す。一般的な定義では、1993年から2004年に大学・大学院の卒業・修了を迎えた世代とされる。岩井と筆者は、就職氷河期世代の中心層から少し外れている。

ところが、世界的な金融危機リーマンショックが起きた2008年以降の数年間、一時回復していた就職率は「氷河期逆戻り」と呼ばれるほどの低水準に落ち込んだ。そのため、ちょうど筆者が就活をしていた時期には、「100社近く履歴書を送っても、面接で落ちまくり1社も内定をもらえなかった」など就職氷河期と酷似する悲惨な経験談を聞いた。>

※太字は筆者による強調

前記事より

 やはり、就職活動で壁に当たってしまったのでしょう。鈴木氏は続けます。

< 社会人経験を積んだ後に大学へ入学した岩井は、卒業時点ですでに29歳だった。年齢を理由に書類選考で落とされ、表情が浮かない岩井を目撃していた知人がいた。

就活へ向けた準備が本格化し出す大学3年の春、心の病を発症。症状が軽快し一度は内定を得たが、卒業直前に再発し内定を辞退せざるをえなかったという。就活で悩んでいた時期の岩井をよく知るYは後悔の念をこう吐露する。

「一時期は『薬を飲まないと生きていられない』というほど落ち込んでいた。岩井に『おまえには両親もいるし、実家に住めて幸せだよ』と言われたことがあった。その後、塾経営や地元政治家の手伝いなどをしていたので、元気なのだと思い込んでいた。人知れず孤独感を抱えていたのかもしれない」>

前記事より

 岩井さんは心の病に闘ってきました。けれども、次第に「もう誰にも助けてもらえない..」と思い、追い詰められたのです。孤独感が増幅し、社会に嫌気を差して自裁に至った。悲惨な結末を迎えたという記事を読んで、私は言い尽くせない思いでいました。


新卒一括採用から零れると…


 岩井さんが亡くなったのは2019年ですから、生きていれば41歳になります。社会人経験を経て大学に入り、卒業する頃には29歳。2017年卒となります。確かに就職氷河期世代の中心層から離れた時期でした。しかし、29歳という年齢で採用を断る企業が多かったようです。岩井さんの経験から考えられることはやはり「新卒一括採用」制度が弊害を生んだのでしょう。

 ほとんどの企業は高校生や大学生などの18歳~22歳の若者たちを青田買いにします。彼らにとっては人材獲得を合理的に行える制度だからです。しかし、新卒一括採用制度の下で不況期に就活を始めた時、プレッシャーを感じやすくなります。「一度失敗するとなかなか正規職に就けない」という問題があります。また、病気やケガなどの原因で一度離職してしまうと、再び労働市場に参入することが難しくなります。なぜなら、企業側が人材教育のコストを無駄にかけたくないからです。

 要するに、就職戦線で波に乗れずに無職になる人たちを見るにつけ、企業側は「努力不足」「怠け者」と捉えてしまうというわけです。(詳細は近藤絢子『就職氷河期世代』中公新書をご参照ください。日経新聞にも取り上げられました。)



育て上げネットが人生をやり直す場所となる


 就活で難なく退散した人々は行き場を失い、孤独感と闘うことになります。そんな時に社会の中のコミュニティに居場所を求めても良かったのではないでしょうか。何度も取り上げますが、NPO法人『育て上げネット』は社会投資事業の一環として、若者たちの「働く」「生きる」を応援する場として日本社会に根付いています。近年は10代・20代だけでなく、30代後半から40代まで年齢層を広げています。人々の悩みを聞き入れています。

 上記の記事も社会福祉士のサイボウズ@もっちー氏が大阪市のコーヒー店を運営する宮内氏への取材を通じて、コーヒーをつくる楽しさを語っています。宮内氏は「コーヒーに自由を感じた。」と言います。


< 僕はコーヒーを入れることってドリップっていうんですけど、

このドリップに「自由」を見つけたんですよね。
(中略)

もともと、やってみたらと言ってくれたコーヒー屋さんに影響を受けているんですけど、その人がコーヒーって自由だっていうことを暗に教えてくれました。
コーヒーの本とかを読んだらドリップするときに、何秒間で何ccを注ぐみたいな答えのようなものがいろいろと書いているんですけど、そんなのは気にしなくていいって。やりたいようにやったらいいんだって言われて。

でも実際はどちらかというと教科書ありきでやりたいタイプなので、
その通りにやっていたんですけど、やってみたら、
本当に自由があるんだなっていうことに気が付きました。

その時に、若者たちって、結構社会の規範みたいなもの強制されていたりする部分があるから、それでしんどくなっちゃっこともあるので、そんな世の中でも、自由って存在するんだなっていうのがわかったっていうのもあって、コーヒーは若者支援でも使っていけるって思いました。

やってみて感じるのは、コーヒーの面白いところは、自由だと思いつつもそうじゃなく、やはりこうルールに引っ張られるっていう若者は多いです。

だからこそ生きづらいと思うのだと感じます。

僕も、コーヒーに自由を感じたのですが、やっぱりルールに引っ張られる時であるんですよ。こんなに自由だって言っていても、、、。だから、ルールもあって、自由もある。そういうところをいろいろと感じながら、結果的に自分の中のそのルールや、自由みたいなものを見つけ出す
のかなっていうのは、この支援で感じていることです。

コーヒーを通じていろいろと感じて、自分の大事にしたいことを見つけていってほしいなと思っています。>

サイボウズ@もっちー『【若者の働くを支える③】働きづらさを抱える若者の自立を目指して「育て上げネット」~コーヒーに感じた自由~』2024年11月8日


 若者たちの中には日本社会のルールに馴染むことができる”適応力”を持っていますが、そのような規範に縛られる社会で「生きづらい」と感じているのも事実です。宮内氏はコーヒー店の店主から「やりたいようにやったらいい」という助言のおかげで気持ちが楽になったのでしょう。型通りにコーヒーを入れても、来客にとっては味に深みがなかったり、コーヒー豆ならではの渋みの良さが理解できないのです。だからこそ、好きなように入れてみる。宮内氏はコーヒーから「自由」を学んだのです。

 『育て上げネット』の理事長を務める工藤啓氏も公式noteでユニークな活動を企画・紹介し、若者たちとの距離を縮めていこうと精力的に取り組んでいます。その一例として、「肉でつながるBBQ」の企画がありました。

 岩井さんは大学で政治思想を学んでいました。日本の政治や社会について思うところがあったのでしょう。それならば、カフェのような場所でドリップコーヒーを飲みながら、対話を通じて政治や社会について語り合うような「市民向けの政治哲学カフェ」の場をつくっても良かったのではないかと思います。

 高学歴というプライドが足かせとなり、「人や社会に頼ることは弱い自分を見せてしまう」という心情があったかもしれません。それでも「育て上げネット」は肩書やバックグラウンドを気にしていません。立場を超えて、少しでも生きやすくなるために存在するコミュニティなのです。

 もし存命であり、工藤啓氏の本や活動を知っていれば、岩井さんの人生は変わったかもしれません。あるいは、岩井さんの悩みや葛藤を真摯に受け止めてくれる良き理解者がいたかもしれません。

 「育て上げネット」は人生をやり直すための場所となる。彼らの活動に協力する企業や役所が増えてきた時、日本社会は再び希望の光を照らす。弛まぬ努力を重ね続けるNPOの活動を世の中に浸透していく必要があるでしょう。



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ハリス・ポーター
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