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はとバスの名物英語ガイド

 あれは忘れもしない大学2年の5月頃のことでした。

 大学2年生になると、2年次セミナーという授業が必修科目としてありました。当時はその授業の一環として、学生が各々所属する専門分野ごとに、プロジェクトを企画するといったものがあるのです。

 私が大学に入って学んだのは、「英語コミュニケーション」。元から英語そのものに関心を示していたことから、すぐさま選択しました。
 その専攻分野で、「はとバスツアー」での体験をすることになりました。1日を通じて学んだこと、外国人観光客と触れ合う中で感じたことをプレゼンテーションで発表するという流れです。

 発表は、その年の学園祭で行い、大勢の人々の前でプロジェクトを紹介するというものでした。
 このプロジェクトの狙いは将来社会に巣立つ時に、実践型のプレゼンテーションスキルを身につけるための格好の機会だったのです。

 「はとバスツアー」プロジェクトに参加することになり、私と他4人の計5人で班として行動することになりました。
 東京駅丸の内南口から徒歩数分のバス停。春の季節を迎えていたため、温かい日差しを浴びつつも、花粉が多量に舞い散っていたので、花粉症が起こらないか、気になって仕方がありませんでした。

 やがて外国人観光客が徐々に集まり、女性のバスガイドの案内でいよいよ乗車することに。中に入って出発を心待ちにしていました。

 班のメンバーの友人の男性(私と同じクラスメート)が隣の席に座った外国人の夫婦と面識を持つことに。英語で楽しくお喋りをしていたのです。一生懸命に話そうとする彼の前向きな姿勢に、「ああ、コミュ障さえなければなあ。」と思いつつ、共感していました。

 いざ出発の時。はとバスで待っていると、ある観光バスガイドが担当することになりました。

 その方は、なんと「はとバス界の名物英語ガイド」と呼ばれる男性なのです。その名は「佐藤卯一」氏です。

 通訳案内士の資格を持ち、はとバスの外国人向けツアー英語ガイドとして活躍の場を広げています。佐藤氏の持ち味は、「おやじギャグ」を織り交ぜてバスを笑いの渦に巻き込むことです。親しみやすいキャラクターも相まって、高名なツアー英語ガイドとして人気を博したのです。

 長年のツアー経験と英語学習に基づいた実践的メソッドについては、『使える!通じる!おやじギャグ英語術』で綴っています。(2021年時点で、現在は絶版)

 佐藤卯一氏は、ツアーガイドとして何より大切にしていることがあります。

<いちばん大切なのは、「お客様を楽しませること」。
 バスガイドはサービス業です。サービスを提供してお客様に満足してもらうのが仕事なのです。
 私がかわいい女の子なら、笑顔で「こちらでございます」と言うだけで、お客様も「はーい」と喜んでついてくるかもしれません。
 けれども、残念ながら私は男性で、しかも今は70歳を超えています。もし私がまじめな顔で案内していたら、お客様はみんな退屈してしまうでしょう。せっかくのツアーが台無しです。
 お客様を楽しませるために、何ができるのか。
 英語バスツアーでは、ギャグで笑わせるのがいちばんです。何十人という他人同士が、同じ空間で数時間を過ごすのがバスツアー。一緒になって笑ってもらえば、お客様同士で触れ合うきっかけにもなります。
 英語に限らず、私は、笑いがコミュニケーションの基本だと考えています。
 初対面の人と仏頂面をして挨拶をしたら、打ち解けたいと思ってもらえるでしょうか?
 会うたびにいつもグチをこぼす人と、また会いたいと思うでしょうか?
 昔からクラスの人気者は、カッコいい男の子よりもひょうきんな男の子と相場が決まっています。女の子も、面白い子はみんなから好かれます。
 笑いは人の心をつなげ、ほぐす役割をもっています。>
 (佐藤卯一『使える!通じる!おやじギャグ英語術』飛鳥新社 p.16-17)

 コミュ障に悩んだ私にとっては、共感できる部分があります。もっとも、私には暗い過去しか覚えておらず、「笑い」を追究する話題は全くありませんが。

 実際に、佐藤氏は、自己紹介を始めるにあたって、以下の鉄板ネタを披露しました。

 I'm Uichi Sato, not the sugar "sato".

 バス内は、大爆笑。見事に乗客の心を鷲掴みにしたのです。

 著書の中では、常に以下の自己紹介を行っています。

< まず、はとバスが東京では有名な観光バスであること、「はと」は鳥の鳩の意味であること、鳩は平和のシンボルであることを簡単に説明します。
 それから、こう続けるのです。
My name is SATO. HATO BUS and SATO BUS.
 「私の名前は佐藤です。はとバスの佐藤バスです」
 一種の言葉遊びですが、ここでクスッと小さな笑いが起こります。でも極めつきはこの次です。

 In Japanese, "Sato" also means "sugar". If you forget my name, you may call me "Sugar". But not "Honey". Not "Sugar Daddy".
「日本語で『佐藤』は『砂糖』を意味します。もし私の名前を忘れたら、シュガーと呼んでもいいですよ。でも、ハニー(いとしい人)ではないですから。シュガーダディでもありません。」
 解説するまでもありませんが、佐藤と砂糖をかけたギャグです。>

                     (前掲書 p.66-67)

 後日談がありますが、佐藤氏はNot honey.と言って笑いをとっていたのですが、乗客からNot sugar daddy.と続けたそうです。
 sugar daddyは若い女性に貢ぐ、あま~いお金持ちのおじさんのことを指します。英語圏の観光客に通ずるので、さらに笑いが起こったそうです。

 私ならこう問いかけたいです。

 Do you love "Sato's rice"?
「サトウのご飯はお好きですか?」(佐藤とサトウ食品のパック入りご飯をかけたもの)

 それはともかく、他には皇居前の案内をする時も痛快なギャグネタを披露しています。

 <皇居の正面、道路を渡ったところに、大型バスなどが停められる駐車場があります。
 実は、ここも爆笑ポイントのひとつです。この駐車場の真ん中に、馬にまたがった武士の銅像が建っているのです。
 その像が見えたとき、私はすかさずこう切り出します。
 Over there, you see a bronze statue of a samurai warrior on horseback. It's the Statue of Tom Cruise!
「あれを見てください。馬の背に乗ったサムライの銅像。トム・クルーズです!」
 お客様はここでドッと沸きます。
 日本人には、このギャグの意味はなかなか理解できないかもしれません。
『ラスト・サムライ』という映画があったのはご存知でしょうか。
 主演はアメリカのハリウッド俳優のトム・クルーズ。日本からは渡辺謙さんや真田広之さん、小雪さんなどが出演していました。
 この映画は海外では非常に人気があり、日本に来る多くの外国人は、この映画を観ているのです。それを知ったときに、このギャグをガイドに加えました。
 ですので、ここではトム・クルーズと言わなければ、ギャグの意味をわかってもらえません。ブラッド・ピットやレオナルド・ディカプリオではギャグにならないのですね。>
                     (前掲書 p.81-82)

 「お客様を楽しませる」という信条をもとにするならば、使える笑いのネタ探しのために、日夜情報を仕入れてギャグに取り入れる。
 佐藤氏の人気の秘訣は、世の中のトレンドを知り、地道な研究を重ねてきたことの証左なのでしょう。

 外国人を相手に案内するバスガイドには、英語だけでなく日本の歴史や文化に関する知識を深めていかなくてはなりません。日本のことを英語で伝えるために、佐藤卯一氏はどんなことをされてきたのでしょうか。

 かつて、AERA English 2011年5月号の雑誌で「こんな形で英語と人生磨き」のコーナーの記事に佐藤氏が学習法を紹介されています。

 私の手元にはもうありませんが、その時に覚えていたことは、佐藤氏が日本文化を英語で伝えるために、NHK WORLD のBEGIN Japanologyを録画して幾度も視聴していたことです。(2003~2013年放送)



 この番組は、ラジオDJのピーター・バラカン氏が訪日外国人を対象に、英語で日本を紹介するものです。ナレーションのスピードは速く、聞き取れるまでにはリスニングの練習を繰り返すしかありません。
(2021年現在、Japanology Plusを放送しています。)
https://www3.nhk.or.jp/nhkworld/en/tv/japanologyplus/


 佐藤氏が常々行っている旺盛な探究心と軽妙洒脱なトークは、日々の努力の賜物なのです。

 因みに、この日本文化の番組を大学のゼミで紹介したことがあります。そこで分かったことは、ゼミ生は「食文化」にことのほか関心が強いようです。
 人生に旨いものは必ず食べておきたい、ということでしょう。

 肝心の「はとバスプロジェクト」の出来栄えはどうか。無事に成功しました。

 一日のツアーで外国人観光客と過ごす中で、言葉の伝え方・コミュニケーションのあり方を学び、その課題の成果を学園祭で紹介しました。
 結果は、第2位。上出来でした。
  班のメンバーは皆ほっと胸をなでおろしたようです。

 プロジェクトの成功はもちろん嬉しい限りですが、何より貴重だったのは名物英語ガイドに出会えたことです。

 まさに僥倖の機会に恵まれました。

引用文献
佐藤卯一『使える!通じる!おやじギャグ英語術』飛鳥新社




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