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『毒見師イレーナ』訳者 渡辺由佳里さんあとがき

 アメリカで暮らしているわたしが『Poison Study』(※『毒見師イレーナ』原題)に出会ったのは、2008年のことです。読書が大好きなわたしはアメリカ人の姑や友人たちよりも読む本の数が多く、「どんな本を読めばいい?」と尋ねられることが増えていました。当時高校生だった娘とその友人たちは、「テストが終わったら読みたいから、胸がドキドキするようなファンタジーを探しておいて」といった具体的な注文をします。そのひとつとしてわたしが探してきたのが『Poison Study』だったのです。

 この本を手に取ったきっかけは、毒見役の主人公という設定でした。それだけでも興味津々ですが、読み始めると予想以上に面白かったのです。十九歳の死刑囚イレーナは、死刑執行日に〝絞首台に行くか、それとも毒見役になるか?〟という選択を迫られます。簡単な選択みたいですが、そうではありません。毒見役には人権も自由もなく、前任者たちはいずれも無残な死を迎えているのです。簡単な死か、それとも残りの人生を毎日死と隣り合わせで暮らすのか。この究極の選択を与えたのが冷酷な暗殺者のヴァレク。最初のページから、ふたりの心理的な駆け引きに魅了されました。

 舞台になっている北の国イクシアと、敵国であるシティアの政治的な違いも興味深いところです。モラルに厳しい軍事政権のイクシアでは、男女同権も進んでいるし、平等社会だけれども、音楽や芸術が厭われ、個人の選ぶ権利は限られています。隣国のシティアは芸術や食べ物を愛する文化がありますが、他人の心を自由に操る魔術師が牛耳っています。そういった政治的な背景や、イレーナが隠している過去、薬草や毒の詳細も面白くて、アクションもたっぷり。最後までまったく飽きることがなく、ニューヨーク・タイムズ紙ベストセラーリストに入ったのも納得です。
 娘たちに「これは絶対に面白いよ」と勧めたところ、なんと全員がヴァレクにぞっこん惚れこんでしまったのでした。でも、ヴァレクは三十歳を超えた暗殺者ですから、女子高生の母としては少々複雑な心境でしたが……。

 娘とその友人の口コミで、瞬く間に彼女たちが通う高校で『Poison Study』ファンが増えていきました。女子生徒だけではありません。ファンタジーファンの少年たちもです。また、わたしがブログ『洋書ファンクラブ』でご紹介したところ、「面白かった」という感想をたくさんいただきました。でもツイッターでご紹介すると「英語が読めません。邦訳はされていないのですか?」という質問が来ます。そのたびに「すみません。邦訳版はないようです」と答えてきました。

 じつはそういった逸話を、わたしは著者のマリア・V・スナイダーさんに2009年にメールしました。それからしばらくは「邦訳されるといいね」という会話をメールでかわしていたのですが、特にアクションを起こすわけでもなくそのままになっていました。けれども2013年に開催されたブック・エキスポ・アメリカ(BEA)で初めて顔を合わせる機会があり、「あの本を日本の読者にも読んでもらいたい」という気持ちがぶり返しました。

 そういった気持ちを編集部の松下さんに以前伝えていたのですが、自分で翻訳をするということは考えていませんでした。でもついに本書が邦訳されることになり、「翻訳しませんか?」というお誘いをいただいたとたん、ほかの翻訳者にこの作品を手渡したくなくなってしまいました。

 十五歳の頃に『Poison Study』が大好きだった娘とその友だちは、現在、大学で脳科学、宇宙物理、国際関係学を学んでいます。本書を翻訳できることになって報告すると「わ~。あの本を翻訳できるなんて素敵!」とみんな喜んでくれました。

 本書を訳すにあたって、著者のマリアさんと何度も電話やメールをかわしたのも楽しい体験でした。日本にも本書のファンが広まれば、こんなに嬉しいことはありません。

渡辺由佳里 

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