【試し読み】『イタリアからの手紙 コロナと闘う医療従事者たちの声』
イタリアからの手紙
——コロナと闘う医療従事者たちの声
ラッファエーレ・ブルーノ&ファビオ・ヴィターレ[著]
田澤 優子[訳]
笠原 敬(奈良県立医科大学 感染症センター センター長)[監修]
第4章 緊急事態
2月22日夜から23日朝のあいだに、イタリアでは新型コロナウイルス感染拡大防止のための政令が閣議決定された。感染源とされる2つの地域──ロンバルディア州のロディジャーノおよびヴェネト州のヴォー・エウガネオ──はレッドゾーンに指定され、出入りを禁じられた。
「先生、問題が発生しました」私が診察室に到着すると、スタッフが待ち構えていた。問題というのは、ある医師の夫婦がふたりともコロナウイルス陽性になったという件だった。開業医の夫はパヴィア県内のピエーヴェ・ポルト・モローネとキニョーロ・ポーで仕事をしており、小児科医の妻はローディ県のコドーニョ地区で働いている。ふたりは軽症で入院していた。熱や咳のせいでときおり話が途切れるものの、ふたりとも意識ははっきりしているという。このときはまだ、新型ウイルスが小児や新生児の体にどれほどの影響を与えるのか明らかになっていなかったので、小児科医の妻のほうは、親しい人だけではなく患者として診察した子どもたちについても、ここ数週間で接触した相手を急いで割り出す必要があった。こうしてすぐに検査を開始し、短期間のうちに感染拡大の連鎖を止めることができた。
病院の首脳陣は、この緊急事態に対して、診療部長のアントニオ・トリアリコをリーダーとする恒久的な危機対応ユニットを立ち上げた。毎日朝10時に集まる分科会だ。
もうあまり時間がない。その時点では、ロンバルディア州内の感染地域はローディ県だけとされていたのだが、陽性の報告は時々刻々と増え、ローディ県で行われた検査の全件が陽性というところにまで達した。ロンバルディア州からは、感染症専門医と看護師、それに国防省警察の衛生班で編成したチームを派遣して地域住民の在宅検査を実施するよう要請があった。数回の会議を経て、最初に派遣されるのは感染症専門医のエレナと看護師のセルジョに決まった。このふたりのチームワークは抜群だ。細心の注意を払い、付き添いの軍人の分も含めて、マスクや手袋、防護服、フェイスシールドなど、必要な防護具を用意した。ウイルスが確実に存在する地域での検査だから当然だ。一日かけてローディの最初の地区で家々を訪ね、検査を行い、データを集めたあと、エレナとセルジョと国防省警察の衛生班は私に報告をしてきた。最初に総括したのはエレナだ。「きつかったです。たくさん検査をしました。住民のみなさんはとても協力的でしたが、見えない敵に対する恐怖と不安が顔に出ていました。何が起きているのかと口々に訊かれましたが、答えられませんでした。私たちにもよくわかってないんですから」
この最初の時期には、症状が少ない、あるいはあまり深刻でない患者であっても、家庭や職場で他人に感染させるのを避けるために入院させていた。そうすることでウイルスの拡散を抑えようとしたのだが、患者数の急上昇により方針転換を余儀なくされた。感染の可能性が高い人々に対する在宅検査の実施、および軽症者の収容は、病院の仕事を円滑に進めるために棚上げとなったのだ。
病床は重症患者のために空けておかねばならず、同時に重症患者の治療法を、この時点で可能な限り理解しておく必要があった。現代科学にとって未知の新型コロナウイルスに、どんな治療法で立ち向かえばよいのか。私たちは19世紀の医師のように、観察と実験を繰り返しながら治療を行うことになった──効果がありますように、と願いながら。内輪の会話でも、国内外の仲間とのビデオ会議でも、常にその話をしていた。SARSやエボラやHIVの前例と、それら過去の感染症が人間を攻撃してきた方法は、このSARS─CoV─2と共通点があるのだろうか。結論を導き出してこの新たな敵の姿を見極めるには、まだ早すぎる気がした。
だが、何らかの手は打たなければならない。私たちは、患者の生命機能を強化することに注力し、水分と酸素を補給して腎臓と肺の機能を支える治療をした。また、ウイルス感染に細菌性肺炎を併発し、抗生物質の投与が必要になる場合といった、起こり得る合併症も考慮した。
肺炎と闘っている人のレントゲン写真は──とくにこのウイルスの特徴が見られる場合には──細心の注意を払って確認するようにした。また、呼吸困難の症状が出ていたり、炎症によって血液の酸素運搬能力が低下していたりする患者を注意深く監視した。
まだ1種類しか手に入っていなかった試験的な抗ウイルス剤を、ウイルス量を減らすために投与しはじめた。
この感染症が発生して間もない時期から、われわれ医師が弱者と規定する患者、つまり65歳以上ですでにほかの疾患をもつ人々のほうが深刻な病状に苦しむだろうとわかっていた。
対応においては、以下のような共通方針がある。
・軽症で自覚症状のない人は自宅隔離のままとするが、それでも経過観察の対象とする。
・発熱、呼吸器症状および/または肺炎のある人は、最初の検査結果に基づき、ケースバイケースで検討して、入院させるかどうか決める。
・重篤な肺炎および/または呼吸機能の著しい低下が見られる人は、感染症病棟に即入院させ、必要に応じて準集中治療あるいは集中治療の対象とする。
今後はもう、これまでのような金曜日が来ることはないだろう。私の人生においても何かが変わりつつある。念のため、家族とは半隔離のような状態で暮らすことにして、妻とは寝室を分けた。娘のマティルデには、しばらく義母のところにいてもらう。週に1、2回は会えるだろう。
朝になると、玄関近くの家具の上に妻が買ってきた新聞が置いてあった。2紙の1面に目を通す時間しかない。紙面のほとんどは、ドイツで起きた銃撃事件〔2020年2月日夜にフランクフルト近郊のハーナウで起きた銃乱射事件〕の捜査についてと、議会での過半数を占める連立政権の今後に関してコンテ首相とレンツィ元首相とのあいだで論争が続いていることに割かれていた。2紙のうち片方の『コッリエーレ・デッラ・セーラ』紙だけが、その後何カ月間も国内外で流れることになるニュースの皮切りの記事を、下のほうに数行だけ載せていた。「コロナウイルス検査で陽性。ロンバルディア州で初の感染」というタイトルだった。
職場の空気はますます重苦しくなり、救急外来から陽性疑いの報告が新たに届くたびにいちいち会議をする時間もない。その状態がずっと続き、私たちの研究室は24時間に200件近くも検査を行うようになった。数日前までは、112〔ヨーロッパ共通の緊急通報番号〕の電話交換室が応答するまでにかかる時間は45秒だったが、今日は14分かかった。
もはや私たちの病院は、この緊急事態の波状攻撃にもちこたえられるような状態ではなかった。そこで、腫瘍患者を別棟に移すことに決め、空いた病棟にコロナ患者を受け入れられるようにした。優秀な技師と元気な作業員のおかげで、人工呼吸器を必要とする患者のための新たな準集中治療室区画をある晩ついに設けることができた。
私たちは大海原に投げ出されていた。夜の暗闇のなかで筏に乗っていて、水平線にイルカのひれが見えたかと思ったら、25メートルのとてつもない大波が襲ってきたようなものだった。
サン・マッテオ総合病院の感染症病棟は、通常は44名までの患者を受け入れられるが、1週間ですでに患者数は倍以上に膨らみ、100床にまで増やした病床がすべて埋まってしまうまでになった。
現在の優先事項は2つ。病院に来た人に適切な処置をすることと、医師や看護師、公共医療従事者の安全を守ることだ。救急外来から病棟への搬送にはルートが設定され、従業員一人ひとりに防護具が用意された。また、人工呼吸器に補給するために1万リットルの酸素タンクが新設された。
隔離された患者が苦しみと闘っているのは言うまでもないが、患者の親族も大切な人と直接話すことができないという不安を抱えている。お互いにビデオ通話でしか、親族や友人の顔を見てひとときの励ましを得ることができないのだ。
私たち医療従事者はみな、白衣をまとい、手袋をはめ、マスクをつけていて、フェイスシールド越しにほんの少し目をのぞかせているだけだった。患者にそっと触れたり、笑顔を見せたりすることさえできない。患者に自分の声を届けようと、厚い防護服のなかで声を張り上げたときもあった。だが、励ましの言葉を大声でわめいても意味がないし、お年寄りの手を握ってもゴム手袋の感触しか伝わらない。
患者のカルテを点検しているとき、呼吸困難の女性患者が看護師に話しかけているのが聞こえた。「ねえ、笑って。マスク越しだとあまりよく見えないけど、笑ってくれれば目でわかるから」
しかし入院患者の多くはすでに意識がなく、集中治療室の患者にはうつ伏せに寝ている人もいた。急性呼吸不全の患者に限り、酸素の供給をスムーズに行うために腹臥位療法〔背中側の肺への圧迫を減らすために、患者をうつ伏せに寝かせる治療法〕を採用していたからだ。
マッティアもそんな患者のひとりだった。パヴィアに搬送されたのち、私たちは彼の家族と連絡を取った。マッティアの妻は、夫の運命を心配する間もなく、ひと月以内に子どもが生まれることを私たちに告げる間もなく、自身もミラノのサッコ病院に入院した。その後、マッティアの父親にも症状が現れ、すでに深刻な状態になっているという知らせが届いた。
続きは本書でお楽しみください。
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本書監修の笠原 敬先生(奈良県立医科大学 感染症センター センター長)よりコメント
「3月18日夜、軍用車の長い列がベルガモの中心地を横切った」
この一文は、2020年春、イタリアで火葬が追いつかず軍が支援に乗り出したというニュースで見たトラックの長い車列を私に鮮明に思い起こさせた。ああ、やはりあれは事実だったのだ。イタリアの人口は日本の約半分だが感染者数は日本の約6倍、そして死亡者は約10倍にのぼる。
本書はそんな悲劇の地イタリアで第一線の感染症医が医師として、そして一人の人間としてどう考え、行動したかが克明に記されている。同じ感染症医として本書の内容は医学的に正確に描かれていることを保証する。ただひとつ、本書の結びにある「普通は特別なのだ」という言葉は、間違っていたと思い直す未来がくることを願いたい。