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推進力をいただきまして

 ぼくは自分のことを茶島雄介さんだとおもってゲームを観る。

 観るときは椅子になんかすわらない。モニタやテレビの前に立ち、茶島さんの動きにあわせてその場で軽くからだを動かしながら観る。40すぎのおじさんが、サッカーをにらみつけながらステップを踏んだり、ターンしたりしているのだ。ちょっとしたホラーである。とてもひとさまにはお見せできるものではない。妻にも見せないし、いっしょに住む猫たちにも遠慮してもらっている。

 カヤFC戦は、ひさしぶりに茶島雄介さんがスタメン。しかもゲームキャプテンだというじゃありませんか。ぼくは張り切ってテレビの前に立ち、左腕を軽くぽんぽんと叩いて架空のキャプテンマークを意識した。でホイッスルが鳴った瞬間、ここぞとばかりに全力で茶島雄介さんになった。

 でもたのしい時間は想定してよりだいぶ早くおわってしまった。ハーフタイム明け、レフェリーの交代を告げる電光板に赤文字で"25"とあった。それを目にしたときのぼくの失望たるや……。立ち尽くして、しばらく身動きできなかった。試合後、スキッベ監督はハーフタイムの交代意図について「もっと攻撃的にいきたかったので」と仰った。あまり人前で問題点を指摘しないひとがあえていったその意味は、重い。ぼくはあのゲームから目を背けた。しばらくふさぎこんだ。

 そんなぼくを救ってくれたのが背番号6。青山敏弘さんだった。

 コンサドーレ札幌戦後の引退セレモニーで、青山さんは長くいっしょにプレーした仲間として茶島さんの名前もあげてくれた。そして「尊敬するきみたちとプレーできて幸せでした」と仰った。そのときにぼくははっとした。あの6番に尊敬される選手を自分だとおもうようなヤツがこんなありさまでは、示しがつかないではないか……!

 "サンフレッチェ広島のエンジン"と呼ばれた青山さん。そんなかれに推進力をもらったぼくは、あの屈辱の前半45分間と向き合うことにした。監督のいう"攻撃的"とはなんだったのか、つきとめなければ。

 見直してみると、はじめは交代させられるほど悪くないようにも見えた。でも、そのうちに気づいた。茶島さんのプレーの多くが、相手チームの視野のなかにおさまっているような……? え、これもっと相手の視野をふりまわしてやんなきゃいけなかったんじゃないの? たとえば、もっと早めに高い位置をとったり、前あいてるならガンガン縦に走ってボールを呼び込んだりしてさ。「25番どこいった?」「やばい、25番走った」って相手チーム焦らせなくちゃいけなかったんじゃないの。そうやって押し込んでいればもしかして失点もなかったとか……?

 そんなふうにぼくら独り言をぶつくさつぶやきながら、ゲームを繰り返し観た。はたから見たら目も当てられない光景だったとおもう。でも当の本人はたいへん充実した時間を過ごせていた。

 気がついたら、ハーフタイムでの交代のショックもどこへやらである。それどころか、早くまた茶島さんのプレーが観たくてしょうがなくなった。ぼくの仮説合ってるのかな。茶島さんはつぎはどうふるまうんだろう。確認したくてたまらなかった。

 じつは札幌戦後すぐに気管支炎になった(ここ数年サンフレッチェになにかいいことがあるたび、なぜか病気やケガに見舞われる)。

 なので正直サッカーどころじゃないんだけど、でも結果見直してよかった。体調は悪くてもメンタルはすこぶる快調である。

 それもこれも青山敏弘さんのおかげ。かれに推進力をもらったから、あのゲームと向き合えた。ありがとう、茶島さんの名前あげてくれて。やっぱりひとを前進させてくれるね、ぼくらの背番号6は。

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