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誰かとわたしの役に立つ、6月の雨の日のこと
雨の日、アスファルトにつやめく浅い水たまりの中に、ごろごろとスーツケースを転がしていると、この世のおわりみたいな気分になります。なりませんか?わたしはなります。
ああ、一刻も早くこのじめじめした空気と、自由の利かない両手と、この大量の荷物の重さから開放されたい……
そんな一心で歩いていると、とある雨の日のことを思い出します。
今回はすてきなお題【#やさしさに救われて】について、
一筆取らせていただければと思います。
こんにちは!
DIY内装材ネットショップハロハロの中の人のひとり、Yといいます。
不定期にではありますが、ちょっとしたエッセイやコラムを書かせていただいています。
壁紙や床材に関係のないお話もありますが、箸休めくらいに眺めていただけるとうれしいです。
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とある梅雨の終わりがけ。
むしっと湿気の多い、曇り空の日のことでした。もうすぐ雨が降るんだろうな、と帰路を急ぐ人も少なくない時間帯です。
駅から地上へあがる、階段の途中。
マジで本当に、あの階段ときたら、どうしてあんなに長く感じるんでしょうか。仕事で疲れた体へのとどめみたいなもんです。そんなところに。
いかにも重たそうなキャリーケースを持ったおばあさんが、階段を上がりきるのに四苦八苦されていました。
この駅ときたらこれまた昔ながらで、そこがいいところでもあるんですが、悲しいことにエレベーターは反対側にしかありません。
思わず、「上まで持って上がりましょうか?」と声をかけてしまいました。
自分でもめちゃくちゃびっくりしました。
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おばあさんは、最初遠慮されておられました。
が、わたしがキャリーを持ってみるとやはりたいへん重たく!
わたしは「いいいですよいいですよ~~!!」とか叫びながら(叫びながら?)、そのまま階段を駆け上がってしまいました。
おばあさんからは、お礼のことばを頂戴しました。
わたしは直後に病院の予約時間が差し迫っており、軽い会釈だけして、
その場をあとにしました。
外ではぽつぽつと雨が降り出していて、「あのおばあちゃん傘は持ってたんかな…」などと考えながら、病院までダッシュすることとなりました。
…どうでしょう。わたしの作り話だと思いますか?
「やさしさ」って、本当にむずかしいです。
よかれと思ってもそうでなく、なんでもないことがよかったりします。
電車で「席を譲りましょうか?」と声をかけたら、「いらない」って怪訝そうにそっぽを向かれたり。
クリスマスにケーキを焼いたら、「市販のほうがよかった」言われたり。
誰かのためのプレゼントが、フリマアプリでたくさん売られていたり。
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恩着せがましい行動だとはわかっていても、そうしたくなってしまうもので。
「誰かのためのやさしさ」と言いつつ、結局のところは「自分のためのやさしさ」が大切で、自分を大切にできない人は誰も大切にはできないのでは、とか、小説みたいなことを考えたり……。
やさしさって、時代や世代によっても違うんじゃないかなと思ったり。
こうなるともはや哲学じみてきていて、最大多数の最大幸福がどうとかなんとか、頭がこんがらがりはじめて……
や~~めっぴ!になります😢
あんまりぐちゃぐちゃ考えすぎると、わたしのやさしさが誰かを救うかもしれなくても、救われたかどうかはその誰かにしかわからないのだから、ほなどないすんねん……という悲しみの話になってしまいそうで、いやなんですね。
少しことばは違うのですが。
大学時代、生涯学習論かなにかの講義で、「ひとはひとを幸せにできない」と耳にし、ひとりで勝手に愕然とした記憶がよみがえります。
より正確に言うと、「ひとはひとを幸せにすることはできないが、幸せになるための道を示すことはできる」というようなニュアンスだった気がします。
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あれから何年も経ち、いまに文字にして出力してみれば、なにを当たり前のことを……と思います。
けれど当時は、頭を真横からガンと殴られたみたいな感覚でした。
そうか、わたしはひとを幸せにはできないのか!
幸せもやさしさも、人によって違うから、だから難しいんですね。
とはいえ!
実際、おばあさんからは「ありがとうねえ~」とことばをいただいて、ダッシュして乗り込んだ病院の待合室で、だいぶと良い気分になれました。
ああ、ええことしたわあ……
(一応、ほんとの話なんですよ。ほんとですよ!)
😂
なんというか、リアルタイムで、「もしかしたらわたしは、やさしいことをしたのかもなあ」と、実感したような気がしたのでした。
誰かにやさしくする、それは自分にもやさしくして、救うということ。
誰かの幸せを示すなら、自分もちょっとくらい幸せになりたいですよね。
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病院の待合室、こどもさんがビリビリに破いたとおぼしき、大理石柄のおしゃんな壁紙を眺めながら、そんなことを考えていた雨の日のことでした。
いやいややぶかんといてあげて!この病院、個人経営やから!!
あとがき
中の人のYです!
駅から地上へあがる階段、体力のない自分にとってはトドメなんです…😂