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『刃に刻む』第八話

これは研師の話です。
刃と過ごした時間は心に刻む。
研師が濁った刃を磨いていく、景色が鮮明に映し出されることで、色褪せた思い出に新しい命を吹き込んでいく。
人との出会いの数だけ、時間は刻まれる。

靴磨きや研師のように新しい命を吹き込む仕事は世の中であまり尊重されていない。
世界でトップ級の企業を築いた経営者も、若かれし時代の大勝負の前には靴を磨いて成功していくサクセスストーリーは良くある話。
影の立役者に少しでも目を向けて深掘り出来たらいいなと思い、描いてみました。

#LimitlessCreations


『繋がる絆』


桐生祐一の工房「刃研ぎ 桐生」は、九州の山里にひっそりと佇みながら、全国から依頼の包丁を受け続けていた。
包丁の持ち主たちはみな、祐一の技術とその包丁に込められた想いの深さに心打たれ、次々と彼のもとへ足を運ぶようになった。

そんなある日、祐一の工房に一本の電話がかかった。

受話器の向こうから聞こえてきたのは、どこか聞き覚えのある声だった。

「桐生さん、ご無沙汰しています。以前、祖父の包丁を研いでいただいた山本です。」

その声に、祐一は少し目を見開いた。
以前、祖父が作り上げた最後の包丁を持ってきたあの青年、山本賢治の声だった。

「山本君、あれからどうだ?包丁はちゃんと使ってるか?」

祐一の問いかけに、賢治の声が少し弾んだ。

「はい!実はその包丁を持って、料理の道を歩み始めました。
今は東京のレストランで修行中です。
桐生さんに研いでいただいた包丁を使って、料理を作るたびに祖父の想いを感じることができるんです。」

その言葉に、祐一の胸が温かくなった。
山本の祖父が残した包丁を受け継ぎ、彼が料理人としての道を歩み始めたことを聞けたのは、祐一にとっても嬉しい知らせだった。

「そうか、それはよかった。君のお祖父さんもきっと喜んでいるだろう。」

「ありがとうございます。でも、今日はそのことでお願いがあって…」

賢治の声が急に低くなり、祐一は少し身を乗り出した。

「どうしたんだ?」

「実は…今度、料理のコンテストに出ることになったんです。
でも、自分の腕前に自信が持てなくて…桐生さん、もう一度あの包丁を研いでいただけませんか?」

祐一は少し考え込み、そして力強く頷いた。

「もちろんだ。その包丁で君が自信を持って料理ができるよう、最高の状態にしてやるよ。」

賢治はその言葉に感謝を述べ、包丁を再び祐一の工房に送ってきた。
箱を開けると、そこには一度研ぎ直したときよりもさらに深く使い込まれた包丁が入っていた。
刃には新たな傷が刻まれ、磨き続けた痕跡が見て取れた。

祐一はその包丁を手に取り、優しく微笑んだ。

「頑張ってきたんだな、山本君。」

包丁をしっかりと握り、彼のこれまでの努力を感じ取る。
包丁はただ切れ味を保つためのものではない。
料理人が積み重ねた経験、試行錯誤、そして失敗や成功のすべてを包丁は吸い込んでいく。
そのすべてが、この刃の奥に刻まれている。

「よし…俺も全力で研いでやるよ。」

祐一は改めて砥石を用意し、包丁を丁寧に磨き始めた。
ザリッ、ザリッという音が工房内に響き、祐一はその音に耳を澄ませながら集中を深めていく。
刃先を滑らせるたびに、祐一の心には賢治が料理と向き合ってきた日々の姿が浮かんできた。



—東京の喧騒の中。

そこには、賢治が白い調理服を着て、慣れない厨房で一心不乱に料理を作る姿があった。
周囲には腕の立つ料理人たちがひしめき合い、彼を試すような視線を向けてくる。

「山本、そこはもっと丁寧に切り分けろ!」

「はいっ!」

先輩たちの厳しい指導に、賢治は額に汗を浮かべながら必死に包丁を握りしめた。
彼の手の中には、祖父の包丁がある。
その包丁を握るたびに、賢治は祖父の背中を思い出すのだった。

「お前が本当に料理人になりたいと思うなら、この包丁を使って自分の腕を磨け。」

祖父の言葉が、包丁を握る手に伝わってくる。
厳しい環境の中でも、彼は決して諦めなかった。
何度も失敗し、悔しさに涙した日々。
それでも、包丁が彼を支えてくれた。

「絶対に俺は…この包丁で、最高の料理を作ってみせる…」

彼はそう心の中で誓い、包丁を研ぎ、磨き、そして料理を作り続けた。

—そして、現実に戻る。


祐一は研ぎ進める手を止め、包丁の刃先をじっと見つめた。
そこには、賢治の努力と情熱が鮮やかに映し出されていた。

「この包丁、ほんとうによく頑張ったな…」

祐一は深く息をつき、さらに砥石に水を含ませ、最後の仕上げに取り掛かった。
砥石を滑らせるたびに、包丁はその輝きを取り戻し、まるで新たな命を吹き込まれたかのように刃先が輝きを増していく。

祐一の手は、まるで包丁と対話するかのように滑らかに動き、そのたびに包丁はかつての光を取り戻していった。
やがて研ぎ終えた刃は、まるで炎を宿したようにその表面を赤く煌めかせた。

「よし…これで、最高の状態だ。」

祐一は研ぎ終えた包丁を丁寧に拭い、箱の中にそっと納めた。
箱を閉じるとき、祐一は心の中で静かに語りかけた。

「この包丁で、君の料理を完成させてくれ。
君の祖父も、きっと君の料理を見守っているはずだ。」

数日後、賢治から祐一に再び電話がかかった。その声には明るさと興奮が満ちていた。

「桐生さん!コンテストで優勝しました!桐生さんに研いでいただいた包丁で、自分の全力を出し切れました!」

祐一はその言葉を聞いて、心の中で静かに安堵した。

「おめでとう、山本君。君が頑張ってきた結果だ。俺はただ、包丁を研ぎ直しただけだよ。」

「そんなことありません。桐生さんが研いでくれた包丁が、俺の背中を押してくれました。
本当にありがとうございます!」

賢治の声は、まるで少年のように弾んでいた。
祐一は電話を切ると、そのまま工房の中央に立ち、そっと天井を見上げた。

「君のお祖父さん…本当に嬉しいだろうな。」

その言葉に応えるように、工房の中の包丁たちが優しい輝きを放ち、静かにその場を照らしていた。

その夜、祐一は妻の麻衣子と夕食を囲んでいた。
子供たちがそれぞれの話をしながら、楽しそうに箸を伸ばしている。
麻衣子はふと祐一に微笑みかけた。

「今日はなんだか、すごく嬉しそうね。」

祐一は少し照れくさそうに頷いた。

「ああ。大事な包丁を研ぎ終えたんだ。
きっと、また一つの絆が繋がったんだろうな。」

麻衣子は穏やかに頷き、子供たちに料理を勧めながら、優しい声で言った

#LimitlessCreations
#刃に刻む
#研師
#絆

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