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【白黒思考にさよなら!】ラクに生きられるようになったきっかけ3選
はじめに
こんにちは、はろ。です(*^▽^*)
突然ですが、皆さんは楽しく日々を生きられていますか?
私は今でこそ昔よりは少しラクに生きられるようになりましたが、かつてはそれこそ白黒思考で、毎日すべてを全力投球して生きているくらいの勢いでした(笑)
そこで、今日は今思えばこれがきっかけで生きるのラクになったかもと思う要因3選をお届けしたいと思います。
もし下記の昔の私と同じような方にとって、少しでも同じ思いを共有し、解決策の一助になってくれればと思います(-ω-)/
昔は白黒思考、仮面かぶりのいい子だった私
昔の私は誰からも認められるほど優等生のいい子でした。(ちゃんと他己評価ですよ!(笑))
人の悪口は言わず、目立たず大人しいけれど努力家で、いつでもにこにこしていて本が好きな絵に描いたようなキャラだったと思います。
それは学校外でも変わらず、親戚の子の面倒見もよく、家の手伝いをよく行う子でした。
一方で、本当は口にしないだけで誰かにもやっとすることはあったけれど、それを周りは知らないから「周りの知っている自分」と「自分が思っている自分」との差異がひどく、いつも誰かを騙しているような罪悪感がありました。だから、誰かに優しい言葉や好意をもらっても「どうせ表面上の私しか知らないからであって、本当の自分を知らないくせに」と思っている節があり、なぜ優しくされているのか相手のメリットを勘ぐったりする子でした(今思うと大変なくそやろーですね(笑)←)
周りからは「そんなに気をはってたら死んじゃうよ!もっと気楽にいきなよ(笑)」と死ぬほど言われました。でも、私にとってはなおさら「気楽にってどうやって?具体的にどうやったら息って抜けるの?」と真面目に悩む始末でした( ゚Д゚)
また、白黒思考もありました。白黒思考の時って例えばAとBがあって誰かが「Aが好き!」って言われたらなぜか同時に「Bは嫌い」と言われたと感じるんですよね(;^ω^)
今となってはAが好きといっただけであって、Bが嫌いとも言っていないし、なんならAもBも好きもしくはその逆で、どちらも嫌いという選択肢もあり「Aが好き!」って言っただけでそれらの選択肢がすべて潰れ、「Bは嫌い」とイコールになることはありませんよね!それが心底イコールだと思っていました(笑)
上京して昔の自分を捨てありのままで生きる
個人的にですがそもそも、誰かの優しさや好意を信じられないすべての根源が他人に見せているのが偽りの自分(相手が知らない面もある)であり、いつか自分のこんな面を知ったときに幻滅されるんじゃないかという恐怖が常に付きまとっていたからだと感じました。
田舎のどんな出来事もよくもわるくもすぐに伝わる密度の濃いコミュニティを抜け出したことで、上京してからはここでは自分を知る人もいないし、そもそも興味を持つ人なんていないだろうしという突き抜けたネガティブなもと、ありのままで生きるようになりました。
これだけ人がいれば合う合わないがあるのも仕方ないと思えるほどの人間がおり、例えば合わなくて一部の人に嫌われたとしても忘れ去られ、忘れてしまうくらいの人間の数が都会《ここ》にはいます。そう思うと、もう昔みたいにみんなに好かれたいとか、好かれようとも思わなくなりました。
ありのままで好いてもらえるとは思ってなかったので、恋人ができるとは思わなかったですが、すべてのしがらみを一度捨てた選択はかなり大きな一歩だったと思います。
今まではどんな言葉も「表面上の私」だけに向けられた言葉だと受け取ることができませんでしたが、今ではすべてさらけ出しているので向けられる優しさも好意も素直に受け止められるようになったと思います(*'ω'*)
日記をつけてどんな日の自分も受け入れる
内容も頻度も文量も何でもいいです。ただ重要なのは、ここは誰にも絶対に見られない(見せない)場所だからこそ素直に正直に思ったこと、感じたこと、考えたことを書くことです。これがバレたらまじで黒歴史というか、もうすべて人生オワル( ゚Д゚)くらいドストレートの本音でいい、いや、本音がいいと思います。
白黒思考にはこれが一番効いたんじゃないかと個人的に思います。
暇なときに読み返していると、気持ちに余裕があるときに自分がどん底だった日の日記を見ると「なんかこいつめっちゃ病んでるな(笑)いつまで同じことで悩んでんだろ」と思えることもあれば、逆にどん底の日に幸せな日の日記を見ると「なんでこいつは能天気でしあわせそうなんだろう、別人みたいで理解できない気持ち悪い」と思えてしまうんですよね。
そう、まさに本当に別人のように思うことも考えも変わるもので、日記に書かれている同じ自分が思ったこと、感じたことがどれだけ波があっても、理解できないほど他人に思えてもそれすらも全部同じ自分なんだと思うようになりました。
それからは今までは落ち込んだときのネガティブな自分と、能天気でポジティブな自分、どっちが本当の自分なんだろうと悩んできましたが、そもそもどっちかひとつではなく「どっちも自分」なのだと受け入れられるようになりました。
自分のことを知り、自他は切り分けて考える
例えば、お休みの日にお買い物をしてあちこち回ったり好きなところにいって気分転換をすることがいい人もいれば、お仕事では人と接することが多いからこそお休みの日は家でゆっくり過ごすことが好きな人もいますよね。
今例にとった休日の過ごし方ひとつとっても、同じ時間の使い方も人によって「これが心地いい」というのは異なります。
ですので、私は日々のなかでどういう風に過ごしたら調子がいいのか、何が苦手なのかを知り、見つけたらその気持ちを大切にするようにしています。
それこそ先にあげた日記も「寝不足した時に翌日落ち込みやすくなるな」とか「日曜日は翌日に備えてゆっくり過ごした方が月曜日気持ちがいいな」なんて自分の傾向が見えてくるはずです。
自分が他人と違うことを受け入れることができれば、きっと同じように他人が自分とは違うところも受け入れてあげられるようになるでしょう。
結論:大切なものも「量」より「質」
いかがでしたでしょうか?
会えなくなった友人も、家族も寂しくないかと言えば嘘になりますが、お互いに同じ気持ちであれば物理的に離れた程度で繋がりは消えません。
現に確かにほとんど連絡とらなくなった人もいますが、会いたい人には私も帰省するときに連絡して予定を合わせますし、友人も会いに来てくれます。
決して数は多くないですが、大切な人がいて、心から信頼している友人が数人ほどいてくれるだけで今は十分幸せだと感じています。
もし他人の目や周りからどう思われるかが怖くて動けない方、白黒思考な方はぜひお試ししてみてください(*'ω'*)
最後までお読み頂き、ありがとうございました。
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