【益山詩集】おいらのSTORY
詩人:益山 弘太郎
おいらの STORY
今から 54年前
おいらは 小学校 1年生
担任の お婆ちゃん先生は 60歳
今のおいらと 同じ位の歳だ
同級生の A君は
東京医科大学を 出て
群馬県で整形外科をしているよ
小学校 2年生
退職した 担任の先生に
みんなで 手を振って
せんせーい! と 叫んだよ
小学校 3年生
スポーツ万能 勉強も出来る
チビだけど ガキ大将の N君と
おいらは 取っ組み合って
大喧嘩を した
そうさおいらは正義の味方だった
N君は その後 高校時代に
おいらが落ち込んでるのを見て
心を 痛めて
一橋大学を 落っこちて
横浜国大の 経済学部 から
横浜銀行の 重役に なった
小学校 4年生
生まれてから 10歳
みんなで 屋外授業で
町の 川沿いを 歩いた
温泉町 には 年に 1回の
粉雪が 舞って 来たっけ
町の 大きな 国立病院の
院長の 息子が
同級生に 居たっけ
もっと大きな町の高校へ入って
国立大学の医学部に行った
小学校 5年生
クラスは 全員 仲が 良かった
男友達も いた 女友達も いた
ところが 小学校 6年生
おいらは 隣町の
鄙びた 小学校へ 転校したんだ
5年生 から 本当は
町の 北中学校 へ
みんなで 進学 したかったんだ
北中学校 には
野球部が あったからなぁ
たくさんの 女友達たち とも
一緒に思春期を過ごしたかった
あれから 50年
それから それ以来 なのさ
おいらは
すっかり 変貌して
女性苦手症になっちまったんだ
あぁ だけど あぁ だけど
みんなは 元気で いるかい?
しっかりと 生きているか?
会いたい 会いたいよぅ
俺たちの ストーリー さ
おいらの STORY
伊東市立西小学校
◆インタビュー
新澤(以下、新):この詩に出てくる人たちは、みんな実在の人たちなんですか。
益山(以下、益):はい。みんな小学校の同級生たちですよ。
新:楽しそうですね。
益:ええ、1年から5年までの間は自分にとって、楽しい時期でした。
女の子たちと自然に接することができました。このまま過ごしていけば、思春期の女の子たちの考えていることも理解できたのになあなんてね。
新:そこで転校ですね。御両親の仕事の関係ですか?
益:とんでもない。僕の教育の事を考えた父が宇佐美に引っ越すことを決めたんです。
新:宇佐美になにがあったのだろう?
益:ハワイ帰りの人が英語塾をやっていたんです。父は僕が英語が身につくようにとその英語塾に通える所に引っ越したのです。
新:へぇー!
益:僕は、本当はあと一年、同じ小学校に通い、友達とそのまま中学に進みたかったんです。慣れない環境に気乗りがしないまま、放り込まれたことも、その後の女性に対する苦手意識が抜けないことに関係があると思っているんです。
新:父上が益山さんの人生に与えた影響って大きいですね
益:はい。それを嫌だなと思っていた時期も長かったです。でも、環境が変わったくらいで人づきあいができなくなるなんて自分の問題だろうとも思うんですよ。
その後、英語のロックが好きになり音楽を通じて友達ができたり、人並みには英語ができるようになったりしたのも、この時に父が英語塾に通わせてくれたことが大きかったかもしれない。そんなわけで父に感謝していないわけではないんです。
<おわり>