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いっぺん死んでみたら、生きる勇氣が湧いてきた。

ここ数日、恐怖という感情が私を苦しめていた。
何が怖いかと言われれば分からない。
けれど、怖い。とにかく怖い。ものすごく周りに敏感になっていた。


最近、愛だなぁ。と感じられることが多くなっていたんだけれど。そんな中の恐怖だったから、なんだろう、絶望というかもう何もわからなくなってしまったよう、、、

生き方さえも分からなくなってしまっていた。。。
あれ?私、どうやって生きてきたんだっけ??


もうだめだ…と思っていたときのこと。ある記事が目に入ってきた。

ヒカリさんの記事「人生は、一人旅」
そして、この記事のコメントにとても救われた。

これを読んだ瞬間、心がすぅ〜っと軽くなるのがわかった。

死に向き合おうと思った。
向き合おうというかもうすでに向き合っていたのかもしれない。


私は、死がとても怖い。

小学生の頃の記憶を辿ってみると、こんなことを思っていたのを思い出した。

この世界がなくなったらどうなるんだろう。
私がいなくなったらどうなるんだろう。

子どもながらにとても恐怖を感じたのを覚えている。


そして、高校生のとき、初めて祖父の死を経験した。
このとき、人間っていつかは死ぬんだな〜って思った。とても、悲しかった。


それから、高校3年になったとき、私はパニック障害になった。
死ぬかもしれないという恐怖で、私はますます死が怖くなった。

家族や周りの人の支えでなんとか克服できた。
一番理解してくれていたのは母親だった。
いつでも、母は私のそばにいてくれて、私を見守ってくれていた。たくさんたくさん心配かけてしまったから、今度は私が親孝行しようと思っていた。

私が一番恐れていたこと。それは母親がいなくなることだった。母親が大好きだったし、母親なしには生きていけないと思っていた。

また、自分がいなくなるかもしれない恐怖も強く感じていたなぁ。

怖いものからずっとずっと目を背けていた。
みないようにみないようにとしていたんだと思う。


私が大学4年になった年のこと。私が一番恐れていたことが起きてしまった。母親の死。どうしても受け入れることができなかった。なんで、こんなことになってしまったのか。
もっとああしとけばよかった、もっとこうしておけばよかったと、自分を責めた。後悔ばかりの毎日。

けれど、家族や周りの人にものすごく支えられて、少しづつだけれど、前を向いて行けるようになった。

そして、母がいなくなってから2年がたった今。だいぶ受け入れられるようになったと思っていたんだけれど、まだ受け入れられていなかったのかもしれない。

そして、気づいた。

死への恐怖。がありとあらゆる恐怖と繋がっていたのかもしれないと。

人への恐怖。とくに嫌われるかもしれない恐怖とか。これが死への恐怖と繋がっているのかもしれない。


この死への恐怖に向き合い受け入れたとき、
のびのびと生きている私がいることに気づいた。私はわたしを生きていた。
なんだか安心していた。


私はいっぺん死んでみることにした。これはほんとに死ぬとかじゃなくってね。

死って悪いもののように思えるけれど、死って肉体的な死だけじゃないのかもしれない。

死を受け入れた瞬間、新たな"わたし"を生きるようになる。再誕。生まれ変わる。みたいな感じなのかなぁ。

もしかしたら、毎瞬毎瞬死んでいるのかもしれない。死んでは生まれ、死んでは生まれを繰り返しているのかもしれない。
昨日の私と、今日の私が違うならば、毎瞬新たなわたしを生きているのかなぁ。そんなことを感じた。


悲しんでもいいんだよね。泣いてもいいんだよね。
でも、どこかで大丈夫だな〜って感覚がある😌

あ〜、なんだか生きる勇氣が湧いてきた☺️
生きよう。今日も生きてる。
今この瞬間も生きてる。

生そのものを楽しもう。そう思った。


今日も生きていることに感謝。

素敵な記事、そしてコメントを本当にありがとう。
すべてのみんなにありがとう。^^










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