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ご挨拶
初めまして。
2025年の始まりと共に、ボルネオ島(マレーシア領サバ州)で行っている生物多様性保全活動について個人的な記録を残していこうと改めてこちらで投稿を開始させていただくことにいたしました。認定NPO法人ボルネオ保全トラスト・ジャパン(略称:BCTJ)現地職員の岸と申します。どうぞよろしくお願いいたします。
ボルネオ島との出会い
私とサバ州との出会いは遡ること2000年の3月。それまでの人生において「ボルネオ」と言う単語が脳裏に浮かんだことはなく、まさか自分がボルネオ島を訪れる、ましてや暮らすことになるとは夢にも思っていなかったのですが、思わぬ機会をいただきまして当地に足を運ぶこととなったのでした。
当時、私の中でボルネオ島と言えば「密林に覆われた未開の地」と言うイメージしかなかったのですが、地方のタワウという港町まで国内線で移動した際、深いジャングルに覆われているはずの大地が、何やら単一の木々が地平線の彼方まで延々と整列して植っている異様な光景が眼下に飛び込んできたのです。
帰国後、すぐにボルネオ島の森林について調べてみたところ、サバ州の低地熱帯雨林の多くがすでに失われており、手付かずの原生林ともなると州面積のたった8%しか残っていないと言う文献が出てきたのです。(現在はサバ州政府により10%に訂正済み)そして、その要因を知りまして、巨大なハンマーで頭を殴られたかのような大きな衝撃を受けたのでした。
その主要因は、商業伐採とパーム油生産のための農地拡大で、その2つとも、遠く離れた日本の私たちの暮らしと密接に関わっていたのです。
サバ州の商業伐採
サバ州で本格的な伐採が始まったのは1960年代後半。1970年代に入るとさらに大規模伐採が加速、1980年代後半には資源枯渇危機が叫ばれるほどの勢いで州内の森林ほとんどで伐採が行われていたのだそうです。そして1993年にはサバ州政府により丸太輸出禁止となったのですが、ほとんどの森林は貨幣価値のある木材が切り出されスカスカの二次林となっていたのです。
そして、そうして産出された木材の6割以上が日本に輸入され、他の誰でもない私たちが消費してきたと言うことを知り、心臓が押し潰されるようなショックを受けたのでした。
ボルネオ島含む東南アジアで切り出された南洋材は、今も日本の私たち暮らしでとても身近にある木材です。詳しくはまた別の投稿で触れさせていただこうと思いますが、ある意味、私たち日本人にとって、杉や檜に次ぐ馴染みのある木材と言えるかも知れません。
アブラヤシ農園
もう1つのボルネオ島の森林減少を加速させている主要因は、パーム油生産のためのアブラヤシ農園の拡大です。
パーム油とは、アブラヤシと言うヤシ科の植物の実から採れる植物油で、インスタント麺、ファーストフード、レトルト食品、冷凍食品、アイス、チョコ、飴、スナック菓子などの加工食品や、石鹸、シャンプー、歯磨き粉、洗剤、化粧品などの日用品など、現代の私たちの生活に欠かせない様々な製品の原材料に使われています。
もはや「パーム油なしに私たちの生活は成り立たない」と言えるほど、私たちは毎日パーム油のお世話になっているのですが、ほとんどの商品の成分表には「植物油脂」と表記されているため、なかなか知る機会がないのです。
パーム油についてもまた別の機会に詳しく触れさせていただきますが、日本のパーム油輸入量も年々増加傾向にある、2020年には76万トンに達しています。国民1人につき年6kg以上のパーム油を消費している計算です。
ボルネオ島生物多様性危機
私たち人間も生態系の1部で、自然がなければ生きていけない生物であることを知っていながら、経済価値を求めるがあまり、長きに渡って地球環境を著しく傷つけ続けてきてしまいました。近年は異常気象や自然災害の増加など実際に生じている変化により、今の経済システムのままでは地球はもたないのではないかと不安に思われる方も増えてきたように思います。
実際、地球の生物多様性は60%がすでに失われてしまっており、待ったなしのところに来ているのではないかと感じています。その主要因は、私たちの経済活動による森林破壊や土地改変です。
ここボルネオ島も、過度な森林伐採やアブラヤシ農園の開発により熱帯雨林がどんどん減少し続けており、多くの動植物種が絶滅の危機に追いやられてしまっています。このまま手を打たずにいたら、多くの種が30年後、50年後には地球上から姿を消してしまいかねません。
私にできること
これらのことを知った私は、2004年にこちらに居を移し、何かできることはないだろうかと模索していたところ、2007年末、アブラヤシ農園開発が最も広範囲でなされ野生動物たちが困難な状況に陥っている地域で、BCTJが「緑の回廊プロジェクト」を開始したことを知り「これだ!」と思い、少しの寄付金をすることから私のサバ州への恩返しが始まりました。
そして2009年から微力ながら当地での活動に関わらせていただくようになり現在に至っているわけですが、一個人に出来ることには限りはあるけれど、ほんの少しの温かい気持ちがが集まることで出来ることはたくさんあるのだと言うことを、さまざまな活動を通して学ばせていただいてきた18年だったと改めて思います。
とは言え、緑の回廊もまだまだ道のり遠く、やらなければならないことは積み上がってゆくばかり。己の非力さや未熟さを悔いる日々ではありますが、ボルネオ島の自然や人々からたくさんの恩恵をいただいてきた私たち。ただ恩恵を受け取るだけでなく、きちんとそのお返しをしなければ、という想いは今も変わっていません。
最後に
BCTJでは、現在も緑の回廊プロジェクト含めいくつかのプロジェクトが動いているものの、万年人手不足で、どのような活動を、どんな風に行なっているのか、なかなか皆様にお伝えすることが出来ていない現状が続いています。今年度はさらに新たなプロジェクト開始も予定されており、頻繁に更新することは難しいと思うのですが、時間の許す限り、当地の現状や問題、活動のことなどを、現地職員の個人視点にはなりますが、こちらで少しずつ紹介させていただければと思っている次第です。
人と自然が共に生きていける、そんな未来を目指して。