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ル・コルビュジエ 諸芸術の綜合 1930-1965
第1章 浜辺の建築家
1929年の世界恐慌はそれまでの機械万能主義から自然科学的関心へと価値観を転換させ、絵画の自律性を追求する抽象絵画から、未知の世界へと向かうシュルレアリスムの幻想的な絵画が人々の心をとらえるように変化。自然界の原理が創作の着想源として再び注目されるようになり、ル・コルビュジエも、1918年から実践していたピュリスム絵画における幾何学的構成に代わり、貝、骨、流木といった有機的な収集物の形態を、建築と絵画に取り入れるようになった。
ピュリスム:「純粋主義」。1918年から25年の短期間、フランスで展開された絵画運動。この運動を喧伝したC=E・ジャンヌレとA・オザンファンの二人は『キュビスム以後』(18)というマニフェストを表わし、主観主義に陥ってしまったキュビスムを批判し、その名の通りより機能性が純化された絵画の必要性を力説した。作品自体は、精密で明快な画面と、幾何学的な空間性を特徴とし、雑誌『エスプリ・ヌーヴォー』を通じたプロパガンダなども併せて、そのユートピア的、有用的な志向性は同時代の「デ・ステイル」や「ロシア構成主義」などとも多くの共通点をもつ。画家ジャンヌレが21年以降ル・コルビュジエを名乗る建築家へと転身したこともあり、短命だった「ピュリスム」の絵画運動は広範な影響力をもちえなかったが、その理念は後のル・コルビュジエの建築やデザインに十全に発揮されたことで、後年「ピュリスム」もあらためて評価されることになった。「デ・ステイル」のT・ファン・ドゥースブルフが、ル・コルビュジエをライバル視していた事実も、「ピュリスム」をめぐるエピソードのひとつである。
詩的反応を喚起するオブジェ
これを描いた体験がル・コルビュジェを絵画と建築を一つの造形的な出来事へと融合させる発想へと導いた
生体的形態 Biomorphism 自然界に見られる規則的な模様や、流体、有機的な形状を取り込むことを指し、貝殻や骨、植物などの物体を連想させる場合もあれば、全く抽象的で認識できない場合もある。ル・コルビュジェの≪レア≫やレジェの≪緑の背景のコンポジション(葉のあるコンポジション)≫は生体的形態を取り入れた作例。 彼らは、流れるような有機的形態を工業製品や人工物と並置することで、自然と技術の交差を考察した。≪レア≫では突然開いた扉から巨大な牡蠣が現れ、樹木の幹の前にはヴィオリンの置かれた机がある。レジェの作品では、細長い葉や木の幹にネジのような部品や鉄くずの塊のようなものが対峙している。両作品の不思議な空気感、夢の中の光景を描いたような特徴に二人の共鳴を感じることができるよう。夢や潜在意識を掘り下げた1920年代に始まり次第に広く拡張していった芸術運動、シュルレアリスムの影響を反映している。アルプも同様に、シュルレアリスムの概念を生体的形態に取り入れた。
人体の変容 The Human Body Transformed 1930年代まで、ル・コルビュジェの芸術は、もっぱら加工品や工業製品の描写に集中していた。人体への関心は、自然物や生体的形態への憧れの高まりと共に生まれた。≪マッチ箱と二人の女≫では右に立つ女の体は巻貝のようにデフォルメされており、ブルネットの髪と大きな右手は、左上の半ば開いた扉から見える宇宙的渦巻きと呼応している。後期の作品では、このようにねじれた人体の描写は有機的な形態に次第に近づいていく。また、アルプの≪地中海群像≫は、人体と自然物の一体化が見られる典型的な例であり、流れるような有機的な形と人体がシームレスに融合している。異なる角度から見る時、本作は流木の一部から発想したと考えられる自然物の詩的なイメージを喚起させつつ、絡み合った3人組の人間の姿を想起させる。本作とル・コルビュジェによる≪長椅子≫にも、二人の共鳴を感じることができよう。海辺の女たちを描いた2作品はアルカション湾の名物である牡蠣漁の漁船や魚網がモチーフとして描かれているのが見分けられる。
第2章 諸芸術の綜合
ル・コルビュジエの円熟期創作活動を理解する鍵は、「諸芸術の綜合」の概念である。絵画、素描、彫刻、タペストリー、建築、都市計画はすべて、彼にとって「一つの同じ事柄をさまざまな形で創造的に表現したもの」であり、人の全感覚を満たす詩的環境を創り出すために、互いに関わりながら集結するものであった。
掌中から壁画へ From Small Scale to Mural この時期、ル・コルビュジェは自分の絵画芸術を建築空間と一体化させることも構想し始めた。彼が1930年代以降に制作した壁画は、美術と建築の綜合の始まりを象徴する。その初期の試みは、1938年、女性建築家アイリーン・グレイと彼女のパートナーであるジャン・パドヴィッチが南フランスのロックブリュヌ=カップ・マルタンに建てたヴィラE.1027に、ル・コルビュジェが描いた壁画である。壁画はバドヴィッチの求めに応じて、半地下の空間やリヴィングルームなどに7点描かれた。直接の契機はヴェズレーにあるバドヴィッチ邸に1936年に描いた壁画と考えられるが、もあ一つのきっかけは、1937年に開催されたパリ万国博覧会であろう。デュフィによる≪電気の精≫や、ピカソがスペイン館に実現した≪ゲルニカ≫など、壁画芸術に大きな注目が集まった。ル・コルビュジェが手がけたパヴィリオン「新時代館」 、内部にフォトモンタージュ壁画ぎ展開された。
諸芸術の綜合 Synthesis of the Arts 「彫刻だけ、絵画だけ、建築だけがあるのではない。造形的な出来事は詩の助けによる”一なる形”のうちに成就さるのである」
「音響的形態」木彫作品 周囲の景観と呼応する「音響的建築」の希求へと発展していく
ミュラルノマド(遊動する壁画): タペストリー “La Mural Nomade” : Tapestries
音響的建築 Acoustic Architecture ル・コルビュジェは彫刻と同様に建築を音響との関係で捉えていた。ロンシャンの礼拝堂はその代表例であり、ル・コルビュジェはこの礼拝堂を後に「視覚的反響」として形容している。
第3章 近代のミッション
ル・コルビュジエは2度の世界大戦を経験し、危機の時代から戦後の変遷を生きました。しかし、19世紀の産業革命以降に西洋社会を中心に飛躍的な展開を見た人間の進歩の永続を確信し、躊躇しませんでした。晩年の10年間、ル・コルビュジエは「人間の歴史は予め決定されており“調和の時代”に向かって進むものだ」と、今日ではあまりに楽観的な世界観をしばしば語っています。これは「偉大なる綜合」と「偉大な精神性の時代」に近づくための段階として抽象芸術を位置付けたカンディンスキーの考えにも通じます。ここでは、ルシアン・エルヴェのカメラがとらえたル・コルビュジエの建築と、カンディンスキーの版画集『小さな世界』を合わせて展示し、二人の世界観を対峙させます。そして、ル・コルビュジエの絵画の集大成である「牡牛」のシリーズから晩年の3点が本展のハイライトとして提示。
近代のミッション The Mission of Modernity 私の義務と研究の目的は、現代人を不幸や悲劇から救い、幸福と日常の喜び、そして調和を提供することにある。特に、人間と環境との調和を再構築すること、あるいは確立することを,特に強調したい。 ル・コルビュジェは生涯、度々の政治的対立を経験したにもかかわらず、19世紀の産業革命以来、西洋社会に浸透した永続的な進歩への信念を持ち続けて躊躇することはなかった。晩年の10年間、彼は人間の歴史は予め決定されており「調和の時代」に向かって進むものであり、自身の芸術と建築はその進化の触媒として位置付けられるものとの確信を深めている。これは、「偉大なる綜合」と「偉大な精神性の時代」の到来を信じていた画家カンディンスキーの考えにも通じる。 カンディンスキーが広めた抽象の概念は、ル・コルビュジェの建築に代表されるような「近代建築」と関連付けられ?永続的進歩という理想主義的な思想を伝える上で重要な役割を果たした。進歩に寄せるル・コルビュジェの信念は、個人的で詩的な夢想と混ざり合い「牝牛」のシリーズへ発展した。
無限成長美術館 The Museum as a Symbol of Human Progress オウムガイの形から着想を得た正方形の螺旋形態は、来館者にあらかじめ正確な建築的「道木筋」を規定するものであり、強い喚起力を持つ普遍的でシンボリックな形状を身体的に体感できるようになっている。 ル・コルビュジェの美術館は、単なる文化施設としての役割を超えて、文明の発展への終わりなき追求と深い理想主義の表れとなっている。
第4章 やがてすべては海へと至る
ル・コルビュジエは1954年に執筆した論考「やがてすべては海へと至る」のなかでテクノロジーの発達により高度にネットワーク化、グローバル化が進む情報化社会の到来を予見しています。彼はつねに時代の先端技術から着想し建築作品を実現しました。その関心は、電子計算センターや、高度情報能力を持つ大型マルチメディア・プロジェクションの開発を構想したことにも明らかです。チャンディガールの「知のミュージアム」計画では、インド初の女性建築家ウルミラー・エリー・チョードリー(1923-1995)と協働しました。このプロジェクトは未来の人工知能AIをも予知しているかのようです。1958年ブリュッセル万博フィリップス館で公開した《電子の詩》は、当時の最新技術を駆使し、音楽、映像、建築の各要素を融合させ人類の発展をテーマとした作品で、マルチメディア芸術の先駆けともいえるでしょう。
やがてすべては海へと至る Tout arrive ending a la mer Everything Finally Reaches the Sea
論考「やがてすべては海へと至る」 この内省的な文章からは戦争の惨禍を経験したル・コルビュジェの戦後フランスの脱植民地化時代を背景とした、詩的な思索がうかがわれる。本稿は、超高速移動、とりわけ飛行機によってもたらされた人間の思考の変化と社会の混乱ら高度情報社会の予見、チャンディガールの都市計画で目指された人と自然との共存の回復を描写しており、「受け取り与える手」の象徴に込めたユートピア的ヴィジョンが反映してある。また情報化によってネットワークしていく社会像が予見されている。
1965年カップ・マルタンの海で海水浴中に死亡。
https://panasonic.co.jp/ew/museum/exhibition/25/250111/#exhibition-detail-moredetail