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一人でなんて、書かなくていい

フリーでライティングのお仕事をしているなかで、ありがたいことに、さまざまな人と関わり合いながらひとつの記事をつくる経験をさせてもらっている。

まずは編集者さん。私の書いた、できたてほやほやの初稿についた無駄な贅肉をそぎおとし、記事が伝えんとしていることをシャープに整えてくださる。

そしてディレクターさん。その記事を届けることによって誰にどうなってほしいと考えるのか、制作の意図をぶらさずより多くの読者にその記事が届くよう正しい道筋を照らしてくれる。

イメージ、ディレクターさんはゴールテープを持って手を振ってくれてる人。編集者さんは、給水担当の人。(ちょっと違うか?)走者はライターさんね。

チームでお仕事をしていると、みるみるブラッシュアップされていく原稿を目の当たりにするばかりで。

たとえば、編集者さんが入れてくださる赤の多さには日々「あぁ初稿の段階でなんでもっとうまく書けなかったんだろう」と恥ずかしくさえなることが多いのだけれど、

・ここで語られていた、この単語はぜひ記事に入れてください
・ここ、ちょっと論理が飛躍していて、駆け足になってますね、もうひとこと付け加えれば、読みやすくなりますよ

といった的確なアドバイスには脱帽すると同時に「ほ、ほんまや!!!こう書けばこの記事はもっと良くなる!」と感動もする。

何が言いたいかというと、自分ひとりでできることなんか、そもそも限界がある、ということ。

たくさんの人が関わって、たくさんの人の目を通った記事は無駄がなくなって読みごたえもあるし、内容にも一本、筋が通っていく。

ぜーんぶ一人でなんだってできる、スーパーマンになることを「すごいこと」と思って、自分もそうなりたいって思ってた。

そういう働き方ももちろん尊いんだろうけれど、でも最近はふと、「多くの人のなかの一人」として働けることのすごさをも、すごーく感じる。

自分のスキルをあげていくことはもちろん大事だし、「私が」がんばることの意味はなくならないんだけれど…

これからはもっといろいろな人にお世話になって、(迷惑もかけつつ)よい記事をひとつふたつと作っていけたらいいんじゃね?と思っている今日このごろです。


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