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この半年、文章を書き続けてきたけど、ペースを落として丁寧に書こうと決めた話
なぜ毎日ブログを投稿し続けたのか
今年の5月、「発信をリスタートしますっ」と意気込んで以降、宣言通り毎日ブログを投稿することができています。
あ、正確にいうと、“毎日”ではなく、できなかった分は翌日に繰り越すというズルもしています
私が毎日発信を続けた理由。それは、「毎日書くと決めたから書いた。ただそれだけ」だったと言えます。
「発信はメリットしかない」とは、私がブログを始めるきっかけをくれた友人の言葉です。これは特に、フリーランスとして活動する今、より強く感じること。
私はこんな人ですと発信することで、自分の人となりを理解してもらうことにもつながるし、信頼を得ることだってできると思っています。
こんなに大事な発信なのですから、どうせ書くなら毎日書いてみよう。だって私、ライター名乗ってるわけだしね。そんな、ある意味「気軽な」気持ちで、毎日欠かさず発信すると決めたのが今年の春でした。
定期的な発信を続けたことによって、わかったことがふたつあります。
書き続けるからこそ、書ける
それはずばり、書くことのハードルが下がったこと。正確にいうと下げざるを得なかったとも言えます。毎日投稿をしていない時は、例えばネタのかけらを見つけても、
「こんなこと、わざわざブログに書くほどのことでもないか」とか、「もっと下調べしてから書かないと」などと頭で考えをこねくりまわし、結局書かずじまいだったことが幾度となくありました。
けれど、毎日発信しようとすると、そうとも言っていられません。なぜってどんどん書かないと、明日は容赦なくやってくるから。私は、書き続けることで、書けるようになっていく、のではないかと思っています。
えいやで書いたものが案外、ウケる
例えばものすごく思い入れのある内容について、すごく気合を入れて書いたものがあまり読まれず、逆にさらりと書いた記事に反応をもらえるということがあります。
「人の好みと自分のそれは、違うんだなぁ」と気づかされたのもまた、毎日とにかく書き続ける、出し続けたからこそわかったことのひとつです。
届けたいものをより丁寧に紡ぐ
「年をとるということは、自分の可能性を絞っていくことです。」
こう語ったのは、作家の塩野七生さんでした。可能性を絞るというと、「限界を知るってことかな」と思いがちなのだけれど、そうではないらしい…。塩野先生の言葉はこのあと、「集中すべき的を、あくまでも絞り込むんです。」と続いていました。
齢39。今、30代の最後の年を生きている私。まだまだ若輩者だと思っていますし、この年齢で「としやわぁ」なんて言っちゃあいけないとも思っています。私自身、自分の可能性に限界を感じているわけでもありません。
ただ、この「集中すべき点を絞る」という言葉は、今の私の心にずどんと響いています。
投稿頻度を落とす。その分、一回の投稿に割く時間を増やす。誰に何を届けたくて、この記事を書くのか、より一層自覚的になって一本の記事に注力したいと思い始めました。
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こう決めるにあたって、マーブルスクールでの学びの意義もとても大きかったです。書くということは、思う以上に頭と心と、そして体力を使うものです。
「誰にどうなってほしくてこの記事を書いているの?」この問いに徹底的に向き合うこととなった3ヶ月。自問自答する中で、その問いはどんどん深くなり、「私って、何のために書いているの?」なんていう自分の存在意義にすら関わりそうな問題にまで、向き合うことになりました。
書くことは、少なくとも私にとってはそのくらい、全身全霊でする作業だったのです。
「誰にどうなってほしくて記事を書くの?」を問うと、自分がこれまでいかにエゴまるだしで、無自覚に言葉を紡いでいたか…ということにも気づかされました。
もちろん、「書きたいものを書きたいように書く」そんな書き方もあっていいと思っています。でも、完全クローズドの日記ではなく、オープンなSNSを通して私が書く理由は、やはり「誰かの心に届く文章を書きたい」から。その願いがあるからなのです。だから、私はやっぱり「書く」の先に、私以外の誰かの存在を忘れずにいたい。
ちなみに…この記事は発信の在り方を再考し、これからnoteを丁寧に書いていこうと思っている、私の所信表明のようなもの。
毎日発信することの意義と、あえて毎日発信しないことの意義の両方について私の考えを書くことで、これから何らかの目的を持って「言葉を世に発していこう」とする方への後押しになればいいな、なんて思いも込めて書きました。
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さてさて。まとめに入りましょう。一本の記事を「書き上げる」っていうことに対して、もっと労力を割いていきたいと思った私。まあ単純に、短時間でそれができるほどの筆力がないだけ、ともいえるのだけれど…(;’∀’)
私、この記事を、こういう想いで書いたんだ。
そうひとつひとつの記事に対して言えるように。言葉を重ねていこう。そんな風に思った39歳の冬でした。
今後、発信はこちらのnoteをメインに続けていきたいと思っています。よろしければいいね!やフォローで応援いただけると小躍りして喜びます。
最後まで読んでくださって、ありがとうございました。
これからもよろしくお願いします。
2023年11月28日 ながた