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あの人がとか、この人がとか、言ってる間に時は過ぎる シンプルに自分の道を進む

自分の道を進むと言っても、何か特別な事をしている訳でも、誰かに誇れるような何かをしている訳でもない。ただ、自分の心に正直に生きようとひたむきに日々に取り掛かっているに過ぎない。

これが結構大変だったりする。

これまで、世の中で良い事とされていた事とは、何も関係のない、世の中的に無意味とされるモノ、ただ自分が心地よいと思う時間とか、安心していられる空間とか、未来ではなく穏やかな今とかを心が求めるのだから。(笑)

当然ながら、自由に自分の感性を発見して生きていこうとする人に対して、不快な思いを抱く人もいる。自身が自分の想いを抑圧していれば、そのように生きる人に対して嫌悪感を抱くのも致し方ないと思う。
幸せになりたければ自分のように生きた方がいい、と軌道修正に奔走する人も出てくるのかもしれない。

でも、もう人の事は放っておいて、皆が自身の人生を生きる時がやってきている。

あの人がとか、この人がとか、人の事に関わっているうちに、どんどん自分自身の幸せからずれていってしまう。自分の幸せを決めるのは、あの人でも、この人でもなく、自分しかいないのだから。

他者を大切に思い、他者との関係性の中から自身の幸せを見つけるのも素晴らしい事だと思う、そこに他者から必要とされる自分という色眼鏡をかけて世界を見ていなければ、本当の自身の幸せに繋がっていく。

人生に正解はない。

この世の中の出来事を自分という意識を通して経験し、答えのない問いを問い続ける過程はあっても、経験そのものに正解も不正解も元々存在などしていない。

あるのは、本当の自分自身と合致した経験に何度辿り着けたか、この瞬間瞬間を、自分自身として生きることへどれだけ近づけたか、だけだと思う。

ここからズレても、ぶれても生きている意味自体がなくなる。
長く私達は、自分自身に合致した経験を選ぶことが難しい環境下に置かれてきた。

自分にフォーカスするのではなく、他者が自分をどう思うかにフォーカスするように自身の人生を誘導されてきたからだ。

定年後の後期高齢世代の方の「やっておけばよかったこと」の中には、もっと自分のやりたい事をやっておけばよかったとの思いがあると新聞記事で読み、胸が痛んだ。

まだ間に合う。いや、これからが始まりなのだ。

私達は、私達のそれぞれの道を縦横無尽に進む。

誰もが皆、自身の無限の可能性をこの世に創り出す時、他者への関心は過去のものとなり、この世界は調和の世界へと変貌するだろう。

かつては他人の事で頭がいっぱいだった人も、自身を知る旅にワクワクし、夢中になって取り組むだろう。

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