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君の名は?

わたしは「izzy」だ。
少なくとも昨日まではそう名乗っていた。

初めてSNSデビューした時の名。
その時の名でまだ呼んでくれる人がいる。
だから他のSNSとかカラオケなどプライベートのアカウントは「izzy」「IZZYEL」だ。

わたしの中のひと際アクとか癖の強い部分以外の活動で名乗ってきた名…いや、寧ろ私の中のある偏りに対して付けられた名なのかもしれない、と振り返って思う。

好きな人を追いかけてきたら「ここ」にいたわたしにとっては「izzy」でいることはそれなりに、いやもしかしたら重大な意味を持つかもしれない。
踏みとどまれ、わたし!
星の欠片ほどもない希望が露と消えるぞ!!

でも。

書くということは否応なしに自分に向き合わされる。
今まで暫く書かなかったのは無意識下で自分から逃げていたのではないかと思うほどだ。

ーーーーー・・・

名というものはその人を語るものだ。

体を現し、またその人を縛るものだ。

じゃあ「わたし」を表現する音とは?


生まれたときにつけられる名は、実は胎内にいるときに自分がオーダーしているらしい。
え?聞き違いとか親のエゴが入ったりとかないのー?という疑いもなくはないがそうだという。
この肉体にいる間の自分に最も相応しい名だと言えるだろう。

また魂がもつ「ほんとうのなまえ」もある。
名前だと思えないような音の羅列に感じるかもしれないそれは、時が来ればわかるという。
その音を聞けばまさに自分だとわかるのだそうだ。

わたしは「ほんとうのなまえ」を取り戻してはいない。
こんな話はここで書くような話ではないのかもしれない。
だが思う。
有名人でもなんでもないわたしの始めたばかりのnoteを見るとすれば、やはり見るべくしてみているのだろうと。

ここで話は最初に戻る。

わたしは「izzy」だった。
昨日までは。
他のSNS等では今でも「izzy」だし「IZZYEL」だ。

でもそれはここでnoteに向き合うわたしではないのだ。
ここにいるのはおそらくわたしのすべてだから。

だから言おう。
わたしは名乗るべき名を持たない。
少なくとも今はまだ。

No  Name

これがシンプルに今のnote上のわたしだ。

・・・なのだが、なんだか答案用紙に名前が未記入の人みたいで落ち着かない。
そこであえてMsをつけた。

Ms No Name

本当は性別とかどうでもいいし、自分に「様」をつけるようなものだが名前が未記入の答案用紙よりマシだろう。
王道のうっかりだがわたしのキャラではない。本末転倒だ。

なまえは、まだ、ない

かの文豪の有名な一節を借りたような形になった。
誰かが、いや誰でも思いつくようなことを既に最高に洗練された形でやっているのが文豪たる所以だろう。
先生、大ファンでもないのにすみません。

この名に恥じないよう、とか
こう名乗ったからには、とか

そんな囁きは笑い飛ばしまた気軽にペンをとろう。
わたしは「わたし」以外にはなれないのだから

誰も「わたし」にはなれないのだから

わたしは「わたし」を綴ろう。


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Ms No Name
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