アカシックリーディング
アカシックリーディングの資格としてノウイングのプロアカシックリーダーの認定試験を受けると決めたのが先月のこと。
その後半に説明会に参加し、7月から認定のためのセッションを初めてしばらく経ちました。
人から相談を受けたり、仕事で人のからだを読んだりと、浅いアクセスながら日常からアカシックにアクセスはしているわけですが、60分のセッションとして行うとアクセスも深くなり、当然セッションによる学びも深くなります。
いまのところアカシックに関わっている方に交換リーディングという形で読んだり読まれたりで行わせていただいていますが、必然というのかシンクロというのか、自分のセッションの中だけでなくお相手の方との関係性でも不思議なリンクが起きたりして、現実の創造の面白さというか妙というか、そんなことをしみじみ感じさせられております。
以前はやはり知るのが怖い過去世などもあったのですが、それよりわくわくが多くなったのはやはり自分が「もう戻らない、前に進む」とコミットしたのもあるのでしょうか。
きっとそれは大きな動きを生み出していると感じています。
面白いもので、わたしに質問を投げておきながらクライアント自身が知るのを怖がっていることなどは深く入れなかったりします。
逆に本人が死ぬことになっても、クライアント自身が完全にオープンになっていた場合、わたしは苦しくてヒイヒイすることになっても最後まで見せられたりします。
いまのわたしの感覚としては本当にアカシックは「場」なんだなぁという感じです。またこの感覚も研鑽を重ねたら変わっていくのでしょうか。
昔はアカシックに入る目的もよく掴めなかったし、必要性もさほど感じなかったし、素晴らしいと思いつつも身が入りませんでした。
セッションをお褒めいただくことがあっても、それが枷のようになっていました。
でもアカシックのテクニックの学びの後、人間存在の学び、他の霊的な学びが進んで少し見方が変わりました。
そして現実で困窮するようになって、本当に「明晰でありたい」と心から願うようになりました。
コロナ禍での自分の在り方も、HSPとしての生き辛さも、家庭や職場のストレスも、人間として生まれてきた意味も、明晰さがあれば全く違った選択があり、全く違った人生になるのだと、ひしひしと実感しています。
物事に新しい視点を持つのが得意なのがHSPですが、やはり自分が当事者となって巻き込まれていることは将棋の盤面と同じで見えにくいものです。
それをアカシックから見た過去世のパターンと、忘れ去られていた幼少期の記憶によって「このできごとの裏で本当はどういうことが起こっていたのか」を理解し、置き去りにされた感情を癒したり、新たな視点によって建設的に物事に取り組めるようになったりするのです。
馴染んだものを捨て去るのは、例えそれがどんな居心地の悪いものでも勇気がいることだったりするものです。
悪友と言わないまでもいまいちすっきりしない関係とか。中毒になっているなにかの習慣とか。
でも変わりだした自分の煌めきには誰でも胸が躍るはずです。
なぜならそれを生まれる前からそうなることを設定して、求めてきているからです。
アカシックリーディング、ただいまモニターさま募集しています。
ご希望の方はメッセージお待ちしています。