朝活書写55回目からの派生。お盆に疲れる理由
目に見えないものや、科学的に理由がつかない話題が苦手な方は読まない方がいいです。あと反論も勘弁してください。疲弊し切っています。
あと私は見えるでも見えないでもないし他人がどうなっているかは全く分からない人です。
8月に入り、とくに6日前後になるとたくさんの…とてもたくさんの人々が還ってきます、そう空から。
地上から上がらねばならなかったひと、天命を全うして違う世界?に行ったひと、うんと昔に飢饉で苦しみながら逝ったひと、刀を持つ時代に亡くなったひと。
今この世にいる皆さん、そのひとたちが戻ってくる「気配」を感じませんか?
ザザーっと、夏の空気が全部満員電車状態で地上に降りてくるあの感じ。
すなわちお盆。
ここ東京のお盆は七月なので、その時期からはじまり原爆が落とされた二日(2回)のとき、それから八月のお盆と満員電車がひっきりなしに降りてこちらにお帰りになります。
私は平気で日常を送れている人達の良い意味での反発力が羨ましいです。
還ってくるひとたちの存在がしみこむ事なく、影響を受けず、生きている自身や生きている家族、生きているペットのことだけ、いわゆる「いつもの日常」のために生きられる人達が羨ましいです。
いろいろな人ーーとは、ほぼ全て私の知らない人です。私の知っている人で亡くなっている人は数えるほどですし。
(母は七月に一度還ってきたはずなのに八月のお盆もこれ幸いと戻ってくる)
前回のnoteに体が自分のものでなくなると書きました。
還ってきたひとびとは、いまここ(この世?)にいる私を使ってやりたかった事
ーーー大それたことではなく、会いたい人に会いに行くとか行きたかった所にいくとかの日常生活を味わうみたいです。
1人ずつの行動はちょっとした日常動作でも、随分たくさんのひとのそれらを私一人で請け負わざるを得ない感じです。
だからものすごく疲れるのです。
私が眠れば、あちこちに出かけたり
その人がやりたかったこと、その人の思い出などを夢に見ます。
目覚めるとドッと疲れています。
夜間に何度も目覚めてしまうのは、「降りてきたひとり」ぶんの行動を代替えし終えたからかな、と、感じています。
一本の夢の中に多数のひとたちの意識が出てくる夢もあります。ストーリーになっているようなことも。
夜なのでまた眠りにつく。
するとまた違う夢をみる。
さっきとはべつの「還ってきたひと」のやりたかったことや「思い出してほしい」の意思を夢にみます。
ひと晩でいくつも夢を見るので疲れます。覚えていない夢もあるでしょう。
覚えている夢も、なんでこんなシュチュエイション?というもの、、まあ夢なんてそんなもんですが、、、
それを「対応」と呼ぶことにしますと、ひと晩で数人〜何十人もの「現世でやりたかった事・行きたかった場所に行く」などを夢に見て「対応」してしまうのです。
へとへとになります
「還ってきたひとたち」が「還れる場所」があればそこに帰ると思うんです。
お仏壇とかお墓とかね。
あと、お迎えしてくれる人ね。
何百年も前に亡くなった人は、お墓もなく花を手向けられることもなく、偲んでくれる人もいない(そんな余裕のない中世)ことの方が多かったのではと思います。
だから、満員電車がまとめて私のところに到着しちゃう、みたいな。
あまりにもザワザワした声と人いきれのような重苦しさ、いつも見られている落ち着きのなさに閉口して調べてもらったことがあります。#岐阜県 にお住まいだった #バケネコさん (故人)です。
バケネコさんによると私は「亡くなった人が、おぉこの人(私)は分かってくれる」と喜んで寄ってきてしまうのだそうです。悪いことを振りかけようとしない人々のようですが、あまりにも案件多量のため私が疲弊しきってしまうのだとか。
バケネコさんに鑑定してもらい、「救われる」ってこういう事かと思いました。私の耳が悪かったのではない。あたまがおかしかったのでもない。
外的理由がある、と言ってもらえて鎖から解き放たれたように心が軽くなったことは忘れません。
バケネコさんに鑑定してもらい「然るべき場所に行けなかった善良な人たち」を「行くべき場所」に送り返してもらうまでは年がら年中、ザワザワうるさく気味悪くたまりませんでした。
一人一人の声が聞き取れないほどのワイワイガヤガヤ、押しかける声がつるりと消えたのです…
ただ、押しかける存在はあまたいるためこれからも私のところに来るでしょうと。確かにきます、たまに駅の雑踏に放り込まれたような音がしてます。その時の対応も教えてもらい、今は耳が痛くなるほどのことはなくなりました。
私は自分のために生きたいんだけどなあ…
そんな訳で自らの意思なく「対応」してしまっているので私自身、半分生きていない感じがします。
それゆえ何を口にしても味がしないし、水をのむのが精一杯。
食べるとお腹を壊します。いつもそうだけど。「この時節」に頑張ってものをたべると盛大にお腹を壊します。しもの話ですみません。
ただただ、還ってきたひとびとに私を提供している。もーいや。
混んだスーパー、たぶん昭和50年代、子供と一緒にお使いしたかったお母さん。ぎゅうぎゅうにおされる夕暮れ時。車もつらなっている。たぶんその車に乗っている家族も、「還って」きた人たち。
立って帰り道があくのを待っている人たち。4〜5才の「還ってきた子」が元気よく 通らせてくださあいと声をあげて、団子になっていた大人たちはおほほうと道を開けてあげる。
ぜんぶ、「還ってきたひとたち」。
日常をおくりたかった人たち。