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漫才が笑えないほど面白い――高比良くるま『漫才過剰考察』を読んで

なぜこの本を手に取ったのか

タイトルに惹かれて購入しました。大阪に住む者として、笑いは日常の一部です。ただ「笑う」だけではなく、その背景や仕組みを知りたいという思いがありました。「お笑い」をもっと楽しむための手がかりを見つけたかったのです。

読後の感想

読み終えてまず感じたのは、「笑いってこんなにも奥が深いのか」という驚きです。特に粗品さんとの対談は圧巻で、立ち読みするならこの部分だけでも読んでほしいと思うほど。ただし、M-1グランプリを追っていない方にとっては少し難解な部分もあるかもしれません。(私自身も、漫才の歴史的な流れを知らないと戸惑う箇所がありました)

本書で語られるのは、ただ「面白い漫才」や「高度な漫才」をするだけでは必ずしも笑いが取れないという現実です。その理由は、地域性や劇場の文化、観客の層によって大きく異なります。この細かな違いが綿密に分析されていて、非常に興味深いものでした。

笑いの「分析病」との葛藤

しかし、この本を読み終えたあと、一抹の不安も感じました。漫才の構造を理解しすぎると、純粋に笑えなくなってしまうのではないか、と。実際、漫才を見ている最中に「このツカミは定石だな」「あ、このボケは逆張り系の笑いか」など、頭の中で分析が走り始めてしまうのです。

本来、笑いとは感情の爆発であるはずなのに、それを「冷静に読み解いている自分」に気づいてしまうと、笑いが止まる――。笑いを深掘りしようとした結果、笑えなくなるという矛盾に、私は不思議な面白さを感じました。

お笑いを超えて広がる話

この本の面白い点は、お笑いに留まらず、日本文化全体に触れている部分です。例えば、コロナ禍を通じて海外の人が映画を「字幕」で楽しむようになったというエピソードが紹介されています。以前は吹き替え版が主流でしたが、字幕を通して日本の文化やユーモアがそのまま伝わるようになったことは、日本のエンタメ業界にとって大きなチャンスです。

まとめ

『漫才過剰考察』は、「笑うこと」と「考えること」の間で揺れる感覚を味わえる一冊です。お笑いをただ楽しむだけでは物足りない、けれど「笑いの裏側を知ったことで笑えなくなる恐れすら楽しみたい」という少しマニアックな思いがある方に、ぜひ読んでほしい一冊です。
漫才を観て「ただ笑う」ことができなくなってしまったとしても、それもまた一つの笑いの楽しみ方なのかもしれません。



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