
どうしようもないこと。
こんにちは、まどかです。
温かい飲み物が手放せない今日この頃です。
さて、最初にいいます。
気分が落ち込んでいます。というより消耗してしまった。
でもそれは自分で行動してすっきりできる悩みではなくて、できることがあるとしたら「手放すこと」くらい。
そうとわかっていても、なかなかぬぐえない気持ちがぐーるぐる。
(´・ω・`)
悩みの種は、ひとことで言えない。
よくわからない。
けれどどうしようもない、ということはわかる。
わたしとある友人のこと。
近いからこそ見えるもの
ちいさいころからともだちで
家族や学校や恋愛、いろんなことを話してきた。
いつもニコニコしてて、努力家の子だ。
人の嫌味や悪口なんて言わない。
黒い感情なんて表に出さない子。
嫌がらせされようと、恨まれようと相手のことは悪く言わない。
そんな友人である。
関係性
わたしはそもそもあまり人付き合いは得意でない方だと思う。
とくに小学校~高校までの友人でいまも関係性がある人など、本当に片手に数えられるくらい。
そんな中、彼女は唯一といえるほど付き合いの長い友達。
いまお付き合いがある友人は皆、深く話せたり、明るくゆるくいられる人たちで、居心地がいい。
たくさんはいないけれど、どの人も尊敬していてこれからもご縁をつなげていきたい、そんな人たちばかりだ。
けれど、わたしが目下悩んでいる彼女は他の友達たちとはなにか違う。何が違うのかと問われれば、難しいが…
ムキになってしまう相手、と言えるかもしれない。
難しい
なにをムキになるかって、いろんなことを知りすぎているからともいえる。
家庭環境から、恋愛から、進路にいたるまで、すべてともいえる過程を見続けているからこそなのだと思う。
彼女はいつも、私にとって「どうしてそっちにいくの?」を繰り返している相手だ。
選んだこと
仲良くなったきっかけは、単純に好きなことが一緒だったことと、お互いに同じ悩みをもっていたこと。
ちいさいころ、とくに自分の世界がせまいからこそ
余計にその絆は強固になっていく。
わたしたちは確かに、同じ悩みを抱えているはずだった。
けれど、家庭環境は似ているだけで違うものだし、似たような性格だと思っていたのは、表向きの顔だけだった。
かつておなじ状況で悩んでいたけれど、
私と彼女ではまったく選ぶ道が違ってしまった。
わたしたちは、もうこどもじゃない。
過去
いまから10年前ほど。
あまりにもしんどそうで、苦しそうで。
もうやめなよ。そんなに苦しむ必要があるの?
あなたが悪いわけじゃないのに、どうしてそこまでするの?
明らかに苦しい状況の中、つらくても苦しくても、
「大丈夫、きっと相手にも事情がある、自分にも悪いところがあるんだ」
という彼女に、心底ムカついた。
それほど苦しいなら苦しいって言え。しんどいって言え。
自分を傷つけた相手のことなんか考えてやるな。
いい子して、余計に付け込まれて馬鹿にされて、なめられて。
傷ついてるのをみたくない。
そんなとってつけたような笑顔でヘラヘラ笑って、
私までごまかせるとでも思ってんのか。
仲がいいはずなのに、そのむりやりの笑顔の面を最後まで取ってもらえないことがわたしにとって最高にムカついた。
取ってはがしてやろうとムキになって、アドバイスを押し付けたりもした。
それが彼女のためだと本気で思っていた。
むかついた先
「わたしはまどかみたいに強くないよ。」
「がんばれって言わないでよ、もうがんばってるんだよ。」
そういわれても、当時の青すぎた私はすぐに納得できなかった。
でも、彼女の笑顔の面は私が何をしてもはがれなかった。
いろいろなやり取りをしたが、そのうちの一つでほとほとむかつきすぎて、置かれた状況をいいことに、彼女と距離をおいた。
ハンデというものはある。
背負わざえるを得なかった、自分ではどうしようもないもの。
”みんな”が当然のようにできることをできないということは相当な苦しみなのだろうと思う。
やるせないし、悔しいし、どうしようもなく価値がないと思ってしまうのも仕方ないことなのだろう。
理解したいと思ったことだって何度もある。
へらりと笑って流されてしまっては、それ以上聞くこともできない。
なにもできないと思った。
悩むところ
わたしからみた彼女のイメージはこうだ。
なにか分岐点があるとする。
分かれ道になると決まって彼女は苦難な道を選ぶ。
その基準はいつだって、周りの意見や誰かのため。
だからその選択が、自分にとっていばらの道だという自覚すらない。
”みんな”が行ってるからわたしも行かないと、とばかりに
目をつぶって突っ込んでいくのだ。
とげが刺さりまくって、痛くて苦しくても、
こんなところで止まってる自分が情けない、となく。
そうして自分を責めては心身ともにボロボロにしている。
もうやめたら?
がんばる土俵が違うんじゃないの?
やりたいことと、できることに差があるのは当たり前。
努力は裏切らないなんていえない、結果が付いてこないことはザラだよ。
自分にできること、できないことを考えないと。
それも理解できないまま、ただ「がんばります!」じゃ通用しないよ。
現実を見ないで、自分で自分をいたぶり続けてるようにしか見えないよ。
もう傷つかなくったって、十分頑張ったじゃん。
だれも責めたりなんてしないよ。
でも、到底言えなかった、そんなことは。
傷口に塩を塗りたくる悪者になりたくなかった。
だから距離を置くしかもうなかった。
考えるのにも、気を使うのにも、疲れてしまったから。
後悔
今思えば、彼女への行為は大いに自分のエゴだったと後悔している。自分のアドバイスを受け入れてもらえない恥ずかしさや、彼女がこれ以上傷つくのをみたくないという欲が強かったのだ。
過去に似た悩みを抱えて悩んでいたとしても、そして私がそこから脱却できていても、彼女と私は同じ人間ではない。
私が解決できたのは、とことん自分の感情に向き合うことができたから。
それができたのは、一般的に言えばまだ向き合えるほどの傷だったのだろうし、恵まれた環境もあり、もともとの性格も相まっていい方向に転じた。
それだけのことだ。
もちろん、私だって泣いたし悩んだしつらかったし、頑張った。
でもそれを人様に言ったって、どうしようもない。
彼女にはうらやましく映るだけで、反対に苦しめてしまったのだから。
いま
あれから数年たって、彼女とまた距離が近くなった。
正直、彼女はあの頃とさして変わっていない。
ずっと同じ問題に格闘している。
社会人となり、厳しい現実的な壁というものを超えられず、退かざるをえなかったこと。受け入れたくない性質が明らかになり、相当なショックを受けたこと。
私個人としては、それを聞いたときに辛かったねとは思うも、心のどこかでようやく安堵した。
「いばらの道だったと、気付くことができたんじゃないのか?」と。
けれど私からしたら、彼女はなお変わらない。
状況や環境が違えど、根本の課題は変わっていないと思う。
今ではそれが彼女の生き方になっているのだと納得した。
精神を保つための、生きるための彼女の武器なのだ。
その武器で得た大切な経験や、素晴らしいものも彼女はもっている。
私がとやかくいうことではない。
武器を捨てた生き方を、彼女のそばで教えて支え続ける責任は負えないし。
自分がいかに歯痒かろうと、やるせなかろうと。
どうしようもないことだ。
これから
また距離をおくのか?
わからないけど、今のところはするつもりもない。
私が過去に彼女にしたことを思えば、こちらこそ縁を切られてもおかしくないと思い、今まで通りの仲に戻るのなんて無理だと思ったこともあるぐらいだけど。
彼女はいつだって笑顔だから。
あんなことさえなかったかのように。
きっと、わたしがこれほど自分のことで悩んでいるなんて思ってもないんだろうからな。そのくらいわかる。
これからも、悩みがあれば話をきくし、頼ってほしいと思っている。
けれど、本音で話すことはもうないし、すごく親身にはならないと思う。
わたしの心の中で、だけれど。
彼女を馬鹿だなと見下したくもない。
私たちはもう27歳の社会人になってしまったから。
自分の選択に責任をとるのは当然のことだ。
それに、わたしは家庭を持った。
彼女を優先して、悩みの根本に寄り添い続けることはもうできない。
私はもうムキにならない。
どうしようもないのだ、と納得した。
読んでくださってありがとう。
最後まで救いのない話でごめんなさい。
どうしようもない、ということをくっきり自覚できた。
やるせないけれど、それが私にとっての学びだったと思って
ゆっくり時間をかけてでも、落とし込んでいきたいと思います。