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刀のこと・第一話

 今年6月から刀の勉強を始めた。とある刀剣会に入り、まずは初級講座で、いちから学んでいる。

 物事は思い通りにいかないものだ。今年3月末で前職を退職し、4月は転職活動に苦心した後、何とか再就職できたものの、年収は半分になった。お金のある時は、時間と心に余裕がなく、時間と余裕ができれば今度はお金がない。当たり前なのかもしれないが、しみじみと身に染みる。そんな中、家計に無理のない範囲で学び始めたのだが、とても興味深い。

 刀といえば、これまでも何度か展示されているものを見に行ったことがある。坂上田村麻呂の刀であるとか、楠木正成の刀であるとか。実は今年5月には源頼光公の没後千年ということで公開された鬼切丸も見に行ってきた。ただ、それをどう評価し、人に感想を伝えるのに、どのように表現したらいいのか、そのすべを知らない私だ。

 そもそもどうして刀の勉強をはじめたのかと言えば、具体的な目標があったわけではない。ただ、以前武術を習っていた先生に刀の取り扱いについて少し教えてもらったことがあるのだが、もっと学びたいという気持ちがあったのは事実だ。また、今習っている合気道では時々海外の道場から同門の士が来日し、一緒に稽古することがある。その時に、刀について問われれば、きちんと正しいことを伝えたいという気持ちもある。さらに、いずれ自分に縁のある刀に出会い、我が家の家宝にしたい、といった夢もあるのだ。

 今年はコロナ禍で毎月の刀剣講座はzoomでオンライン。定期的にあった刀剣鑑賞会も非常事態宣言下では中止だったが、ようやく再開された。今日初めて参加してきたのだ。

 刀鍛冶の方が事務局を務めておられ、初心者で初参加の私は、鑑賞会のはじまる前に、作法について少し手ほどきを受けた。刀剣を見る際に、唾が刀身に飛ぶのはご法度だが、コロナ禍で終始マスクをつけているので、お喋りの私にはうってつけ。多少喋りながら、教えを受けながらで鑑賞できる。

 用意された五振りの刀の銘柄を鑑賞の後、当てるゲーム形式とのこと。別に気負わなくていいし、初心者の私は古刀か新刀かだけ記入して入札してください、とのこと。とはいえ、緊張するし、全くわからない自分に苦笑いしか出ない。それでも諸先輩の所作をみながら、嫌ではない雰囲気に安堵しつつ、講座のテキストを見ながらあれこれ考えてみた。

 さて、今日用意されていたのは全て備前の刀だった。それも結構良い刀。鎌倉時代から南北朝時代、室町にかけての刀だった。長光、祐定、雲次、盛光などなど、、。鎌倉時代の腰反りの風格しか分からず、何が何やらの2時間ほどだった。それでも、こんなにじっくりと波紋や地鉄、刀そのものを見ることができるのは本当に貴重な機会。見れば見るほど、色々なことが見えてきて、その奥深さに魅了された。

 ルールや鑑賞の作法とは別に、刀鍛冶の想い、この刀がどのような経過を経たのか、人を斬ったことがあるのか等々、あれこれ思いもめぐる。終盤には少し緊張も解け、そっと正眼に構えてみて、思いを馳せてみた。「すごっ!!」と思うのみ、、、。
 ちなみに、人を切ったことがあるかどうかわかりますか?と尋ねてみたら、それはわからないとのこと。血は確かに刃の中に入っていくけれど、研いで落としたりするし、鑑賞する時にはわからないとのこと。まあ、銘に二つ胴とかあれば絶対切っているでしょうけど、、、。あとは霊的な直感だろうか。

 帰り際、諸先輩方に挨拶すると一人の方が「今晩は寝られへんで」と微笑まれた。とっさに「そうですね、夢に出てきそうです」と笑い返したが、案外そうかもしれない。言われてみれば、何だか気分がシャキッとして、気がしっかりしている感じがする。エネルギーをもらったというのはオカルトめいているのかもしれないが、なんだか元気になっているのだ。

 確かに今晩は寝にくいのかもしれないが、さてどうなるのだろう。

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