「感情を出す場」としてnoteをはじめてみた
はじめまして
岐阜県関市に住んでいます、針谷といいます。
普段は自分のブログで記事を書いています。
管理しきれないのでnoteは避けていましたが、自前ブログとは別目的で使っていこうと思います。
自前ブログでは地域情報や技術系などの『有用情報』を『論理的』に提供することを基本方針としていますが、このnoteの目的は逆。
『感情の赴くまま』に書きます。
何、このnoteに需要があるか?
そんなことはどうでも良いです。
どうせ広告は入れないんだ。好き放題書いてやるさ。
感情が無さ過ぎる
私は普段、基本的に自分の話をすることを可能な限り避けています。ボロが出るのを防ぐためです。
内心を突かれるのが大の苦手で、表面を取り繕いまくった結果、
「何考えているかわからない」
「詐欺師の才能がある」
「サイコパスっぽい」
という印象になりました。あまり良くないですね。まるで感情の無いロボットのよう。
実際、「人前で感情を出すこと」が大の苦手です。
自分のポリシーは「愚痴・言い訳・弱音は吐かない」こと。マイナス方面の感情を抑えまくった結果、喜びなどのプラス方面の感情もどこか人間味を失ったのかもしれません。
人間味を残したい
基本ひとりで過ごすことが大好き。
深く関わる人間関係が大の苦手。
その結果「人間としての効率化」が異様に進んだのか、感情が薄れに薄れまくっている気がしてなりません。
それはそれで悪くない、とも思っています。
この地域の魅力は「人」です!とか、支えてくれる家族がいるから頑張れました!とか。
世の中「人間」が美化され過ぎです。
実際の人間は汚いし悪いし、おまけに嫉妬という「負の感情」を全員モレなく抱えています。
「負」の面を見過ぎたら、誰しも感情をシャットアウトするものでしょう。精神疾患の症状にも含まれます。
そんな訳で、ストレスが増えすぎた現代社会で「感情的な人間性」が社会総和からジリジリ減っていくのは当然の流れといえます。
こうした流れ自体はパラダイムシフトのひとつだと考えています。そもそも2020~50年代は人類が「情報」としてアップロードされるまでの待期期間。
AIの進歩、シンギュラリティも進行中ですから。まあ、この詳細は別記事に。
話を戻して、感情が徐々に減るのは当たり前だよね、という話。
じゃあ、人間味を失う前に文章を残そう!
と思い立ったのが今の私です。
自分のブログでも記事は200本以上書いていますが、感情の赴くままに書いた文章はほとんどありません。
技術系情報は今後AIがいくらでも書けるでしょう。
でも、人間味のある文章は限界があります。
noteでは感情を晒す文章をドンドン書いていきます。仮にnoteの方が本家ブログより人気が出てしまったら複雑な気分になることでしょう。
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