2023年出雲大社初詣と、突如神様の前で湧いてきたビジネスと、オタマトーン。
”Such a great business!”
と長女は言った。
彼女がこの表情で何かを言うときはたいてい皮肉。
わざとらしく目をぱちぱちしたりして
さも”ビツクリです!”みたいな顔でこちらをじっと見てくる。
都合が悪いのは、
だいたいこの”ビツクリ”は
矛盾をスパコーンするし
本質をズババーンするし
とにかく厄介で、
だいたい私たち親は
囲い込み漁の如く、
だんだん自分の論理破綻で囲い込まれていって
最終的にヤベー立場に追い込まれることになるから
本来であれば、速攻逃げるに限るのだが、
新年の初詣の出雲大社マレーシア講社参拝からの
帰りの車中だったから、
完全なる密室。
逃げ場のない密室。
緊急脱出ボタンは車にはついていない。
ふと目を落とした時に捉えた
手に握られた出雲大社で引いたおみくじは
”争事(あらそい) 負けておく方が利あり”
いうばかりで
解決策など示してくれない。
神様…
この空気、どないすりゃいいの?
∞
私たち家族のことに少し言及すると
私たちは、マレーシア在住の日本人家族の中でも
日本的なことを全然重視してこなかったタイプの家族だ。
実は10年以上もマレーシアにいるのに
ここで開催される半端ない規模の盆踊り大会なんて行ったことはないし、
節分って言ったって恵方巻きではなくロティチャナイくるくる巻いて食べてたこともあるし、
節分の豆だって貴重だから勿体無くてとてもまけない。
国際引越しの荷物で一番の割合を占めた立派なお雛様は
「一回箱から出しちゃったら、複雑すぎてもう二度と箱にしまえなくなる」との大人の事情から、未だ一度だって日の目を見ていない。
女の子しかいないから、”子供の日”なんて過ぎ去ってから気がついたりする。
七夕だよねって織姫と彦星の話をしたら、
次女「年に一回会うって、ディボース(離婚)?」って
次女が言うから
もうなんのために短冊とか書いて笹の葉に括り付けまくって願うのか…?
呪の札か?とか。
お盆は心の中で、
「ご先祖様、ご無沙汰です。
いえ、こちらではなく日本の方でみんな待っておりますのでそちらへどうぞ…」
って祈るくらいだし、
十五夜は中華文化の影響を受けてムーンケーキだし、
大晦日とかお正月だって
だいたい旅行とかで家を空けてたりすることも多いから、
マレーシアにきて初めの数年だけ
”おせち”とか”お雑煮”とか頑張ったけど、
砂糖漬けと塩漬け満載BOXになっちゃう割に、イベントのための日本食材って正直たけーし(お口に気をつけて⁈後で反省会だお)
ああもう
全ては親のやる気のなさのせいだ。
ただそれだけのことだ。
とにかくそんな家族の中で
かろうじて私たちが日本人的なことをするイベントが
年が明けけると出雲大社マレーシア講社に参拝するということくらいなんだ。
∞
とは言っても
日本っぽい文化も常識も宗教観もすっごく薄い中で来てしまったから、
家族みんなが共有してる”日本ってこういうもの”みたいなベースがない。
”日本の神様”
っつっても
子供達は毎年イマイチピンときてない。
騒いじゃいけない場所だ
って思ってるだろうことくらい。
だから参拝中も子供達の視点は、
どちらかというと日本の神社に観光に来た外国人的なものに近い。
とりあえずまずお賽銭で
「いっぱいお金を払った分だけ
何かしらのグッドラックがもらえるよ的システム?(違う!)」とかヒソヒソ言う。
お参りするのに
「何のために”二礼四拍手一礼”するの?これやらないと神様聞いてくれないの?」とかボソボソ言う。
めっちゃ神様軽い。
バスケットボールみたいに人差し指の上でくるくる回せちゃうくらい軽い。
スピンすればするほど神様軽くなって
そのうちふわっと浮いて
マリオのパタパタみたいに飛んでいっちゃいそうなくらい軽い。
で、
極め付け。
帰りの車中でついに食いつかれたのが、
お守り
長女「パパ、お守りめっちゃ買ったね…。
いつも、『お金を使う時は、短期的でなく長期的視点で考えて
意味があると思ったことに使いなさい』とか、ママめっちゃ言う割に、
たった一年でエクスパイヤーになっちゃうお守りに、めっちゃお金使ったよね。
Such a great business!」
アイテッ
イテテテテテテッ
夫「いや、神社を維持するのって、実際めちゃめちゃ大変なのよ。
場所を借りて、
みんなが集まれるように
って
ずっと保っていくためにはどうしても
ものすごいお金がかかる。
自分は完全に神道信者とは言えないかもしれないけど、
出雲大社が、まさかマレーシアにあって、
そこに新年になると日本人が集まって…
ってそういうのなんか楽しくない?よくない?
これからもずっとそこにあって欲しいと思うから、
パパは少しだけどお金を払うよ。
あ、
ちなみに”ビジネス”の視点で言うんだったら、
確かに日本は宗教法人って税金とかめちゃめちゃ優遇されて、
”Great Business"だから、
超絶おすすめ。」
イテッ
イテテテテテテッ
宗教とか信仰心とか、そういうものに関して
真正面からしっかりと説明できる大人は
当然この家にいない。
∞
そりゃそうだ、
年一の神社参りくらいしかしてない人間達は、
そりゃ当然こうなる。
神道がこういうものって説明できるくらい
私だって神道に造詣深くないし、
何なら、般若心経は今でもソラで言えるけど、
日本で生活してた時には
どこに住んでたって
いつも身近なところには神社があったけど
神道が何かなんてそこまで詳しく考えたこともなかった。
どちらかと言ったら私は
毎月家にお坊さんがお経上げにきてた、仏教の方に近かった家で育ったし。
神道っぽいことだとアニミズムちょっと齧ったかなってくらい。
「まず、神社は神道ね。シントー。
あのさ、あなたたちが
『欲しい欲しい!次に日本に出張した時に買ってきてぇ、パパぁ〜!』
ってねだりまくってる
”オタマトーン”
あのめっちゃ可愛い音符の形の楽器、
あれ、シントーの影響を受けてると思うよ。(知らんけど)」
"Nani?Otama tone?"
と、子供たち、猛烈に食いつく。
「今までにさ
目とか口とかつけちゃってる楽器なんて、見たことある?
オタマトーン以外に思いつかんでしょ?
日本人が産み出したあれ、神道が持ってるアニミズム的要素の影響受けてるからだと思うんだよ。
だから日本から出てくるものってなんかヤバいんだよ〜。
どこか違うんだよ〜。
ユニークなんだよ〜。
アニミズムって、
生きてる、生きてないを問わず
すべてのモノの中にスピリットが宿っているって考え方のことなんだけど、
オタマトーンに”目”を描き込んだのは
意識してないけど、日本で育ったり住んだりしてる人たちって
その影響を少しは受けてるからかな
ってママは勝手に考えてる。
全てにスピリットが宿ってて、
人が勝手に壊していいものじゃない、リスペクトをしなきゃ
ってこと。
それを人間にわかりやすくするいちばんの方法が
目目耳(鼻)口を書き込むことだと思うんだけどね。
だからオタマトーンには音符のスピリットが宿ってるかもね。
めっちゃピースフルでクールだよね〜。フフフ。」
長女「Wait… Otama toneって宗教なの?」
「いや、宗教ではない。
アニミズムは、宗教っていうよりマインドセット的なものじゃないかな。
”身の回りの世界をどう扱うか”っていう考え方に近いんじゃない?
神道も宗教っていうより…
いや、ママ専門外だから実際やっぱりよくわからんけど…」
次女「私はとにかく
オタマトーンパーティーがしたい!
みんなで集まってオタマトーンで会話したりしたい。
パーティがしたい!(コレ、重要)」
(ガッツポーズをキメながら)
よっしゃ、やったー!
これで宗教から話題が逸れたから、
次女に感謝しつつ
全力で
”第一回 オタマトーン祭"
の企画立案して
そしてみんなで
”オタマトーン妄想フェス”
を楽しもう。
∞
小さな頃、
神社は子供達の遊び場で、
学校へ行くときの集合場所で、
場所を説明するための丁度いい目印だった。
あまりにも身近にありすぎると、
それが一体ナニで、どうしてそこに作られたのかなんて
知ろうとも思わないし、
疑問にも思わない。
あまりにも当たり前すぎるから。
祖母はいつも言っていた。
神社の神様は心が広くて
子供が神社で遊んだり騒いだりしてもニコニコして全然怒らないけれど
これだけはやっちゃダメってことを破ったら命取られるくらい怖いから
絶対に鳥居から神社の参道、神社本殿のどこでも
粗相しちゃダメだよって。汚しちゃダメだよ。
って。
こういうのって地味に残ってて
いまだに意味わかんないけど
参道の真ん中を避けて歩いちゃうとか影響されてる…
自然に、人から人へと共有されて
いつの間にかそれが当然のこととして認識されている
そういうの文化っていうのかもしれないね。
のに、
えっ?
私、さっき
神様、指に乗せてクルクル回して、パタパタみたいに飛ぶ
神様、めっちゃ軽い
とか言っちゃったけど、大丈夫か?
鳥居も潜ってないし
ここ参道でもないし
本殿までめちゃ距離あるから
きっと許してもらえる…ハズ。
そうであることをただただ祈ろう。