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ミスドの新作

自分にとっては苦じゃないことでも、人から見れば苦に見えることもある。
自分にとっては苦しいことでも、人から見れば苦に見えないこともある。

天理教の教会の長兄として生まれ、紆余曲折ありながらも教会に帰ってきて、妻とともに教会生活を送っている者です。

友人や知人から見れば、私のような生活は苦にしか見えないそうです。
毎月の給料は雀の涙ですし、朝は早いし、休みなんか無いです。
基本的には自由は無いし、何をするにも私だけの判断では動けません。
妻は私の両親と同居という形なので、同居の大変さ、辛さを絶賛享受中です。

そりゃあお金は欲しいし、自由に遊びに行きたいし、妻と二人だけの生活に憧れることだってあります。

それでも私は幸せです。
衣食住は満たされており、愛する妻がいて、元気に動くことができます。
不自由を共有できる仲間もおります。

無いことばかりに目がいくと気が滅入ります。
自分の思い通りにいかないことばかりに目がいくと、現状に不満だらけになります。
自分が持っていること、できることに目がいくと心が軽くなる気がします。

お金はないけど、稀に少額でも入ってくると、いただいたお金がめっちゃありがたく感じます。
自由はないけど、稀に自由になると、「自分は世界一自由なんじゃないかしら?」と勘違いします。
同居は辛いけど、稀に優しくされると、「まあ今回はこれで許してやろう」という謎の上から目線になります。

これが無い、あれが無い、これができない、やらせてもらえない。
こう考えると、キリがない様に思うんですよね。
私は欲が深い人間ですから、多分際限なく欲しがると思うんですよね。

これがある、あれがある、こんなことができる、やらせてもらえる。
できることは限られているのかもしれないけど、ゼロではないですからね。
「それだけでありがたい」とかいう悟りの境地みたいなことは言えませんけど、こう考えた方が健全な気がするんですよね。

無いこと、できないこと、やらせてもらえないことは確かにいっぱいあるけれど、みんなそれは大なり小なりあることで、私は無いことに目を向けるよりも、あることに目を向けて生きていきたいなと思います。

今日は家に帰る道すがら、妻が大好きなミスドに寄って、新作を買って帰りました。
お金は無いので、一人一つずつ。
「美味しいね!」ってドーナツを頬張る妻の満面の笑顔を見ることができる生活は、満たされてるなって思います。

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