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能楽鑑賞
先週、能楽を楽しむ会に参加させていただき、その流れで昨日初能楽鑑賞。
心地よいゆらぎ(声が絶妙に心地良く…)
と
大迫力、圧巻!
楽しむ会があって、鑑賞する良さ
ありがたい
五感を使って自然体で味わう
哀愁漂う人間性みたいなモノも沁みたし
お囃子の太鼓や掛け声の間合いも学びになった。
特に着物を着て締太鼓を打つイメージをちょうど知りたいと思っていた私にはタイミングが良すぎてありがたかった。(趣味の太鼓でちょうどそんなお話があった)
そのときは、コレをもう少し自然に近いところで味わってみたいな…そんなことを思いながら、本を1冊購入して帰宅した。
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夜になって一日を振り返りながら横になった。
すると突然なんか音の余韻がやってきた。
肚の底に残っている響きが再生されるみたいな…
セリフとかは分からないけれど、声や音が鳴り響く。
正直途中ウトウトしてしまった時間もあったのに、それでもこんなにも強烈に時差で響きを感じるってすごい!
能は「感じるもの」、
感覚として時差で湧き上がってくる面白さ。
能は、'あえて「変わらない」' そんな記事を読ませて頂いた。変わらないから感じられた今回の感覚なのかな、とも。
読ませて頂いた記事はこちら
言葉では表現し難い響き
それは時代も国も全ての枠を取り払って感じるものなのかもしれない。
まだ読みかけの本に海外公演での話があった
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趣味の太鼓や、ツキイチで受けている鍼灸や、色んなものが自分の中で能とリンクする。
何もかも中途半端な私だけれど、素晴らしいものとの出会いが自分の中で繋がっていくこの感覚、宝なんだと思う。
出会いに感謝。
余談
能に触れて自分が国文科だったことを思い出した。卒論で扱った平家物語の斉藤別当実盛。彼を描いた能が、たしか…あるはず。当時とても気になりつつ、いつか巡り会えたらいいな、と思った記憶…ほんとにいつか巡り会えるかもしれないな…
今後もふんわりとお能の世界を感じていきたい。