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気球

飽くなき探究心こそが向いているってことなんでしょうね。

ギターが物凄く上手い人の動画をyoutubeなどで見たりします。そういう人のチャンネルを深掘りしていくと、どこかで私から見れば変な方向へと突っ走っていくのです。

よく分からない奏法をしてみたり、エフェクターを大量に繋げて弾いてみたりします。

ギターに限った話ではありません。例えばスキーをする人の動画。普通に滑ればめちゃくちゃかっこいいのに、あえて誰も行かないような山に行って、穴に落っこちたところを動画にする。

私からしてみれば、せっかくうまく出来るのだから、かっこいいところを動画にすればいいじゃないか、と思うわけです。

と思っていました。

しかし実際に自分でギターを練習してみて、彼らの気持ちも少し分かったような気がします。

弾き語りがある程度弾けるようになりたいと思って始めた私は、fコードを練習して、一気に弾き語りで弾ける曲の幅が広がりました。

当初私が目標としていた熟練度には到達したわけです。熟練度というと大袈裟ですが、レベルに達したわけです。

始める前の私なら、ここでやめるつもりだったでしょう。しかし実際に始めてみると、もっと上達したいという欲が生まれます。

変な奏法とまではいきませんが、今度は単音で弾くリードギターの練習を始めました。好きこそものの上手なれ、ではないかも知れませんが、好きなものは更に色々なものを試してみたいという探究心が出てきます。

結局当初の目標であった「ある程度弾き語りが出来る」はとうに忘れて、私は未だ練習道の最中にいます。もっと色々出来るようになりたいと思っているのです。

きっと動画の中で変な奏法をしているギタリストも、飽くなき探究心の果てに、未だ道半ばの旅をしているのでしょう。

いつまでも現状に満足することなく、更に道の奥に進んでいこうと思えるものこそが、向いているってことなのかも知れません。

私にとって文章を書くということは、果たして向いていることなのでしょうか。

ギターと違って、目にみえる進歩というのがない執筆の道に、モチベーションは存在するのか。そんなことをふと思いました。書くことは好きなのですがね。

以上。読んで下さりありがとうございます。またよろしくお願いします。

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