ソラニンと軽音楽と
映画「ソラニン」の予告を見た。
忙しない毎日で、貴重なはずの自由な時間なのに、YouTubeをダラダラ見てしまう。「ダラダラできるのも幸せだ。」なんて、自分を誤魔化して、ずっとしたかったはずの、溜めている録画を観たり、本を読むことをしない。
ふと頭に浮かんだとある映画の主題歌、それをYouTubeで調べていた時に、映画「ソラニン」を思い出して、検索をした。当然本編は出てこない訳だが、予告を見た。また観ようかな、と思った。
初めてソラニンを見たのは、高1の時。音楽なんてYUIとファンモンしかまともに聞いていなかった私が、高校で軽音楽部に入った。そこで当然のようにアジカンと出会い、ソラニンという曲と、それの元になっている映画を知った。
TSUTAYAで借りて、観た。感動した。
涙がボロボロ出た。
だけど、主人公が赤信号にバイクで突っ込んだ理由は、わからなかった。
大学生になって、私は軽音楽サークルに入った。高校3年間で、それなりに色々な音楽を聴いて、すっかり「並よりは音楽が好きな人」感を出していた。(生意気だ。)
何年生かは忘れたが、大学時代に、もう一度ソラニンを観た。感動した。
涙がボロボロ出た。
主人公が赤信号にバイクで突っ込むシーンで。
高校時代にわからなかったことが不思議なくらい、わかってしまった。
主人公の切なくて、尊くて、綺麗で、残酷な心の動きが、わかってしまった。俺と同じだ、と思った。
ここで少し、軽音楽部というものについて。
高校の軽音部、大学の軽音楽サークルを経験した結果、私は軽音楽が、とても素敵だと思う。
軽くて、適当で、でも実はすごく真剣で。
学園祭だとか、卒業コンサートでは、なぜかいつも涙が流れてしまった。
意図して客観的に見れば、とてもダサい。プロが作った曲を、カッコつけて下手くそに演奏し、それを内輪の部員が見て、盛り上げて、涙を流す。ダサすぎる。
だけど、そこにしかない音があるのだ。技術とかでは語れない、不思議と心が揺さぶられて、共感してしまう音。
それは、プロには絶対に鳴らせない音だ。
なぜなら、プロには"ならない"人間にしか鳴らせない音だから。
それは、好きなことも曖昧で、音楽が好きでここにいるのか仲間が好きなのかもわからなくて、でも音楽は楽しくて、だけど、才能はなくて、それを補う程の努力をする熱量もなくて、そんな自分が嫌いで、嫌いなくせに何もしない自分がもっと嫌いで、だけどバンドは楽しくて、将来に音楽で生きていく選択肢はなくて、生き方に迷ってて、今の楽しい瞬間にしがみついていたくて、でもそれは許されないと、知っている音。
ソラニンの主人公種田は、大学の軽音楽サークルを卒業し、バンドマンとして生きていこうとするが、うまくはいかない。
その種田がつくった、「ソラニン」という曲。
「ソラニン」も、種田のバンドROTTIも、決して売れることはない。(もちろん映画の中の話)
プロには"なれなかった"種田が鳴らす音。そこに強い共感を覚えるのかもしれない。
社会人になって少しした今、私は種田にかなり近い年齢だ。今、改めて「ソラニン」を観たら、何を思うのだろう。楽しみだけど、少し怖い。