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つゆとの話し(9)
前回のお話し
余命宣告
11月13日。起床してリビングへ。
お気に入りの段ボールサークルに入っているつゆに「つゆちゃん、おはよう。」と声をかける。
毎朝、つゆが息をしているか確認しては、ほっとする日が続く。
少しだけエサをなめる。大好きだったちゅーるもほとんど食べられない。薬ももう与えられなかった。
昨日まではまだそれなりに動いたり食べたりしていたが、この日は微動だにもしない。おしっこも全然しない。心配になる。
妻が用事で昼から外出。自宅で時間を潰しながら、2~3時間おきにご飯を食べさせる。ほんの少しずつなめた。わずかだがおしっこも出て少しだけ安堵する。
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14時ごろ、庭でひなたぼっこをした。
「つゆちゃん、今日は暖かいね。」と話しかけてみた。返事をすることもなく、黙ってこちらを見た。
つゆは何を思っているのだろうか?少しでも幸せに感じている時間が増えてほしいと願う。
少し日が傾いてからは家の中でまったりと過ごした。今日もつゆは生きてくれた。たくさん撫でてあげた。
このころ、シリンジ(給餌用の針のない注射器)で液体の療育用のエサの給餌も試してみたがつゆは激しく嫌がった。
無理やりでも飲ませたら少しでも長生きしてくれるのではないかと言う願いとつゆが嫌がることをしたくないと言う思いが交錯する。
「そりゃ、つゆには少しでも長く生きてほしいけど、苦しませるのはやめようよ。」と妻は言った。
「そうだね。無理に食べさせないでおこう。」と僕は答えた。
シリンジでの給餌をもうやめる、と決めた。何かを決断するたびにつゆの残りの命の時間が短かくなっていくのを嫌と言うほど痛感させられる。
11月14日。日曜日だった。
今日もまったくご飯を食べない。次の来院日まで日にちがあるものの、いたたまれなくなって動物病院に連れていくことにする。
どうしましたか?と聞かれ、事情を説明した。
僕は、少しでも楽にしてあげてください、とお願いした。もう長くはないことは分かっていた。
先生は気休めだったかもしれないが点滴をしてくれた。
点滴をしながら僕は聞く。
「先生、だんだん弱るというだんだんはどれくらいなんですか?1年くらいもったりするんですか?」
・・・・
「もっても・・・来週か再来週でしょうね。」と告げられる。
分かってはいた。分かってはいたのだが、いざ余命を聞いてしまうと涙がこぼれそうになった。
病院を出る。家に帰る道中、妻は膝の上に載せたつゆの入ったかごをぎゅっと抱きしめていた。妻がぽつりと言った。
「来週なんだね。」
僕は運転中にも関わらず、視界がにじんできた。
家に帰ったら、つゆは点滴をして少し元気なったのか玄関の前まで歩いていき、外に出してほしいとかすれた声で「みゃー」と鳴いた。妻と一緒に外に出る。
1時間くらいは外にいただろうか。もって来週か再来週と言う言葉が頭から離れない。
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夜になって帰宅した子供たちに「もって来週か再来週」と言われたことを伝えた。2人とも声にならないような声を出していた。ショックだったと思う。みんなつゆのことは大切に思っているのだから。
今のうちにつゆとの写真を撮っておこうと話した。家族みんなが少しでもつゆの思い出を残せられたらうれしい。
まずは次男が撮った。次男はよく、歯を磨きながらつゆを撫でていた。いい写真だと思う。
つゆを飼い始めた時にいちばん喜んでいたのが次男だった。自分の布団に連れていったり、膝の上に載せたり、よくかわいがっていたし写真もよく撮っていた。そんな次男にとってつゆと撮った最後の写真だ。
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もう つゆに対してできる事は、少しでも穏やかに残りの生を過ごしてもらうことだけだった。残り少なくなった、「できること」を精いっぱいやろうと思った。
つゆがお別れを伝えにくる
11月15日。朝から弱々しいつゆ。動けない、ご飯も食べない。
僕も妻も子供たちも、いつものように日常を始める。僕と妻はなるべくつゆをひとりぼっちにしないように気をつけながら過ごした。
午前の仕事を終え帰宅。スプーンで高齢猫用スープを飲ませてみた。つゆは少しだけ飲んだ。ほんの少しの安堵感とこれだけしか食べてくれないという気持ちで泣けてきそうになる。
16時40分ごろ、仕事中に僕に妻からLINEが送られてきた。下の写真とともにこんな言葉が添えられていた。
「つゆ キッチンまで歩いてきた」
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前の日から歩けなくなっていたつゆがよたよたと歩いてキッチンにやってきた。妻は何か食べたいのかと思い食べ物を口元まで運んだが食べなかった。
つゆは元気だった時にそうしていたように妻が料理を作るのを静かに眺めていたそうだ。写真のぼろぼろなつゆを見ると今でも涙がこぼれそうになる。
この時は少し元気になったのかな?、などと考えてしまったがこれを書いている今の僕は知っている。
つゆは妻にお礼と別れを告げに来たのだ。自分の意志で、自分の力で動けるうちに。
夜になって妻からまたLINEが入る。「つゆが夜だけど出たいというのでお庭に出た。」
僕も仕事を切り上げ急いで帰宅する。まだつゆと妻は外にいた。30分ぐらいだろうか、妻からつゆの話を聞きながら一緒に外にいた。
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つゆは外に出たあと、2~3歩歩いては休憩することを繰り返し、30分以上かけて庭を一回りしたそうだ。さぞ苦しかったに違いない。
それでも庭を回りたかったのは元気だった時を懐かしむ思いだったのだろうか。あるいは大好きだった庭をその目に焼き付けたかったのか。
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最後は玄関マットの上でうずくまり時間を過ごしていた。ここも元気な時によく寝転がっていた場所だ。
僕と妻はつゆに話しかけた。
「つゆちゃん、がんばったね、えらいね。」、「でも、もう苦しかったらがんばらなくてもいいよ。」と。
穏やかな時間だった。ずーっと続けばいいのにと思う。
しばらくして寒くなってきたので家の中に入った。
つゆが僕たちに、そしてこの家に最後のお別れを伝えた気がした。いよいよつゆを失う時が迫ってきたという実感が、僕たちに重くのしかかってきた。
つゆは家族に対して分かりやすい愛情表現をしてこなかった。それでも僕たちを家族と思い、我が家を自分の家と思っていてくれたのだろう。
この夜、僕たちは今までにないほどにつゆの強い情愛の気持ちを感じた。
家族がつゆのことを大切にしてきたのと同じように、つゆも大切に思ってくれていたのだ。こんなにうれしいことがあるだろうか。
妻と話した。最後のその時まで精いっぱいお世話しよう、と。
次のお話し