ねこのつゆとまつとポーとたま
令和3年11月16日に生涯を終えた飼い猫のつゆとの思い出を残します。
前回のお話し いよいよ、つゆとのお別れ 11月17日。いつも通りの時間に目が覚める。今日はいよいよつゆとお別れの日だ。 足もとで寝ているつゆにむかってあいさつをする。 「つゆちゃん、おはよう」 妻と顔を見合わせる。また涙がこぼれそうになる。 リビングに出てカーテンを開ける。よく晴れた日だった。元気だったころのつゆはきっと窓際で日向ぼっこを楽しんだに違いない。 まつにもあいさつをする。返事の代わりに元気に朝ご飯を催促してくる。変わらないで元気にいてくれること
これから、ねこや犬を飼おうと思っている人にぜひ知ってもらいたい、保護ねこ、保護犬という選択肢。 僕も先代ねこは自分で保護した子、今の子は譲渡会で出会い、保護ねこの里親になって飼っています。 (先代ねこのつゆを保護した時の話しはこちら) そもそも、動物保護団体とは? 行く当てのないねこや犬を引き取って、しつけやお世話をし、その子が一生を過ごせる里親さんに引き渡す橋渡しをする団体です。 施設を持たない保護団体では預かりボランティアさんが自宅にねこや犬を引き取りお世話
前回のお話し 余命宣告 11月13日。起床してリビングへ。 お気に入りの段ボールサークルに入っているつゆに「つゆちゃん、おはよう。」と声をかける。 毎朝、つゆが息をしているか確認しては、ほっとする日が続く。 少しだけエサをなめる。大好きだったちゅーるもほとんど食べられない。薬ももう与えられなかった。 昨日まではまだそれなりに動いたり食べたりしていたが、この日は微動だにもしない。おしっこも全然しない。心配になる。 妻が用事で昼から外出。自宅で時間を潰しながら、
前回のお話し 通院が始まる 10月20日、つゆは少し足取りがよろけるようになった。朝からほとんどおしっこも出ない。食欲もなくなってから数日が経っていたので動物病院行くことにした。 まずは血液、尿などの検査をする。少し炎症反応があるものの、いちばん懸念されていた腎臓への細菌感染はなかった。体重はやはり減少していて4.3キロになっていた。 詳しく調べるために先生は血液を検査機関に送った。結果は出るのは1週間ほど後だ。 この日はビタミンなどの点滴と、飲み薬をもらった。3
前回のお話し 僕の願い 「つゆ、しっぽが2本になってもいいから長生きしなよ。」 僕はブラッシングをしながら、あるいはただ背中を撫でながら、よくこう言ってつゆに聞かせた。 猫は長生きするとしっぽが2本になって妖怪猫又になると言う伝承があるのだが、もちろんつゆに本当に化けねこになってほしいわけではない。 しっぽが2本になるくらいに、つゆには長生きしてほしいと思っていた。 令和3年になった頃、つゆがだんだんと老いているのを感じた。 もともと動かない子だったがさらに
前回のお話し つゆが来て3年 令和2年の梅雨。 つゆが我が家にきてから3年が経った。まつもいつの間にか1年半が過ぎていた。 このころのつゆとまつとの関係はつかず離れず、という感じだった。つゆもずいぶん落ち着いて過ごせていたと思う。 まつはつゆにちょっかいを出すことが少なくなっていた。成長して落ち着いてきたのだろう。自分は自分、つゆはつゆと言うことを理解したようだ。 それでも、つゆのことはお姉さんと思って慕っていたようで、ひなたぼっこの時などはつゆの近くにいるこ
前回のお話し つゆとブラッシング つゆはブラッシングが大嫌いだった。 つゆはブラシを取り出すだけでキッチンに逃げていき、少しブラッシングすれば「うーー、うーー」と抗議の声を上げた。 それでも続けると、ブラッシングしている僕の手に向かって猫パンチやかみつき攻撃を繰り出してきた。 いつもおっとりしていた つゆがめずらしく反抗心をむき出しにする時だった。ブラッシングはつゆとのスキンシップであり、戦いでもあったのだ。 つゆはもっふもふの長毛猫でブラッシングをさぼればす
前回のお話し いい子だね。 見出しの「いい子だね。」を見て猫好きの人は、ピンと来たかもしれない。NHKの番組「岩合光昭の世界ネコ歩き」の中で岩合さんが、猫に向かって必ずかける言葉だ。 僕も岩合さんのマネをして、つゆに「いい子だね。」とよく言っていた。 平成30年の夏ごろだったと思う。なんと、その岩合さんが近くの百貨店にやってくることになった。トークショーとサイン会を行うとのこと。 これは必ず行かねば!と思い当日、妻と百貨店へと出かけた。 まずはトークショーからだ
前回のお話し つゆのインスタを始める 少し話しが前後するが、前年の年末くらいからインスタグラムを始めた。 かわいい、かわいいと馬鹿みたいに毎日のようにつゆの写真を撮りまくっていたらiPhoneの容量がいっぱいになってしまった。まさに親バカここに極まれりだ。 写真はPCに保存してiPhoneから消去するのだが、写真を見るのにいちいちPCを立ち上げとなると写真を見るのも面倒くさい。 そこでお気に入り写真を簡単に見るためにインスタに投稿することを思いついたのである。
前回のお話し つゆとの生活が始まった いよいよつゆとの生活が始まった。僕はつゆが家にいることが嬉しくて仕方なかった。 ご飯を食べたり、トイレに行ったりしただけでおりこうおりこうと褒めちぎり、あくびや伸びをすればほほえましく見守った。 仕事が終わると急いで帰りつゆを探す。ちょっと迷惑顔のつゆを撫でまわす。晩ごはんを食べながら妻から「今日のつゆちゃん」の話しを聞く。 そんな日課が僕の中からすーっとストレスを抜いてくれていた。楽しくてかわいくて仕方がなかったのである。
前回のお話し つゆの最後の一日が始まった 11月16日。今日も良く晴れた日だった。朝、つゆが息をしているのを確認してほっとした。いつ来るか分からない終わりの時までなるべくつゆのそばにいたいと思った。 もう薬もエサをあたえることもあきらめた。つゆの嫌がることはせず穏やかに残りの生を過ごしてほしかった。 いつもと変りなく、みんな動き出す。次男は高校、妻は家事、僕は仕事。今日は長男は大学に行かなくていい日だった。お昼につゆと写真を撮ろうと約束した。 午前の仕事が終わり
令和3年11月16日、飼い猫の「つゆ」が生涯を終えた。我が家に来てから僅か4年半でのお別れだった。 つゆは大柄なメス猫でとてもきれいな子だった。多分、ノルウェージャンかメインクーンあたりが入った雑種だと思う。とにかくおっとりしていて、つゆがいるだけで家の中の空気がふんわりと落ち着くそんな猫だった。 つゆがいなくなってしまった今は、ただたださみしく、悲しい。視線でも心の中でもいなくなってしまったつゆを無意識に探してしまう。 なかなか「つゆのいない家」に慣れないのだろ