ミュンヘン 21世紀を迎えた日
ミュンヘンには、何度も足を運んでしまう。
バイエルン州の州都、ミュンヘン。
バイエルン州は、ドイツとは別の国『バイエルン国だ』なんて冗談を言う人もいる。
確かに、訛りは強く、挨拶も食事も少し違う。
私はこの街について、とても大らかなで陽気な印象がある。
ミュンヘンの中心地マリエン広場周辺には、たくさんの大道芸人達が集うので、一人一人の芸を見ながら歩くだけでワクワクしてしまうのだ。
マリエン広場の新市庁舎
新市庁舎の塔に作られた大きな仕掛け時計は、等身大の人形が使われているそうだ。
玉ねぎ屋根の聖母教会
私が初めてミュンヘンを訪れたのは、ドイツ人の友達と、その家族とだった。
ビアーガーデンでビールを飲み、ドイツ博物館、映画スタジオの見学や、オリンピックスタジアム跡地を見学した。
私の大好きな映画、ネバーエンディングストーリーのファルコン。
ミヒャエル・エンデの果てしない物語、Die unendliche Geschichte。
私が初めてドイツ語の本を読破したのは、この本だったと思う。
主人公になった気分で、私は毎回、長い長い旅に出る。
この本とモモは、私の本棚の一部。
円錐型の建物は、BMW博物館。
その後、私達はフュッセンに向かったのだが、これが私にとって初めてのノイシュバンシュタイン城見学だった。
この日の出来事は、以前の記事にて。
ミュンヘンの街中を歩いている時、友達の母が市場でブドウを買った。
マスカットのような、緑色のブドウだ。
そして、Ditoも食べる?と紙袋に入ったブドウを、私に差し出してくれた。
私は一粒ブドウをもいで食べたのだが、あまりの美味しさに驚いてしまった。
そんな私を見て、友達の母は、ちょっと待っててと言い残し、もう一房を私の為に買ってきてくれた。
今でも市場でブドウを買う時には、友達の母の後ろ姿を思い出してしまう。
ミュンヘンは、美術館や博物館も豊富だ。
ゴッホのひまわりは、現存するものが6枚あるというが、そのうちの最初の一枚を私はここノイエ・ピナコテークで見たのだった。
こんもりとするほど絵の具を塗られた絵を見た驚きは、今もはっきり思い出せる。
ミュンヘンと言えば、ビール無しでは語れないだろう。
オクトーバーフェストだけでなく、ホーフブロイハウスHofbräuhausのようなビール醸造所兼レストランで、美味しいビールを楽しめる。
長いテーブルでは、お隣さんともすぐに仲良くなってしまう。
何を注文しようかと迷っていると、これが美味しい、あれが美味しいと、みなが競って料理を勧めてくれる。
いつだったか、陽気なドイツ人のグループと隣り合わせになり話が弾んだ。
そして、是非またドイツにおいでと言って、私達が飲んだビールを奢って下さった事もあった。
店内はドイツ民謡を演奏しており、それを聞いているだけでも楽しい。
乾杯の歌が流れてくると、みなが肩を組み一緒に歌いはじめる。
私はここでこの歌を教わったのだが、オクトーバーフェストの曲でもあるらしい。
Ein Prosit, ein Prosit
Der Gemütlichkeit.
乾杯しよう!乾杯しよう!
この心地良いひと時に!
この曲がかかる度に、何度も何度もみんなが大合唱をする。
Hofbräuhausは、二階部分が大きなホールになっている。
1920年には、そのホールでヒットラーが演説をしたことでも有名だ。
世界一のビールの祭典オクトーバーフェストには、一度だけ足を運んだことがある。
今年は3年ぶりにオクトーバーフェストが開催され、大変な賑わいだったそうだ。
ドイツ人の同僚は、毎年このオクトーバーフェストを訪れる。
ホテルも毎回同じ場所に泊まるそうだが、チェックアウトの時に来年の予約をしてくるのだと、誇らしげに語っていた。
どんなに仕事が忙しくても、彼は必ずその時期にきっちり一週間の休みを取り、オクトーバーフェストに行く。
普段は口数少ない彼が、オクトーバーフェストの前になると口数が多くなり、機嫌が良くなる。
私は、そんな同僚が大好きだ。
私が初めてオクトーバーフェストに行くと話した時には、やっとDitoも行く気になったのかと喜んでくれたのが懐かしい。
各醸造所の建物内で、みなが上機嫌でビールを飲んでいる。
ジョッキは1リットル。
ウェイトレスさんはドイツの民族衣装を着ており、片手で5つのジョッキを運んでくる程の力持ちだ。
しかし、私がミュンヘンで思い出すのは、ビールの祭典ではなく、2000年の大晦日。
私はその時、友達と一緒にミュンヘンを旅行していた。
新年を迎える数時間前、私達はマリエン広場に向かった。
すでにたくさんの人が集まり、爆竹や花火をしていた。
ドイツでは、日本のようにいつでも花火ができるわけではなく、この大晦日の数時間しか許可されておらず、販売も年末の数日間だけだ。
爆竹の音に驚き、外気は手足が凍えるほどに寒かったが、私達はその時が来るのをマリエン広場の何千人もの人々と一緒に、ひたすら待った。
そして、その時がついにやってきた。
広場にいた誰かが、Dreißig! (30!)と大声でカウントダウンを始めた。
その声に合わせて、広場で一斉にカウントダウンが始まる。
10、9、8、7、6、5、4、3、2、1
Frohes neues Jahr!
新年おめでとう!
私はこうして、ミュンヘンのマリエン広場で21世紀を迎えた。
周りにいた人達とは自然と連帯感が生まれ、一緒にシャンパンを傾け、お互いにハグをして新年を祝った。
日本の厳かな新年の始まりとは違い、ドイツの新年は爆竹の音と花火で華やかだ。
その喧騒の中、新しい一世紀を私はどう生きるのだろうかと、ふと考えた。
その夜は、なぜかいつまでも寝付けなかった。
爆竹の音が耳に残っていただけではない。
きっと『21世紀』という言葉の響きが新鮮で、まだ目に見えぬ新しい何かへの期待で、胸が高鳴ってしまったのだろう。
二十数年後にまだドイツにいて、このような記事を書いているなんて、あの時の私には想像もできなかった。
ただ一つ言える事。
それは、私があの時と同じように、ずっと変わらずにドイツが好きだという事。
そして今は、あの時以上に幸せに暮らしているという事だ。
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2022年最後の日まで、私の拙い文章を読んで下さってありがとうございます。
皆さま、今年はどんな一年でしたか?
私は6月辺りから定期的に記事を書き始めましたが、noteのお陰で思い出に残る一年となりました。
スキを押して下さった皆さま、温かいコメントを残して下さった皆さま、フォローまでして下さった皆さま、本当にありがとうございました。
私はちょっとばかり恥ずかしがり屋という弱点がありまして、フォローさせて頂く事や、皆さまの記事にコメントを残す事に対し、まだまだ勇気が要ります。
スキを押す事が私の愛情表現なのですが、せっかく私の記事にコメントを下さっているのにも関わらず、私からは皆さまの記事宛にコメントを送る事は圧倒的に少ないと思います。
よく考えてみたら、私はとても失礼な事をしているのではないかと思うようになりました。
この半年の間、たくさんの失礼がありました事、ここでお詫びをさせて頂きたいです。
こんな私ですが、少しずつではありますが、コメントでお話させて頂く楽しみを知り、皆さまの記事や、頂いたコメントを読んでから一日を終える事が日課となりました。
知らない世界を教えて頂き、同じ気持ちや思い出を共感できる幸せ。
noteを通して皆さまに出会えた事は、本当にありがたい事です。
これからも、お一人お一人とのご縁を大切にしていきたいと、そう願っています。
皆さま、どうぞ良い新年をお迎え下さいませ。
Guten Rusch ins neue Jahr!