Ver16 チューニングショップ列伝 埼玉県 MCR編 過激派?で知られるチューナーの素顔は…

 一時期、首都高バトルが流行った時期がありました。待避所にギャラリーがたむろするほどに。平成初期、景気がまだ悪く首都高も渋滞が少なかった時代。0時を過ぎるとタクシーもまばら、そこはサーキット状態だったというのも頷けるのではないでしょうか。花売太郎氏を始め、首都高ランナーがバトルを始めたのは自然の流れだったのかも知れません。

かつては人気(ひとけ)のない峠まで走りに行ってた「走り屋」がGT-RやRX-7に乗り換えて、都心にハイスピードステージを見つけたのだ。

ゲームで首都高バトルなんてのが出て一般的に知られるようになった頃には、現場は既に下火になっていた。

 そんな首都高をガンガン攻めるレーサー(だった)として知られる小林氏が手腕を奮うのがMCRだ。自らエンジンを組み、ハンドルも握る。現場で走っているからこその説得力。空手道場に通い肉体も精神も鍛錬しているという同氏は「空手をマスターすると、たまに本当に使い物になるのか試したくなるんだよね…あはは」などと言うが、あの巨体から発せられる正拳突きを撃ったら間違いなく人が死ぬだろう…。実際たまにマナーのなってない輩には説教もくれるというが(笑。でも、筋が通っていて気持ちがいい人柄に惹かれて多くのユーザーが集まるのがこのショップ。

MCRのステッカーを貼っていると、血の気の多いのからバトルを仕掛けられるとかられないとか。ステッカーだけ買って軽い気持ちで貼らないように(笑

 ガレージは高速を降りて脇道入って…大きなプレハブの倉庫的なところ。キレイなマインズみたいなお店ではないので、正直、入りにくさ120%(笑。番頭さんが居るわけでもないので、作業中の誰かに声を掛けなくてはならない。かつてはドーベルマン(亡くなってしまった…)がウロウロしていたから、一見さんなんて入れなかったんじゃないかな。もっともMCRが一見を求めていないかも知れない。

 首都高レーサーとして名を馳せ、ユーザーも速いということでその知名度は飛躍的に上がった。ともに造り、ともに走ることでお互いを磨く、そんなファミリー的な付き合いがMCR流。首都高が混み出してくると、その場をサーキットに移し、小林氏とユーザーと、そして余所のショップのユーザーとのタイムバトルが勃発した。仲間内でも社長に追いつけ追い越せ、彼に勝った負けたで切磋琢磨。もちろん余所のショップのクルマになんて負けるんじゃねえ!といったところだろう。

 プレハブとは言え、設備は充実している。(追記:最近移転し、新しいガレージを新設。本格的シミュレーターも導入し一層充実した)ダイナモから診断機、エンジン室まで全て揃っている。エンジン室は温度や気圧などの環境を整えて、毎度同じ条件で組むための密閉空間となっている。35GT-RのセッティングやミッションOHも早々にマスターしていたので、海外のチューナーに招聘されてセレブのマシンをいじることもしょっちゅう。荒々しさのイメージが先行していたが、技術力は先端を行っており、新テクノロジーの吸収も早い。N耐のCPUセッティングに携わっていたこともあり、その辺りの知識も万全。耐久ゆえの燃費がいいセット、一発タイムを出すためのセット、など「いい塩梅」の燃調はお手の物。

またパーツのチョイスについては、良くも悪くも偏りがないのが特徴。例えばサスペンションとブレーキはエンドレスをずっと使っているショップは、客にもエンドレスを勧めるし、セッティングノウハウも蓄積されている。これはビジネス的な繋がりもあって、ショップとメーカーは長いこと固定されてしまう傾向にある。しかしながら、MCRは新しくイイと言われてるパーツがあれば積極的に試し、実際に良ければ簡単に鞍替えしてしまう。商売相手のメーカーからすると、義理人情に欠けるというところだろうけれど、ユーザーにしてみれば、数多あるブランドの中から最良のモノを勧めてくれるお店、ということにもなる。


一時期流行った(笑)「あそこの店はエンジンは余所に出してる」という噂の対象にもなったことがある。

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かつて自分の血を沸騰させたスポーツカーと界隈の人間。その思い出を共有していただきたい、知らない方に伝えたいと、頑張って書いております。ご支援いただければ幸いです。