Ver20 じゃあ私、どうしたらよかったって言うの? 別れるしかなかったでしょ?

GT-Rのワガママについて行けず、浪費癖に耐えられず、ついに別れてしまった自分…

でも、掛け違えたボタンを、あそこで修正すれば、こうしていれば、ああしていれば、俺たちは永遠に愛を育み続けられたのではないか? そんな妄想は尽きることがありません。本当に憎くて嫌いになったわけじゃないんです。好きなところも沢山あったし、それは今でも変わらないんです。夢にも出てきます、アクセルを開けた瞬間、ステアリングを切った瞬間、そんなスリリングな光景が、今も。

別れた原因は、トラブルとコストでした。

お金が解決するというけど、じゃあ経済的に余裕があったら手放さなかったのか? 答えは「ノー」です。いつ壊れるか分からない、信用してアクセルを踏めないマシンでは、気持ちよくお金を貢げないんです。逆にトラブルがなかったら、維持費や消耗品の価格が二倍だったとしても、乗り続けていたかも知れません。

なぜあのGT-Rが悪女:トラブルメーカーだったのか。それは自分も未だに分かりません。悪魔のZよろしく、呪われていたのかも知れません。10万キロを超えているなんて、GT-Rにとって別段たいした距離ではありません。10年という月日も同様に。サーキットでガンガン走る人も居ますが、だからといってトラブルが続出するわけでもありません。たまたま「ハズレ」だったのか…。あれが「アタリ」だったら自分の人生は変わっていたかも知れません。あとはボディ補強するだけだったな…そんなことを今でも思うことがあります。

実は、自分が「別れる」という結論を出す前に、選択肢がありました。それは、壊れないGT-Rに乗り換えるという道です。それは程度のいい32か、はたまた34だったかも知れません。幾分、それで悩んだ時期がありました。

それでもGT-Rと別れたのは、同じクルマをまたイチから作り直すだけの気力も体力もなかったから。フルチューンで程度のいい車両を買うという手もありますが、やはりそこは自分流に作り上げたいし、その課程こそがチューニングだとも思うのです。なんとなく、友人のカミサンを貰うみたいなイメージで、いい気がしないんですよね。誰かが、方向性を決めて作り上げたマシン。それに自分が乗ったら、マシンに自分が合わせなきゃならないんじゃないかな?みたいな気持ちがありました。

結局、自分が考えていた、「80万のGT-Rに500万かければ、600万のデッドストックGT-Rより良いものが出来る」というのは間違いだったのでしょうか。最終的に1000万以上を貢ぎ、そして手放して何も残らなかった…という結果から見ると、間違いだったのかも知れません。

それでも自分に、時速300キロの世界を、500馬力の世界を、トルク60kgの世界を見せてくれた。死のさらに先にあるようなスリルを体験させてくれた。それだけで十分だったかなと、今は思うのです。

あのとき、自分の全てをRに捧げ、そして形にはならない大きなモノを貰いました。


ありがとうGT-R





かつて自分の血を沸騰させたスポーツカーと界隈の人間。その思い出を共有していただきたい、知らない方に伝えたいと、頑張って書いております。ご支援いただければ幸いです。