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はじめまして、箱屋です。

noteをはじめたばかりなので、まずは自分のことを少し話してみます。

私は、村上紙器工業所という「貼り箱」という紙製の商品パッケージを企画・製造する小さな町工場の代表をしています。

人の心を動かすパッケージ。
貼り箱の企画・製造
村上紙器工業所

いまは家業の紙器(貼り箱)製造を生業(私が3代目)としていますが、ここまで来るのに相当な遠回りをしてきました。学生時代、大学にいくような頭もなく、普通科に行ってもしょうがないと思い、工業高校(電気科)を選びました。

小学生ときから電気工作は好きだったので電気科を選んだのですが、工業高校といえど電気工学・電子工学の専門課程は中々難しいかったです。

高校在学中は放送部に所属。就職活動時、今と違い当時(1980年代前半)は結構景気もよかった時代でした。元々オーディオが好きだったこともあり、狭き門でしたが日本放送協会(NHK)を受けたらたまたま合格。研修期間を経て最初、NHK大阪放送局技術部(当時)に配属されました。

そのころ一人旅に目覚めて、年末年始やGWなど休暇が取れるときに日本中を一人旅してました。
そのときに出会ったのが、本当に多くの様々な背景を持つ友人たちでした。いまだに一部の友人たちとは、30年以上の付き合いがあります。

当時はYH(ユースホステル)を使い、旅をしていました。男女ともひとり旅の人間は珍しくなく、メールもスマホもない時代、写真を撮って(もちろんフィルム)住所交換をして送り合いをしてました。文通というやつです。
今ならやることはないでしょうが、写真プリントを焼き増しして手紙に入れて送る。相手からも、同じような写真が送られてくる。そうやって日本中に、年齢、男女、職業を問わずいろんな友人が出来ました。
おもしろかったですね〜。

ひとり旅というと「さみしい、暗い」というイメージを持つかもしれませんが、実は複数人で旅するよりも、遥かにたくさんの友人が生まれます。そして何より、誰に気を使うことなく旅が出来ます。
気に入った場所があれば、何もせずに何時間もボッーとしてたって誰も文句は言いません。
まさに、自由です。

もちろん、気の知れた友人たちとワイワイ旅するのもおもしろいです。
でもそれとは全く違った楽しみ方が、一人旅にはあります。

一人旅のおもしろさを知っているかいないかは、人生に大きな違いが生まれると私は信じています。一見すると、大いなるムダのようですが、人を成長させてくれると思います。
出会った様々な考えや価値観の人間たちと触れ合えたことは、私にとっては大きな宝物です。そしてNHKに入局して約3年半、様々な紆余曲折があってNHKを退職しました。

NHKテレビ技術者から、今度は保育士(当時は、女性の保母さんに対して保父(ほふ)と呼ばれてました)に転身です。普通に聞いたら、意味がわからないでしょう。笑

保育士というと、「子供と遊ぶのが仕事」のイメージがありませんか?
しかし、そんな甘いもんではありません。保育園は、単に「子供をあずかる」場所ではありません。いわば親の代わりに、子育てをするところでもあります。保育士たちが綿密なカリキュラムを考えて、日々実行していきます。特にその保育園は障害児保育にチカラを入れていて、軽度から重度障害の子供たちも受け入れていました。私の受け持ったクラスでは、重度の脳性麻痺の男の子もいました。しかし、障害を持った子と健常の子が一緒にいることで、思いやりや優しさが生まれたりもします。本当にいろんなことを学ばせていただいた、2年間の保育士生活でした。

そして、これからさらにぶっ飛びます。
保育士を辞めた後、今度はカナダのバンクーバーに移り住みました。

?????

ワーキングホリデー・ビザを習得し、カナダのバンクーバーへ。
理由は、英語圏で気候も比較的温暖(真冬でも、気温はマイナスにはなりません。夏は湿度が低いため、過ごしやすい)。そしてワーキングホリデーでオーストラリアに行ってた友人が、今度はバンクーバーに行くということで、一人でも知り合いがいればちょっとは安心。

しかし、とにかく困ったのがやはり言葉(英語)です。学生時代から英語が嫌いでまともに勉強をしなかったですが、もうちょっとちゃんと勉強しとけばと思ってもあとの祭りです。
これは、ホントに苦しかったですね。いままで日本国内では一人旅をたくさんして、さみしく感じることはたまにありましたが、これほど孤独感を感じたことはありませんでした。

言葉が通じないというのは、これはもう孤独感を通り越して「恐怖」でした。それは今でも、鮮明に記憶の中にあります。英語は全く上達しませんでしたが、それでも多くの友人が出来ました。

アパートを一緒にシェアしてたジョンやグレイス、いつも遊んでくれていたジョニー&ジュディ夫妻。一時期ホームステイさせてもらってたバレリー&デイブ夫妻。彼らとは、30年以上経った今でも友人で連絡を取り合っています。カナダという西洋社会で暮らしたわずか1年半ですが、まさに何ものにも代えがたい経験をさせてもらいました。東洋と西洋という全く文化が違うところで暮らせたことは、ほんとうに素晴らしい経験でした。

それが出来たのは、自分がアホやったからでしょうね。賢い人なら、こんな無謀なことは絶対しません。そこは、自分のアホさ加減をちょっと褒めてもいいのかもしれません。笑
現在の箱(貼り箱)屋にたどり着くまでとんでもない遠回りをしてきましたが、これでよかったんでしょう。いまは、そう思えます。

その遠回りの時間を、もっと貼り箱やブランディングやマーケティングの勉強をしてたら、もうちょっと偉くなってたかもしれませんが(頭わるいからきっと無理)、この遠回りというムダがあったからこそ、いまの自分があるんだと思います。

遠回りが今、本当に役に立ってますから……。

この記事の詳細は、こちらをご覧ください。
一見、ムダなことが実は役に立つ?

ページトップの写真は、1990年ワーキングホリデーにてカナダ・バンクーバー在住時に、日本人観光客ツアー集合写真を撮影する仕事をしていたときに、地元新聞「The Vancouver Sun」の取材を受けたときの記事。

こちらは、そのとき撮っていたツアー集合写真です。

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