私は幼稚園時代、極度の引っ込み思案で人の輪に入れず、楽しそうにしている人たちを羨ましく見ている子供でした。 お友達がいないわけではありませんでしたが、とにかく輪に入る勇気がなかったのを覚えています。そして鼻炎で。 ある日、通学のバスの中で、 「あなたにも~チェルシーあ~げたくな~い」 と元気に言ったら、どっかんどっかんウケて、 (こういうのでいいの?) と自分がまた輪に入れてないながら、人の輪に入れたような気がしました。 幼稚園でいつものようにぼーとしていたら鼻
昔よく観たモノマネ番組は、登場人物がわからないことが多くて、熱狂まではしていなかったはずなのに、今になって面白くて仕方なくなりました。 生田悦子さんが何か書いてくれているが全く見ていない淡谷のり子先生。 コロナが終息して、もしコロッケさんのディナーショーがあるものなら、私はぜひとも行きたい。 神奈月さんのも。大声で笑える日よ!はよ来い!
真理ちゃん自転車と同じくだりなわけですが、リアルタイムでは観ていないアイドルの人形で遊んでおりました。 また友達には半笑いでつっこまれますよね。 「カナちゃんの人形おさげ!」 双子ってことはつっこまれませんでした。 不思議。 しかし時代は80年代。 刈り上げだなんだと勝ち気なファッションが目に飛び込んできました。 ある日、美容室が舞台の漫画を読んでいたら、ミスによりガチャガチャになった長さの髪をアシメボブにして優勝する話にわたくしいたく感激。 もうお分かりだと思いま
私はピンクレディや百恵ちゃんには影響を受けていますが、真理ちゃんは世代ではありません。 でも、自転車が真理ちゃん自転車でした。 そう。年の離れた姉のお下がりです。姉はウハウハで乗ったようではありました。 小学生のとき、近所のお友達と自転車を乗り回していましたが、いかんせん私は真理ちゃん自転車。 真理ちゃん自転車ということや、アイドルということは知っていましたが、友達は知りません。 「カナちゃんの自転車のカゴの人誰?笑」 暗に時代遅れを小バカしているかのような質問と笑い
刺繍を始めた頃は、変なのばっかり縫ってると知り合いに面と向かって言われたりラジバンダリで、チクショー!いつか見てろ!と、昭和のドラマならば夕焼けに叫びたい日もありました。学ランの襟は高いの着て、男岩鬼みたく葉っぱ咥えて。 葉っぱ咥えたら叫べないですが。そのときは右手で一回葉っぱ持って。 すんごいどうでもいい説明。 縁という字には糸も入っていますが、刺繍を通して 話は通じるのにぶっ飛んでいる素敵な人、温かい人、優しい人、ノリの良い人、色んな縁があります。 話かけられない怖さの
確定申告に気を取られて忘れるところでした。 今日で刺繍を始めて4年目です。 刺繍を通してたくさんの出会いがあるとは知らずに、地味な作業が性に合っているとも知らずに始めたことでしたが、一生続けたいと思っています。 当初の目的だった好きな色は見つかったかという点は、何となくはありました。 青と淡いコーラル。赤もレモン色も。あれもこれも。 年齢を重ねて「好き」を消耗しちゃったのか、「好き」に鈍感になったのかわかりませんが、無邪気だった頃の私は青の水玉にフォーリンラブで、その柄
刺繍を通してInstagramで出会った人に実際にお会いすると、口々に言われました。 「太っている人が縫ってると思った!」 ディスってはないギリギリの線で、なんかもやっと。 それまで自分の写真は載せる必要がないので、載せていませんでした。 面と向かって言って良いとGOサイン出た人が多いと、それが常識の範疇で、気にする私がデリケート過ぎるみたいになりますが、それは違うと思う。私は。 ナンシー関さん連想したと全員おっしゃっててました。全員。 ふ~ん(´<_` )
カッコいい刺繍がしたいと思いながら、デッサンは好きだけれどイラストが描けるわけではないので、何を縫うか引き出しのなさに悩んでいたとき、アイディアを募集していないのに母が、 「リンカーンどがは?」 全く思い入れなくて縫う気がしない提案を次々くれました。 「芸者コント良いっちゃ!柄本明最高!」 あ、縫いたいかも。 っていうかお母さん、ドリフはあんまり見せてくれなかったから志村けんのテレビに否定的なのかと思っていた。それにしても渋い。たくさんコントある中の芸者コントって。 一番
海外のスターで私に焼き付いていたのは、 ・ ボーイ・ジョージの重ね着&指ぬきグローブ ・ マイケル・ジャクソンの片手グローブ ・ マドンナの重ね着&レースのグローブ ・ シンディ・ローパーのツーブロック でした。 当時小学校低学年でしたが、ツーブロックなのにかわいいワンピースが似合うことにびっくりしたり、気仙沼では手に入らない、ましてや子供用にはないファッションに憧れました。 その頃私は、上下赤のスウェットと上下黄色のスウェットを買い与えられ、それが嫌で嫌で堪りませんでした
子供時代に夢中になったものを掘り下げると、「志村けん」に行き着く。 たぶん、う◯こで笑わない家なので、母にあまり見せてもらえなかった故に執着心があったのでしょう。 まず、 (宮崎美子のマネしつこかったな) 浮かびました。 首からマイクを下げて、ビキニで宮崎美子さんをからかう下り。 縫い始めの頃で、顔は縫えませんでした。 海に行くとなんだかんだで私も宮崎美子さんのCMをマネしましたが、気仙沼大島の海って景色が浦島太郎なのを忘れて。 あとはバカ殿。すごろくで裸の女性が出
好きな色探しで始まった刺繍ですが、自分がしびれた人、なぜだか記憶にある人だけを縫うことにしました。 カッコいいものが欲しいからカッコいい人を縫う。 ということでタイムスリップ。 情報量が少なかった昭和50年代に、マクドナルドすらなかった田舎で吸収したカッコいい人に絞れば、否が応でもこんがらがった情報を淘汰できるし、自分の幼心も活性化させよう!と思いました。 無邪気とはこのことかもしれない。 昔のスターって、本当にスターだったなって思うんです。 語彙力0ですが。 私の
自分のカラーがある名刺を作ろうと思ったとき、デザイナーさんに好きな色を聞かれて答えられませんでした。 じゃあと、たくさん持っている下着の色を聞かれました。 ポクポクポクポクチーン・・・まんべんない。 そもそもこの質問は効果的なのか引っ掛かったまま。 どうしよう。 自分の好きな色がわからない。 答えられない? 言えない? どれかもわからない。 ここで私は色を含めて今まで知り得た情報にかんじがらめになっていることに気が付きました。 商売(刺繍ではない本業)をする上で好印象に繋
はじめまして。 主に80年代スターや芸者コントの刺繍のブローチを縫っている針カナコです。 杜の都 仙台在住です。 夕べ大きな地震があった後ですが、勢い余ってnoteを始めることにしました。 Instagramに刺繍を載せていたら、 「読み物として見ています」 と言われることが多くあり、ど真ん中ストレートで真に受けて 文章を書きたいと思っていました。 刺繍の展示を観に来て下さった方々が言うには、エッセイが向いていると。 エッセイミヤケ。 よっ出ました。渾身のダジャレ。 なんつ