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ダンスホールでチャチャチャ

おいでませ。玻璃(はり)です。
(おいでませとは…山口の方言で“いらっしゃい”)

時は1960年代半ば。
萩の街の若者たちの遊び場、そして出会いの場、ダンスホール。
当時のダンスホールで若者は、チャチャチャ・ジルバ・マンボなどを踊っていたらしい。
薄暗いホールの中、キラキラした光と大音量の音楽。
軽快なステップと男性のリードでクルクル回りながら踊る女性達。

そこで一組の男女は出会った。

長身で、足の長い、シュッとした顔立ちのリズム感のいい彼。
オシャレで華やかな美人、明るく話し上手な彼女。
運命の出会いだった。

「歳はいくつなん?」
「俺、25。そっちは何歳?」
「あたしは28。あんたより少しお姉さんね」

こんな感じではじまった二人の恋。
ラブラブな二人には重大な秘密が・・・。

彼は大人ぶりたくて本当の年齢を隠していた。
本当は初々しい20歳。

彼女は最初遊びのつもりだったらしく若く年をごまかしていた。
本当は33歳。しかもバツイチで3人の娘がいた。

ダンスホールマジック。

そう、この二人、実は年の差13歳。
わかったときにはもう遅い。恋は止められなかった。
皆に反対されて、彼は家を飛び出し、彼女の家に住むことに。
彼女の家は当時牧場をしていて、そこを手伝いながら彼は彼女と一緒になれる日を夢見て頑張った。

そうして二人は結婚し、生まれたのが私。

ダンスホールで出会ってくれてありがとう。
歳をごまかしてくれてありがとう。
家を飛び出してくれてありがとう。
私の人生をプレゼントしてくれてありがとう。

父と母はあの頃には珍しい年の差婚。
長い夫婦生活、お金に困ったり喧嘩もしていたけど、後年は本当に仲良く
よく腕を組んで買い物に出かけた。

そして、この二人の究極の仲良しが、時期が違えど患った病はともに
脳梗塞からの右片麻痺&失語症。
病気まで同じじゃなくて良くない?

・・・ということで私は、二回も同じような症状の二人を介護することになった。

介護の話はまた今度。

ではまたお会いしましょう。


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