希死念慮に取り憑かれる

 希死念慮は消えない。今日も死にたかった。何がすごいストレスがあったわけでもない。ただ人と接したしんどさと、呆然とした不安に襲われる。死ぬしかないんじゃないかとそこに行き着く。

 初めてリストカットをした中学の時初めて死ぬしかないと思って死ねなくて、いつか死ねると思ったのが駄目だった。自殺は失敗してマヤの予言は外れて世界は滅びなかった。高校に行くようになると、生死感が自分の中で完成した。人は勝手に生まれさせられるから、死は自分で選択してこそ自分の人生で終わらせたほうが尊厳があるとかだっけ?最近は考えないようにしていたから曖昧だけどとにかく反出生主義にその後であってしっかりしたからそんな感じなんだろう。よくわからないけども。

 自殺するほどの気力も勇気もなく、人が普通に進学するように流され就活した。そこでも何度も思った。二度と目覚めませんようにと寝床についたり、隕石落ちてこないかなとか。人は簡単に死なない。医療職に就くと、死を目の当たりにすることがある。今日会った患者さんが次の日亡くなっていたり、ふと訪れたりする。死にたい人間が医療職になんて付いてるんだと思うかもしれないが、親が進学するなら医療職の国家資格を取れと言ったから。高校は公立しか受けさせてくれず、滑り止めでも私立は駄目と言われた。それで流されるように医療職についたが、死に触れる可能性があるところは精神衛生上よろしくなかった。加えて、忙しい職場でヒステリックな上司とモラハラする先輩と人格否定する上司に駄目だった。毎日銃をこめかみに当てて打つイメージをして自分を殺していた。
休職中はほぼ寝たきりで自殺する気力もなかった。いや、社宅で自殺はできっこなかった。それでもこのまま消えたほうがいいとはずっと思っていた。外へ出るのも怖かった。

 無職期間、実家でニートになっていた。初めこそ良かったが、年寄の親たちは私を責める。うつ病と発達障害なんて頭の硬い高卒両親に理解されることなどあるわけもない。言えるわけもなく何も気力もなく、「働け」「能無し」「早く出ていけ」と文句を言われる日々。死にたいより休職中に膨れ上がった借金か心配でどうにかしなければとバイトを少ししては御局BBAにしんどくなる。うつ病だから本当はゆっくりしたかった。でもお金もない。国民健康保険税と住民税は高すぎて、生きてるだけで丸儲けどころか、生きてるだけで赤字なのである。無職は休めるかも思いきや、家しか居場所がなくて社会から拒絶されているような孤独を感じることになる。就活もうまくいかず親からも否定される日々に本当にあの時死ねばよかったのかもと想うときもある。

 初めて死にたいと思ったとき、死んだらもう苦しまなくて済む希望と思っていた。そんなふうにいつか死ねると思っていたら、いつの間にか死ななきゃなんて思うようにもなった。取り憑かれたようにまだ希死念慮がいる。はっきりした自殺願望はない。ハリポタの死の秘宝、ペベレル三兄弟を死が探し求め手に入れたように呪われたよう。

 青少年のための自殺学入門となんか自殺の方法が多くのっている本を読んで、自殺の方法はもう決めた。あとは奨学金と借金完済して、周辺整理したら終わる。死にたいが根本にあるとささいな辛いことで死にたいにつながる。もう10年以上希死念慮と付き合って、記事にも書いているが一時期希死念慮が消えた時期があった。それは一瞬だった。死ななくてもいいのかもと思えたんだけれど、もうその感覚はわからない。

 少ない抗うつ剤は飲んでるけど、それは気分の落ち込みを平均的に戻すだけで希死念慮をやっつけるわけじゃない。希死念慮が私から消えたら、それは今の私と同じ人格と言えるのかと悩むくらいに私に融合してきてる。恐ろしいね。ただその時をやり過ごすためにいつか死ねると自分に言い聞かせただけだった。拙い文章だけど、精神状態を記録するためにここに書く。

 死にたい若いうちに自殺を確実に行うのがいい。大人になれば責任が伴い、批難される。子どものうちなら親が悲しんでくれるかもしれない。生きてればいいことあるなんて、それは綺麗事でしかない。誰も死にたい人間の人生を保証しないのに、死ぬなという。苦しみ生きることが、死ぬことより尊いことなのか?苦しみ続けろといってるのと同じで非情に思う。
私は、死に損ねて10年以上生きてみてわかった。楽しいことも確かにあるけれども死にたい気持ちを消し去ってはくれない。この苦しみとともに私は明日も生きていかなければいけない。本当に生まれてこなければよかった。

別に、自殺を助長したいわけじゃなくて。。
これを読んだ人にも生きていてほしいけど、苦しみをずっと抱えてまで生きてるのは苦しいと、私は分かるから止めない。