丁寧<もったいない精神
最近、気がついたことが。
わたし、丁寧な生活がしたい、よりも、
「もったいない精神」がベースにあるぞ!ということ。
長年、丁寧な生活とか暮らしに憧れてたんです。
良いものを長く使う、旬の野菜をいただく、みたいな。
でも、どうも、ちがうぞ、と。
きっかけは、柚子
今年も実家から頂いたたくさんの柚子。
氷砂糖買って、容器を消毒して。柚子絞って、種とって、皮を千切りにして。氷砂糖と柚子を交互にいれおわったときに感じたのは、
「できた〜!」て清々しい気持ちと、
「柚子が傷む前に作れて良かった〜!」という気持ち。
時間をかけて旬の果実シロップを作れた喜びと
柚子を無駄にせずにすんだ安堵感をくらべると、
安堵感のほうが勝っていて。そう考えてみると、
暮らしの中のあちこちに「もったいない精神」があって、
自分がそこに喜びを感じてることに気が付きました。
【もったいない精神】3例
【もったいない精神①】入浴剤
【もったいない精神②】クエン酸スプレー
【もったいない精神③】小豆カイロとレッグウォーマー
ゴミとして捨てる前に再利用できたり、別の使い方を発見できると、嬉しくなります。
おばあちゃんの背中
そういえば、小さい頃、共働きの両親に変わって面倒を見てくれた祖母は農家で、なんでも自分で作っていたなあ。
お茶の葉を摘み、数日間天日干しして作る「おばあちゃんのお茶」。
大根がたくさんできたときは、漬物にしたり、切り干し大根にしたり。
新聞のチラシは、裏が白いものだけ分けて、私の落書き用においてくれた。
おばあちゃんみたいになんでも手作りはしていないし、
無理なく、自分が機嫌よくいれるのを優先して、
楽できるところは家電や便利グッズに大いに頼っているけど。
自分で「つくる」ことを楽しんでいた
おばあちゃんの背中を思い出すと、懐かしい気持ちが湧いてきます。
自分を客観的にみる。
わたしは「丁寧な生活」じゃなくて「もったいない精神」で暮らしを楽しむことが好きな自分に気づくまで、10年くらいかかっているのですが。
自分のことだけど、わかってないことや勘違いしていることって、あるなあとつくづく思います。
育ってくる過程で「これがいい!」「こうすべき!」って自分が作ってきた
固定観念や自分なりの正解を、いっこずつ取っ払って、
「自分は何がすき?何がしたい?何が大切?」ってことを
自分に相談していくこと。
とことん客観視すること。
自分の軸を確認していくこと。
ヨガクラスを通してしていきたいなあと思います。
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【HareYoga】は、
*まいにち、全部、たのしめるココロとカラダを。
*人生を自分らしく生きるきっかけを。
そんな思いでヨガクラスを続けています。
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