格差。差別。日本はどうしたい?
実家の朝は、5時半から始まる。
母がお弁当作りを開始し、しばらくすると父が起きてきて、そんな母の様子を横目に朝食を摂る。
自分が、のそのそと起きる頃、父は仕事へ。
母は朝の情報番組をBGMに、洗濯物を干す。
つい、数ヶ月前までは、起きて出勤が当たり前。
朝からTVをゆっくり見るなんて、休日さえもしていなかった。
人生の休暇を迎えて、ちょっと長めの帰省。
仕事をしていた時のように、リズムは崩すまいと朝7時〜8時の間には布団から抜け出すようにしている。
そして、本日のBGMは『年金増額』
母も少しだけ興味深く画面を眺めている。
自分も顔を洗い、軽く朝の運動をしながら画面に目を移した。
政治とか、経済とか父に比べると、自分と母は知識が疎い。
しかし疎いながらも、アナウンサーや専門家が語る内容を頭に流し込もうと、画面を見続けた。
母「年齢が上がるほど、もらえるお金が増えるの?」
桜月「そういうことかな?」
母「でも、そんなに長く生きてる保証ないし、どっちにしろ良くないよね。」
母のその発言に大いに納得した。
時代は令和。
自分も医療職を経て痛感している。
医療の進歩は目まぐるしく、平均寿命を着々と伸ばし高齢者の数も増え続けている。
相次ぐ増税、物価高。
自分の住んでいるマンションにも賃上げが降りかかってきて、思ったように貯金さえできていない。
そんな中の『年金増額』
現在、年金暮らしの高齢者にとっては万々歳である。
しかし、街頭インタビューで語る若者たちは、
「それって、税金とか、もっと払うことになりますか?」
「給料上がったと思ったら、増税もして、物価も高くなって、次は年金ですか?
それじゃあんまり意味ないですよね。。。」
「自分たちはもらえるかわからないのに、、、」
などなど、自分も同意見である。
この世は平等ではない。
だけど、不平等であるかと聞かれたら、それは何だか違う気がする。
戦後、様々な法律や規則が出来上がり、時代の変革によって、それらもあらゆる形に変化してきた。
国全体、政治家や専門家、数々の企業・事業団体。
多くの者が日本を良くするために動き続けている。
それでも、一般市民の自分達からすれば、この仕打ちはあるだろうか?
と感じてしまった。
誰しも初めは、無知な赤子。
そこから、人生をどのように歩んでいくかは自分の選択次第。
だから、地位や名声、それに伴った居場所とお金。
最高の結果と見返りを求めることは、人間の本能であると自分は思うし、実際自分も手に出来たと喜んだ過去がある。
ただ、そればかりに目が眩んで、隅っこに追いやられ埃まみれに転がった物事達を、関係ないと切り捨てるような、無視するような行為はいかがなものかと考えてしまう。
きっと、日本の上層部の方々も色々考えてくれているであろう。
しかし、自分達と同じ、日本国民、一般市民の目線で捉えられているだろうか?
例えばを想像してみよう。
・給料日だけに許される一パック1000円のお肉贅沢。
・年一回の1泊2日の近場の温泉旅。
・夏場に加算するエアコン代を浮かすため、日中はショッピングモールで涼む。
みんな何かしらを諦め、生活を維持し、少しでも大切な人のため、自分の心のために生きようと必死である。
そんな思いを抱えて生きている人たちに向けた、『年金増額』の大雨。
残酷極まりない。
数ヶ月前にも話題になっていた、何ならもう何年も継続して話題になっている、政治家達の黒い問題の数々。
失礼を承知で書くが。
吐き気がする。
日本国民の暮らしを舐めているのか。
それとも、頑張って働いている人たちを侮辱しているのか?
日本全体で日本を支えるのではないのか?
格差を失くす。差別をするな。
だったら、同じ土俵に立たなくては意味がないのでは?
まずは対等に渡り合うための方法を見つけることが重要なのではないか?
まぁ。
ここで、ごちゃごちゃ言っても仕方がない。
とりあえず、重い腰を上げて知事選挙に足を運ばなければ。
今後、格差社会は無くならないにしても、変革はまた起こるかもしれないから。
どうか、国民全員が快適に生きていける日々を願って。