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母親だから、と決めつけていたのは自分だった。そんな私の今年のテーマ。

昨年の秋に子どもが生まれて私は母親という役割が増えた。
母親とはそういうもの、ママだから仕方ない、そんな言葉が頭の中に浮かぶことが増えた。実際言われたりもする。

出産と産後も、出産の痛みはみんなそういうもの、産後の辛さもそういうもの、と言われるけど私は納得いかない。そんなもので済まされるような痛みや辛さではない。みんな我慢しすぎではないか?
出産の傷があまりない人はそこまで辛くないのかもしれないけど…
出産も産後の体調と育児も過酷すぎる。母親はこんなもの、って女性のたくさんの負が軽視されてるのではないかと心底思う。産後の辛さ、聞いてないよ?


産前から思っていたけど、やっぱり、母親像に納得いかない日々。
そもそも私=母ではない。

私≒母だ。
母は一つの役割でしかない。自分の子どもにとっての役割。
夫にとっては妻
私の母親から見たら娘
友達からみたら友達
私にとっては自分

いろんな私がある。
でも、なぜか子どもが生まれると、私個人が母親という役割一色にされる感じがしていた。それが嫌だった。
両親からも子どもが生まれたら、私の名前ではなく、ママと呼ばれたことも嫌だった笑

私は私なのに、なぜ。

そして、こんなことを思う。
子供を親に預けて出かけてもいい?
まだ産まれたばかりなのに?
子どもを置いて出かける母はオシャレしたらいけない?
子どもが泣いてたら自分の食事は後回しにする?
母親は自分を犠牲にしてでも子どもを優先すべき?

母親像を勝手に描き自分の行動を制限しようとしてることに気付いた。
自分で自分の行動を制限している。
自分で勝手に母親像を作っている。
自分で自分の枠を決めている。

でも誰が決めたの、そんなこと。と。

誰かに言われたわけでもないのに、母親だからこうしないといけないと勝手に思って、自分を押さえ込んでいて。
それって何にも楽しくない。
自分を抑えると子育ても嫌になる。
子どもが生まれれば、生活のほとんどを子どもに合わせるようにはなるけど、それでも自分を抑えてはいけない。

赤ちゃんが泣いてても、
お腹がすいたら私は食べる(時々急ぐ)し、トイレに行くし、喉が渇いたら飲み物を飲む。

顔を洗うし、保湿するし、
出かけるときはメイクするし、好きな服を着るし、アクセサリーをつける。
もちろん、抱っこするなら服装やアクセサリーをどうするかは気を配るけど、最初から全てを諦めるわけではない。
それだけでもぜんぜん違う。

自分のことを大切にできてるか、やりたいことをやれてるか。
それだけで子どもへ向き合う自分の気持ちも違う。
我慢すると、私は我慢してるのになんで赤ちゃんは泣き止まないの?
いつまで私は我慢をすればいいの?となってしまうけど、それも減る。
私も赤ちゃんもどちらも大切。それだけ。

母親になった以上、子どものことは考えるけど、
母親像に囚われず、制限されすぎず「私」を生きようと思う。


自分を勝手な枠にはめて行動を制限しないこと。
それがわたしの今年のテーマ。

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