アフターコロナの世界が教えてくれたこと
コロナ禍で私の生きる世界は大きく変わった。それは馬鹿らしくなるくらい。忘れないよう、書き留めておく。
1.通勤が無くなった
リモートワーク可能な仕事で、携帯端末の支給があれば出社せず家にいることが是とされるようになった。育児や介護などの理由が必要、もしくは週何回と制限が設けられているのが今までだったが一気に撤廃、無制限だ。今まで押し潰されながら一日2時間かけていた時間はなんだったのだろう?惜しくてたまらないのに疲れた体で立ちながらスマートフォンをいじりSNSチェックをすることくらいしかできなかった時間が急に手元に転がり込んできた。
2.体力が奪われなくなった
家から出ない、動かないので体力が奪われない。本当の意味で仕事に全力を傾けることができるようになった。意外にも動いてなくても腹ペコになる。食事から時間が経てば頭に糖分がいかず朦朧としてくる。逆に今までは移動続きの合間に仕事をしてどれだけ極限状態で仕事をしていたのかと絶望的な気分になる。
3.睡眠時間が削られなくなった
1により通勤がなくなり、通勤のための準備に使う時間も手元に残ることになった。また必要以上に体力が奪われないため、睡眠時間が大幅に長く必要になることもなくなった。私は元来7時間寝てもまだ辛いくらいにはロングスリーパーだが、今までは平日はギリギリの生活だったので5時間を切ることも度々あった。そしてその週の土日は使い物にならないくらい寝続けていたものだ。しかし今、朝起きて10分で朝食を食べながら仕事を開始できる。早めに始業したとしても優に8時間寝られる。土日にこぎ着けるために辛い体に鞭打って生活していた平日は何だったのか。
4.趣味に時間を取れるようになった
決まった趣味がなかった。やりたいことは思いつけど継続できるとも思えず、平日は疲れ切った後にできることは受動的なドラマ・ラジオ鑑賞のみ。休日もほぼ寝ているのに加えて家事と週一回程度の用事でいっぱいいっぱいだった。自分はだらしのない人間だから仕方ないと思っていた。だけど緊急事態宣言が発令されて自宅で過ごすようになってから、できた時間と体力で音楽を再開した。読みたい読みたいと言いながら何年も等閑にしていた読書を毎日し始めた。年数冊読めていたか分からないが、1月で数冊の雑誌に加え2、3冊の本も読んでいる、自分の中では革命的だ。もちろん十分な意思がなかったのも事実だが、それ以上に疲れ切っていたのだ。余裕がなかった。
5.家族と食事を取れるようになった
2年前に結婚したが、平日はほとんど顔を合わせなかった。ひどいときには相手が寝ている間に起床し、相手が寝静まった後に帰宅する日が続いた。料理は好きだが、平日に振る舞うことは不可能だった。それが今、昼食も、夕食も一緒に取ることができる。簡単ではあるが交代で用意したものを食べることができる。ようやく当たり前に近い食卓にできるようになった。
まとめ アフターコロナの世界が教えてくれたこと
アフターコロナの世界は、皮肉にもそれまでの私の生活に余力と彩りをもたらし、それまでの生活が破滅的だったことをわからせてくれた。不謹慎ではあるが、私はコロナ禍に救われた人間だ。もちろんこんな形で救われなくなかった。あの生活をおかしいと思えず、ただそんな日々に流されて生きていた自分が悔しい。疲弊して何もできなかった時間は帰ってこない。コロナ禍がなかったら今でも変らない生活を送っていただろう。
奇しくも私たちはコロナ禍により今までの常識を疑い大きく生活を変える経験をすることができた。当たり前で正しいと思っていたことがあっという間に崩れ去ることを目の当たりにした。これを忘れてはいけない。疑っていい。身体と心の悲鳴に正直に従っていい。今も実は、気をぬくと得られた時間の分ただ仕事をしてしまいそうになる。食事に時間が掛からない分昼休みをほとんど取らずに仕事を続けている。それをまた当たり前にすることは簡単に出来るが、それをコントロールすることも出来ることを知るべきだ。