その人の中に、自分の姿を見る

DaiGoさんの、ホームレスや生活保護に対して言及した動画が問題になっている。

Twitterのタイムラインは、DaiGoさんへの批判のツイートで溢れ、さらにはホームレス支援をしている団体に対して寄付をする動きもみられる。

私もその動画の内容を見て、少なからず感情が動いたし、恐怖を感じた。

しかし、ただ「怖い」という感情を抱き、DaiGoさんの発言を批判しても何も意味がない。もっと考えなければ、考えるんだ自分!と思い立ち、このnoteを書くに至った。

色んな人の意見を見ているうちに、自分が1年前に書いていたnoteを思い出した。

扁桃腺の摘出手術をして、すべての苦しみから解放されると思っていたけど、新年一発目の生理痛が辛すぎて、アマゾンで購入した電気毛布の上から一ミリも動けない。

人が生産性で評価されるなら、私はとにかく生産性が低い人間なので、ABC判定だったら間違いなくCマイナスだと思う。
扁桃腺を取る前は、2か月に一回くらいのペースで高熱を出して一週間寝たきりだったし、生理前にはPMSで起き上がれなくなるし、生理になると生理痛で動けないし、それに8時間以上寝ないと体調を崩すので、最高にコスパが悪い。

更に、私はいわゆる”繊細さん”で、誰かの一言で異常に傷ついたり、ちょっとした行動に敏感に反応してしまう。だから落ち込むことが多くて、そのたびにやる気が起きなくなって、信じられないくらい生産性が下がる。

だったら、元気な時の生産性を他の人より高められればいいのだけど、そこまでの能力もモチベーションもない。しかもその貴重な時間に、こんな誰も読まないようなnoteを好き好んで書いてる時点でもう終わりだ。

今まで両親が私に注いでくれた愛情とお金と時間を考えたら、全く割に合わないと思う。

この1年、私は大学を休学して、島でインターンをしていたわけだけど、週4日しか働いてなかったし、扁桃腺の手術で長期の休みをもらっていたし、たびたび体調を崩して仕事を休んでいたから、21年間の自分史の中でも特に生産性の低い年だったことは間違いない。(こうやって書いてみると1年のほとんどを布団の上で過ごしていた気がする)

昔は(生産性が高いかは置いておいて)、社会のために、誰かのために、四六時中動き回っているような人だった。それが楽しかった。誰かに「ありがとう」と言われることで、自分が生きていていいんだと思えた。私はこんなに頑張っている、そしてこんなに感謝されている。

ある時に、自分の小ささと愚かさに絶望した。誰かのために、社会のためにと、盲目に突き進んで、気がついたら、一番近くにいて一番大切にしなくちゃいけないはずの家族が、私のせいで、泣いていた。

それから、「誰か」や「社会」じゃなくて、まずは家族を悲しませたどうしようもない「自分」をどうにかしなくちゃと、そう考えるようになった。
TOHOシネマズも、アウトレットも、スタバも、セブンイレブンも、ファミレスも、何もないこの島だったら、真正面から自分に向き合えると思った。
だから、島に来た。何もないこの場所で暮らしてるうちに、「自分にとっての生産性」は、たとえ馬車馬のように働いたとしても、全く上がらないことに気が付いた。

こうして需要のないnoteを書いたり、好きな人とゆっくりと時間を過ごしたり、幼馴染と大笑いしたり、美味しいご飯を食べたり、時折胸が締め付けられるような出来事や、本気で成し遂げたい胸が躍る何かと出会ったりして、それが私の人生で、それが私の生きる意味で、それでいい。

まだ「私にとっての生産性」が何なのか、詳しくはよく分かってないけれど、

とりあえずお腹がすいたので、外よりも寒い台所に行って、炊飯器で保温されているお米を食べて、お腹を満たそうと思う。

去年の11月ごろ、扁桃腺の摘出手術をした。このままのペースで熱を出していたら、社会に出た時に使い物にならないし、体調を頻繁に崩す人を誰も雇ってくれないのではないかという危機感からだった。

周りからも手術を勧められたし、私も手術を受けることになんの抵抗もなく、むしろ多額の手術費用を捻出してくれた両親への感謝の気持ちでいっぱいだった。

でもある時から、手術を受けたことに対して違和感を抱き始めた。

あれ?でもこれなんか、おかしくない?

もし手術を受けるお金が無かったら、もしこれが治すことのできない病気だったら、私は普通に働くことができなかったってことなのかな?

そんなことを思いながらも、なんだかんだ手術を受ける前よりは”強く”なった自分を誇らしく感じていた。

しかし、以前のインターン先の企画を通して出会った、川崎良太さんとの対談をきっかけにして、抱いていた違和感がどんどん大きくなっていった。

“自分でできることは自分でしなさい、人に迷惑をかけてはいけないという呪縛が間違いなくありました。そういう、社会からの影響をもろに受けてて、働いていない人を下に見ていた。これは優生思想にもつながってくると思うんですけど。 生きているだけで精一杯な人もいる中で、社会的に見たら相模原殺傷事件で言えば、「生産性がないような人」と言われるような人たちを、障害者である僕も同じ目線で見てたんだなと思った時に、これはいけないなと思った。社会の考え方や見方に影響されるんじゃなくて、自分らしくその人が人生を生きていけるような環境が整備されるべきだと思うし、それを訴えつづけていきたい、気づいた人が行動しないと社会は変わらないと思います。”

小学生の頃、ヨーロッパのとある国で、まだ小さかった妹と同じ年くらいのストリートチルドレンの女の子と出会ったことがある。

その時に、純粋に思った。

「なんで毎日テレビ見て、だらだら過ごしている私はお腹いっぱいのご飯が食べれて、温かい布団で寝れるのに、この子は見ず知らずの外国人観光客にチップをねだって、ボロボロの服を着て生活してるんだろう。」

たまたま日本という国に生まれて、たまたまお金に余裕があって、たまたま子どもを愛してくれる家庭に生まれただけだ。私が偉いからじゃない。

だから、威張ってはいけない。

少なくとも、誰かを見下したり、優劣をつけたり、そういうことだけはしない人間でありたいと思っていた。

「なぜ障がい者を殺した殺人犯を、”植松君”と呼ぶのか」という問いに対して、長年ホームレス支援を行ってきた奥田さんはこう答える。

「僕ね、自信が無いんですよ。何が無いかって言ったら、彼をまったく僕の別物と、僕とは違うっていうそのラインが本当に胸張って引けるかどうか。私はホームレスのおじさんと出会っても、色んな人たちと出会っても、やっぱり共通して出てくるのは、その人の中に自分の姿をどっか見るんですよね。」

Twitterのタイムラインでは、ホームレスは必要ないと言ったDaiGoさんを、「サイコパス」「そんなこと言うなんて信じられない」と、自分とは全くかけ離れた悪人として批判する発言が目立った。

私も怖い、信じられないと思った。だけど、彼の中に、私の姿が確かに見えた。

強くなるために受けた扁桃腺摘出手術。裏を返せば、強くなければ生き延びることのできない社会に私たちは生きていて、そして、私は、その社会を変えるのではなく、自分を変えることによって、社会に迎合してしまっていたのだ。

これからは、私たちの世代が社会をつくっていく。理解しがたい他者の中に、自分の姿を見ることができるかどうか、それが一番大切な力になるのかもしれない。