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地元の方との出会いが楽しい悪天候の三宅島【4】

おばあちゃんのお家を出たとき、雨が降り出していた。慌てておばあちゃんの洗濯物をとり込んでから、私たちはまた港まで歩いた。

観光案内所を訪れ、おすすめされた近くのカフェ「cafe691」に行ってみることにした。


荒れた海を見ながらパッションフルーツジュースを飲み、オーナーから島について様々な話を聞いた。
このカフェからもよく鯨が見えること、鯨の骨を使った珍しい彫刻作品を彼が作成しているこ
と、今やクライミングの聖地となっている三宅島にクライミングを持ち込んだのが彼であること、私たちが滞在したペンションが首相を2人も輩出していたり、三宅島で練習をした選手がオリンピックでメダルを獲得したりと、「三宅島アゲ島伝
説」があること、、。
それから、三宅島で行くべきスポットのことも。
話を聞いた私たちは、そろって鯨の骨のキーホルダーを購入し、おすすめスポットに行くため、タクシーを手配した。

早速、急ぎ足で2つのスポットを回ることにした。
まず向かったのは、「新鼻新山」。雨の中、溶岩の海岸を抜け、新鼻新山の頂上まで走る。

真っ黒な溶岩と真っ赤な溶岩の地層が海岸に突き出た地形は、1983年の噴火の海底爆発により一
夜で出来たという。海岸には誰もおらず、そのダイナミックな光景を3人で独占した。

次に向かったのが「赤場暁」。

1940年の海底噴火の際の噴石丘と溶岩流を見るこ
とが出来る。この海岸にはウミガメがよく遊びに来るそうだ。船の時間が迫る中、赤色の噴石丘を走って登った。噴石丘からは、足もとの溶岩の赤、眼下に広がる溶岩の黒、少し遠くに見える木々の緑、そして弧を描く灰色の海岸線が一望で
きた。

「シャリシャリシャリ」
2つのスポットで溶岩の海岸を走った地面の音も印象的な三宅島の思い出だ。

ダイビング好きが高じて移住してきたというタクシードライバーさんとの三宅島トークを楽しみ
ながら、タクシーで何とか時間までに港に到着。
13時半、フェリーに乗り込んだ。

フェリー乗り場には、ペンションのオーナーも含め、多くの島民が「頑張ってね!」などと声を掛けながら集まっていた。見送られていた女の子に話を聞いてみると、4月から島外の高校に通うため、ちょうど島を離れるタイミングだったそう。気丈にふるまっていた彼女は、島が遠ざかってから涙ぐんでいるように見えた。

帰りのフェリーでは、多くの時間をデッキで過ごした。デッキでは、同じ宿に宿泊していた家族連れと再会し、互いの家が近いことが発覚したり、バードウォッチングが趣味の人たちから鳥の写真を見せてもらったりした。

房総半島が見えると船は急に速度を落とした。東京湾に入ったようだ。
20時半、7時間の船旅を終えてついに東京港に戻ってきた。やはり東京の夜景は落ち着く。

船を降り、私たちはコンビニで3人の写真をプリントしておばあちゃんに一枚のハガキを書いた。
「島で一番おいしかったのは、いただいた小豆です。ありがとうございました!」

ハガキも届いているだろうか。おばあちゃんが教えてくれた、8月のお祭りにも、ぜひ行ってみたいものだ。

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