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生きづらい
『生きづらい』と感じる
何故
「生きづらいのか?」
何故
「生きているのか?」
何故
「ここにいるのか?」
そんな事を
一度は考えた事があるだろう。
私は子供の頃から
何度も考えては分からずに
最近まで過ごしてきました。
少し
私の事を書きます。
私は現在54歳で中年から高齢者の
はざまを生きている、おばあちゃんです。
幼い頃から
何故身体が動くのか?
何故生きているのか?
何故偉い人がいるのか?
母親に「何故?どうして?」と
いつも質問ばかりして「どして坊やみたいだ!」と言われていました。
(※どして坊やとは、「一休さん」というアニメのキャラクター)
色んな事が不思議で
お天気の良い日には
空中にキラキラと色とりどりの綺麗な
何かわからないものが見えたり、
空中にテレビのような映像が見えて
瞬きを忘れて一点凝視状態で眺めていて、よく母親に目の前で「パン」と
手を叩かれてその映像が消える。
こんな事がよくありました。
物心がつく前は幽霊も見えていて
お客さんが来ていると言ったりもしていたそうです。
きれいで不思議で
「何故?どうして?」って聞きたくなるのは、当たり前な気もします。
きっと
大人や普通の方から見たら、不思議な子供だったかもしれません。
あるいは、気持ちの悪い子供だったかもしれません。
そんな私が
中学生になり進学の段階で
私自身の希望の進路に進めず
というのは
希望した進路全てに先生、両親、回りの大人から反対されて、
「もうどうでもいいや」と決めた高校へ行ったのです。
当然、楽しくもなく、遣り甲斐もなく、ただただ時間だけが過ぎていく。
そんな高校生活でした。
高校卒業後の進路も同じで、回りの大人から逃げるように結婚をし、子供を2人授かって、子育てにいそしんでおりました。
ですが、結婚後も回りの大人から、様々な事を言われたり、されたり、押し付けられたり、何故こんなにも「生きづらい」のかと精神的に参ってしまったのです。
心療内科で「うつ病」と診断されたのですが、ここでも大きな「?」が湧きました。
そんな事もありながら、離婚をし娘と二人で暮らすようになりました。
この時、はじめて「自由」を感じたのです。
この頃には42歳になっていました。
それから、女二人で大変ではあったものの、あと数年で50歳になるという時です。
「これまで色々な体験をしてきた。
後は何をやっていないかな?」と思った時に頭の中に浮かんだのです。
「何故、生きているのか?」
この言葉が、映像のように見えたのです。
「これだ!」と思いました。
ずっと「何故?」と思ってきた謎を探究すれば死ぬ迄遊べると思ったのです。
こんな事は、一生分かるものじゃない!
そう思っていたから死ぬ迄遊べるとそう思ったのです。
それが半年後
「非二元」という単語に出会います。
「非二元とはなんぞや?」と調べ始めたのがきっかけでした。
何処へ行っても調べても、明確な答えが無いのです。
「これ」とか「ぐるぐる」とか、意味がわからず、なんの事か全く分かりませんでした。
でも「非二元」という単語がどうしても気になり、空を眺めていた時に不思議な体験をしたのです。
後で知ったのですが「神秘体験」「ワンネス体験」ということだったようです。
この時はびっくりしたのと、「私達は何処迄も自由だった」ということが分かり感動しました。
故に「生きづらい」の意味も分かりました。
それから何度かこのような体験をしたのち、非二元の「これ」や「ぐるぐる」がわかり、果ては「意識」や「思考」等の事も分かりました。
後にこれらが「悟り」なのだと知りました。
別に悟りたかった訳では無かったのです。
ただ純粋に「何故生きてるのか?」を知りたかっただけなんです。
私は、スピリチュアルや宗教に全く関心がなく、どちらかと言えば嫌いな類いでしたので、ノンデュアリティとか非二元とかがあるのをずっと知らずにいたのです。
この「非二元」や「悟り」のようなものが分かった今、この現実世界だと思っているこの世界が、実は仮想世界、幻、幻想、マトリックスのような感じなのだと分かりました。
非二元で言われる「これ」だけではあるのですが、それ以前のハートと言いますか、魂と言いますか、その思いというか、そういうのが決めてで現実世界だと思っているこの世界をもっと自由に楽しく生きていく事が出来ると思っています。
ただ、魔法ではないので次の瞬間からガラリと変わる訳ではありません。
更に、ここは物質世界ですので、変わるのに時間もかかります。
じゃあ、どうすればいいのか?
少し難しいと思いますが、「本当の自分」「自分は何者なのか?」ここを押さえると少しずつ見えてきます。
そして、現段階の社会システムが大きな鍵を握っています。
この二つを把握出来た時、考え方が180度ガラリと変わります。
そうなると、自分で自分を苦しめていた事に気が付く事が出来ます。
「生きづらさ」からバイバイ出来ます。
法律があるため、全てとは言えませんが、なんでもできるのだと知ります。
究極的には法律無視でも良いのです。
私達は何処迄も「自由」なのです。
思考に至っては、果てしなく何処迄も無制限に自由。
「生きづらさ」からもう卒業してみてはどうでしょうか?
これから
どうして「生きづらい」のかを
少しずつ一つ一つ書いていこうと思います。
ここまで読んでくださった方がおりましたら、感謝申し上げます。
ありがとうございます!