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青春群像劇 アニメ・グラスリップの感想と考察

グラスリップを見返しました。

巷では、理解が追いつかない、青春アニメに見せかけた電波アニメなどと言われていますが…

放送当時、私も視聴していたのですが、私が見ている後ろで何気に見ていたらしい母が、"このアニメ、意味分からないから好きじゃない"と言っていた事が思い出深いアニメ(^◇^;)

そんなグラスリップですが、夏の雰囲気と青春らしい爽やかさが良いアニメです。雰囲気は好き…!とくれば、内容も理解したい!と思っていた自分は、遂に見返すことができました。なので、感想と考察をしていきたいです。

↑の方の考察が凄く分かりやすかった笑

感想

う〜ん、正直、やっぱり理解が難しい^^;
特に、一話の鶏哲学のシーンとか。

駆"鶏は檻に入るか入らないかという選択をする事が出来ないし、それ以外の選択も持たないのだから、彼らが何を望んでいるのかなんて、分からないんじゃないのか?"
透子"それじゃあ、私がジョナサン(鶏の名前)を守るから!"
そして、鶏(ジョナサン)を自室で飼う。
透子"私、ジョナサンを守れてるのかな?"

この会話、何回見ても、ハァ?ってなる( ;´Д`)いや、言いたい事は分かるんです。でも、ハァ?

(ジョナサンは駆の象徴です。第10話で透子が"ジョナサン、貴方ってもしかして駆くん?"と言っていますが、他から来たジョナサンと転校を繰り返す駆を重ねて、の言葉だったのでしょう。第10話まで見ないとジョナサンの謎が解けないなんて…映画や小説ならすぐに分かるので良いですが、アニメはちょっとキチィ…第1話の"ジョナサンは他から来た子なんだけどね"の話を覚えていないと、このセリフは意味が分からないです)

ただ、駆(通称ダビデ)と透子のカップリングは作中で1番好きです笑まぁ、2人の世界過ぎるんじゃσ(^_^;)と思いますが笑
あと、駆の"唐突な当たり前の孤独"←最初笑いました。しかも、その後も"私は知りたい!駆くんの唐突な当たり前の孤独を"って、それもう、"駆くんの孤独を知りたい!"で良いのでは?とか思って笑ていうか、駆の"唐突な当たり前の孤独"って、透子に登山に誘われた時、"山は1人で登りたいんだ"が答えな気が笑笑いやいやそこは一緒に行けよ!だから、孤独なんだよ!って思いました笑

最後の終わり方も初見では、もしかして駆って存在していなかった…?と思いましたし、他の方の感想でもありましたね〜駆存在していなかった説。でも、あれだけやっといてそれは無いって!って感じなので流石に無いでしょう。あと、未来の欠片が何だったのか、最終回でも明確に言われていません。結局、未来の欠片とは何だったのか……謎です。なので、私は、色んな考察や感想を読んで、一応答えを出しました。



考察

放送当時から何となく感じていた事は、"ガラスを通して見た世界"をアニメで表そうとして、出来たのがグラスリップなんだと思います。
ガラスを通して世界を見れば、もしかしたら、未来や他の世界線も見える(のかもしれない)みたいな。

それを表したのが、"未来の欠片"なんだと思います。

第12話の冬の日、でいきなり世界がifの世界線(可能性の世界線と呼ぶ事にします)、に変わりますが、その前から見ていた透子の雪の光景は、透子が今生きている"現実"と、可能性の世界線が、駆の母のピアノを家族で聞くというある意味重なるシーンだったんじゃないでしょうか。

12話の冬の日で、透子と駆が一度別れた後、駆が再度現れた時、
"私の目の前にいる駆くんは誰なの?"
"俺は、透子の現実の投影だ"と言っているので、この2つの世界線は重なっているということか!!と理解しました。

そして、駆と透子が出会った当初から通じ合っているかの様な関係なのも、この2つの世界線で、お互いがこの街に転校してきて、同じ孤独に苛まれる、という、重なる面やシーンが多かったから、この二つの世界戦が交差してしまった。のではないでしょうか。そして、この現実の世界では、家族を連れてピアノを聞く事は無いはずだったが、聞いた事で、あの冬の日のピアノの光景と完璧に重なり、透子はあの冬の日の幻想を見たのかもしれません。

あの冬の日、透子は家族と共にピアノを聞いてはいません。が、家族が揃ってピアノを聞いている時、透子は"唐突な当たり前の孤独"に苛まれていました。しかし、この現実の世界では、透子が"唐突な当たり前の孤独"に苛まれる事はありません。なので、"可能性の世界線"では孤独感に苛まれていた時に、流れていたピアノを聞く事が鍵となったのではないでしょうか。

駆が、"透子が雪を見ている理由が母のピアノを聞けば何か分かるかもしれない"と考えたのは、駆が、未来の欠片を見る鍵は、母のピアノなので、透子にも何か起こるのでは?と考えたから。なのかもしれません。

透子が、あの冬の日で、先程挨拶したはずの、やなぎたちが、透子へ"えっ?誰?"という反応をしたのは、この可能性の世界線の本物のやなぎたちでは無いからです。作中でも、"あのやなちゃんたちは?"と透子が駆へ尋ねると、"彼らは来られなかったんだ。でも、彼らの集まるかもしれなかった世界が見えてる"と答えている
(実際、熱で来られなかった幸や付き添っていた祐も、あの場で花火を眺めていた)
ので、言うなれば、彼らはこの"可能性の世界線"の柳たちの、"影"の様なものでしょう。そして、透子が彼らに認知されなかったのは、この世界の透子が、彼らと忘れられない場所、思い出を持たないから、だとかなり回りくどいですが、一応、作中でも語られています。
この"疎外感"それが、"唐突な当たり前の孤独"という事でしょう。

第2話のベランダで2人で話しているシーンで、透子は"ガラスを覗いた時に、幻覚みたいな、キラキラしたものが見えるの"と言っていますが、駆と深く関わり合う様になってから、駆と透子、お互いがふとした時に"未来の欠片"を察知しています。これは、2人がこの世界線でも出会った事で、この交差しそう、だった2つの世界線が、交差したから。
未来の欠片を見る鍵になる物は、2人の生活にありふれている物となります。透子はガラス(キラキラしているもの、光なども含まれる)駆はピアノ。

2人がガラス玉を覗いた時に、花火が見えます。その後に、駆が"母に一緒に行かないかって、言われてる"と話し、透子が"そんな…来年も一緒に花火を見るんでしょう?あのガラス玉から見えたもの"と返していますが、2人が見たガラス玉から見えた花火は、恐らく可能性の世界線の花火がガラス玉を通して見えた、のでは無いかと思いました。

透子が見た、ガラスが割れる風景や駆が落ちる光景、などは、透子の不安な気持ちなどが、影響してその心象風景に合ったシーンが、他の世界線から汲み取って見えた…という事だと思います。

幸が入院しているシーン(実際に入院はするが、着ている服も違うし、窓のステンドグラス?も無い)やなぎが泣いているシーンが見えた(が実際は泣いているシーンなど無かった)のは、"可能性の世界線の未来の欠片"が見えたからだと思います。
ですが、可能性の世界線、他の世界線と言えど重なるシーンはある。ので、2人がこれは未来なのでは?と解釈するのも納得しました。

というか、2人がこれを"未来の欠片"(実際はこの世界の未来では無い)と呼んでいるのが1番話をややこしくしている気がします。もっと、はっきりと
"俺達が見ているこれは、もしかしたらこの世界線の未来では無いのかもしれない"
"他の世界線、あったかもしれない未来って事ね?"くらいの、掛け合いが無いと理解が追いつかないです笑もうSFジャンルと化しそう(青春アニメかと思ったら、SFアニメだった?!)ですが、そっちの方が内容としては面白かったんじゃねぇでしょうか。


最終回、駆は母について行ったと思います。

2人がガラス玉から見た花火は、可能性の世界線の花火だったから2人が来年花火を一緒に見るかは分からない。私は見ないのではと思います。
が、最終的に透子と駆は、再開するんだろうなぁと思います。というか、駆はこの街に戻ってくる

だって、駆も透子もここまで通じ合ってる人や場所も無いし…

可能性の世界では忘れられない場所を持っていないが、この現実の世界ではこの街が忘れられない場所の透子と、この現実の世界で忘れられない場所を持っていないが、可能性の世界での忘れられない場所がこの街の駆。二つの世界線は交差しているので、おそらくはお互いが忘れられない場所は、この街になりますし。

最終回のガラス玉を投げると、流星になったのは、ガラス玉=可能性の世界線を写す物、です。
透子たちが、流星になれ!と願いながら、空に投げた時、ガラス玉は実際に空までは飛んでいっていません。あれは、"可能性の世界線の流星"が、投げたガラス玉を通して、現実の世界線の空へと、飛んでいった。からなのかもしれません。


ここまで語ってきた甲斐あってか、かなり分かったのでもう一回見ます。グラスリップは、音楽と夏の爽快感と美しい海沿いの街、これがあるから何度でも見れるんだと思います。この内容で、これらが無かったら、こんなに見れない。そのくらいのなかなか際どい内容となっています。

あと、駆が分身してるのは自問自答を画で表した、幸と祐の、明日のために。は、幸を元気付けているんだと思いました。

ここまで、書いてきましたが、未だに、分かったはずなのに、分かってない感が漂います。
ある意味、ガラスを通して見た時の様にキラキラした屈折した世界を上手く表しているんじゃないか?このアニメは、それを表そうとしたのだとしたら、かなり成功しているのでは?と考えを改めました。

透子が、ガラス玉を通して見ながら、この街が私が住んできた街…と街を散策するシーンがありますが、このアニメを1番よく表しているシーンだと思います

何の事柄に関しても、浅い見方で否定するのでは無く、深く知って理解する事が大事…だと思わされます。

まぁ、アニメなんかを作んのなら、最低限、視聴者に理解される様に作るのが製作者のポリシーってもんじゃねぇのかぁおぉん?( *`ω´)とも思うので、このアニメ好きじゃねぇ派の人も安心して下さい。意味は分かりません。

ただ、私としては普段は考察などしないのですが、ここまで考察が捗るアニメも初めてで、考えてみると、とても奥行きがあり、味わい深い…
このくらい謎なアニメでも、個人的には意外と好きなのかもしれない、と再発見できました。

ここまでせっかく考えたなら、設定資料集を買うか悩んでいます。でも、高い…う〜ん買うか否か…

最後に、この考察をまとめます。
「透子と駆、2人が見ている未来の欠片は、"可能性の世界線の未来(12話の冬の日の透子が転校してくる世界を見ている)"この可能性の世界線と透子達がいる現実の世界線は交差し、重なっている」

聖地巡礼動画、面白かったです笑
いつか私も行きたいですね。


↑この方の考察も凄く面白かった!
告白の時の"お人形さんのようで〜"は違和感あったから納得。私も、"未来の欠片"が感情が映像として見えてる、は考えたけど、それだと12話の説明が付かないのと、駆の"未来の欠片を聞く"って何?ってなる気がするんだよなぁ〜雪が孤独を表現してるのは分かる。
2つの世界が交差しているのと感情が情景として見えてる、両方なのかもしれないし…

分かる笑グラスリップ、難しい様で、仕組み?を理解すると全然難しくないじゃんってなる、むしろスルメの様に味のあるアニメだと思う。

幸と祐、2人の視点から見るとは、斬新です。

では、また。






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